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父の介護は最後まで大変でした。でもやりきました。【介護チャレンジ 7】

クリスチャンになっていた父の葬儀はカトリック教会で行いました。
生前、親父は「密葬やぞ!密葬の意味わかってるか?親戚も呼ぶな、お前らだけでせぇよ」と散々言われていました。

教会でする以上、お袋の友人である信者さんたちは大勢くるのは必至。
親父も代表取締役の肩書のまま亡くなったので、会社を通じて関係各所にお知らせもしなければならず、、
結果、お袋を通じて信者さんたちが、私の友人たちが、とても沢山集まってくださいました。

訪れた友達ひとりひとりに、”珍しいやろ?教会の葬式初めてやろ?”(楽しんでいってと言わんばかり)の不謹慎な声掛けをしながら出迎えた。そして、集まってくれたひとりひとりに泣けた。

教会での葬儀は、日曜の通常のミサと変わることなく行われ、途中親父の名前が出たりするだけ。
挨拶、喪主は私が務めつことになりました。

挨拶の時、なんとかほんわかした雰囲気を出したいと、子供2人と姪っ子2人を立たせて、紹介並びに親父とのエピソードを語ったりしました。
親父は孫4人がとても好きでした。孫のことになると目を細めているばかりで。

親父が亡くなった瞬間から、介護とは違った目まぐるしさで、物事は動いていった。何をどう連絡して動かしていったのか、忘れてしまったが、多くの人に指示を求められて即断即決を繰り返して、皆に協力をしてもらったことだけは憶えています。

何事も初めてであり、聞ける相手もいないので手探りで進めていった。
死亡証明の原戸籍取得に役所を辿って辿って。
墓石に名前を記載するため、新調する。納骨の仕方。

同時に会社の手続き関係。代表に変更。
親父から代を引き継ぎ、会社をどうしていくか。
この時は踏襲して存続させる。そういう思いしか無かった。

そんな目まぐるしさもあったのか、親父の亡くなった瞬間から今まで
親父の居ない寂しさの中からくる涙は出てこない。
自分自身、親父に関して精一杯やり切った。という思いだ。

親父が亡くなった日から、実家にはお袋がひとりっきりとなった。

私は泊まる日を増やして、お袋を介助していった。
2013年9月24日のこと。あれから、今月で10年になる。

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