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さよならの代わりにはしないけど。

「もう酔っ払った私からの電話に出たらだめだよ」
おどけて言ったそのセリフがすべてだった。
身勝手この上ない話だが、
ずっとずっと一緒にいると思っていたのは私の方だったから
私は自分の倦怠機という心変わりをなかなか受け入れられなかった。

note上で20本近くのラブレターを書き、便箋上で40通以上のラブレターを書いた恋は
10数分の穏やかな穏やかな電話で終わった。
暑い暑い夏の夜だった。(最近まで暑かったけれども。)

むかしむかしに一度お別れした私たちは、酔っ払った私の電話で何年か越しにまた繋がった。
誰とも長続きしなかった私は彼と実に3年近くも一緒にいた。
「運命だね、すごいね」
と言われるたびに
私が無理やり引き寄せたんだから、これは運命ではなく私による私のための、極めて作為的で人為的なものだと
思わずにはいられなかった。
運命なんてそんなキレイなものじゃなくて、もっとドロドロとして複雑に絡み合ってとても2文字でまとめられるものでもなかった。

それは離れると決めたときも同じで、私はキレイな理由だけを並べることがどうしてもできなくて、実用的で冷酷で自己満足な理由ばかりを並べて別れを決意したのだ。

己の身勝手さに吐き気を催す自分と、人生は1回きりで自分だけのものだからしょうがないと開き直る自分を高速スピードで行ったり来たりして酔った私は、とてもとても自分勝手に、ご飯が食べれなくなったりした。

離れてみて実感する。
とても冷めた酷い事実に。
唯一無二なんてものはないのかもしれない。

好きな人や恋人に対する優しさと努力ははごく当たり前に誰かのなかにあって
唯一無二の優しさなんて存在しないのかもしれないことに私は絶望した。
新しく恋人になった相手が向ける私への甘くパワフルな優しさに、素直に甘えられない自分もいた。
彼と私だけの甘い時間で共有してきた優しさが
所も品も人も変わってすら存在しうることは、人生の救いなのだろうか、絶望なのだろうか。

どんな甘く優しい言葉にも気持ちにも終わりがある。
持続可能にするためにはそれなりの時間と忍耐と相性が必要で、それらを全部手放してしまったわたしに残ったものはなんだろう。
新しくそばにいてくれる人に出会えた幸せの隣には
もうすでにいつか捨てられる恐怖があり、自分の心変わりへの覚悟がある。

いつかこの選択を悔やむかもしれない。
いつ悔やんでもおかしくないし、
いつまでも悔やまないかもしれない。

noteを書くのが久しぶりすぎて、最後にビジネスメールのように署名をつけなければいけない気になる。
あぶないあぶない。


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