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「毎週木曜日の朝、7時30分に英語の質問をすること。」

それだけの約束が、私を生かしていた2年間があった。

高校入試で大活躍した英語。
苦手な数学を大得意な国語と一緒に引っ張り上げていた英語は、入学後に豹変した。なぜか数学と一緒になって国語の足を引っ張るようになったのだ。
苦手の芽すら見つけられず、両手から溢れる英文法と耳を快速で抜ける英会話に呆然としていた。そんな私を救ってくれたのが先生だ。
テストを抱え途方に暮れる私に先生は言った。
「毎週木曜日朝の7時30分から質問持っておいで。30分間あなたの時間にするよ。」
そこから木曜日の朝の30分、先生の時間は私の時間になった。

2年生、夏。勉強も部活も恋も友情も全盛期。
それなのにというべきか、それだからというべきか私は悩みと絶望を抱えていた。
入学直後の、まだ右も左もわからない忙しい時期に「酸素吸うのに精一杯」なんて笑っていたことがあるけれど、
右も左もなんでもわかるそのときは、その酸素の吸い方すら怪しかった。
廊下でただすれ違っただけの先生にすら「ずっと下向いてるよ」と声をかけられ、心の健康アンケートはいつも最低点。毎週横に座る先生が気がついていないわけがない。
でも先生は何も言わず、30分間私の質問に答え、英文法の解説をしてくれた。
今思えば最低の極みだが、自分の悩みに精一杯でろくに英語のことを考えずに次の週を迎え、行きの電車で無理矢理質問をひねり出す木曜日もあった。
でも木曜日は約束の日だから絶対に学校に行くと決めていて、木曜日に行くなら金曜日も。木曜日から行くのは変だから水曜日も。火曜日も。月曜日も。木曜日から木曜日までがわたしにとっての1週間で、木曜日が先週の私と今週の私と来週の私をつないでいて。
それは文字通り私を生かしていた。

そしてある冬の木曜日、私がぽつりと発したSOSを先生は聞き逃しはしなかった。
「悩んでいるのは知ってたけど自分から話せるときまで待ってるつもりだった。でも、いつでも話してよかったんだよ。」
涙が止まらなくて、私の口からはもう英語のEすら出なかったのに先生は隣の椅子から立たなかった。
その週から木曜日は、英語の質問と私の話を聞いてもらう時間になった。いつだって味方で温かい声と言葉をくれた。
木曜日は1週間をつなぎ、1ヶ月をつなぎ、1年をつなぎ、2年がたった。私は自分を取り戻し、大学にも合格した。

そして今、2年よりももっと長い年月が経って思う。あの約束の木曜日の連続だけが私を生かしていたわけではない。あの約束そのものが私を生かしていた。授業、準備、課外活動、たくさんの生徒からの質問、相談があって。それなのに木曜日の朝の貴重な30分間は2年間私のためにあった。
これまで何年も教師をしてきて、これから何年も教師をしていくであろう先生にとっては何人もいる生徒の1人に過ぎなかったその私にきちんと向き合ってくれた約束。それそのものが私を生かしてくれていて、あの時間も「私を生きていく」という約束だったのだ。

先生。ずっと連絡していなくてごめんなさい。先生はこれからも誰かの先生なんだろうなと思ったら、卒業した私がまた時間を使ってしまうのは申し訳ないなとか、今の自分に自信がないなとか、そんな言い訳をこねくりまわしていて、先生に顔向けできませんでした。
先生。まだ届きますか。先生、私、約束守ってます。毎週木曜日の約束は、2年間私を生かしてくれたけど、その2年だけじゃなくて今も、私の大事な約束なんです。今、毎日が幸せに溢れているとは言えないけれど、ちゃんと自分の足で立って、息をして、全力で「私」を生きています。
木曜日のあの30分が私を救い、すくい上げてくれました。悩みを、不安を聞いてくれてありがとう。全力で味方でいて背中を押してくれてありがとう。毎週30分も時間をくれてありがとう。廊下があっつい朝もさっむい朝も横に座って英語を教えてくれてありがとう。あのとき、すくってくれてありがとう。

「毎週木曜日の朝、7時30分に英語の質問をすること。」ずっと約束を守ってくれて本当に本当にありがとうございました。



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