【見た物キロク】映画「最強のふたり」

あらすじ(サイトより抜粋)

パラグライダーの事故で首から下が麻痺してしまった富豪の男と、介護役として男に雇われた刑務所を出たばかりの黒人青年の交流を、笑いと涙を交えて描く実話がもとのドラマ。まったく共通点のない2人は衝突しあいながらも、やがて互いを受け入れ、友情を育んでいく。

感じたこと・気づき

この映画をみようと思ったきっかけはなんとなくだった。
どうしようもない自己嫌悪にここ数週間ほど陥っていて、このままのマインドの自分では嫌だ、生きるのが苦しい、何かやらなきゃ...と思って、映画から人生観のヒントをもらえないかな...と思ってNetflixから選んだ。

うまく文章はまとまっていないけど、また自己嫌悪に陥った時の自分のためになると思うから、感じた事、自分に伝えたい事をとにかく記録しておく。

最強のふたりは、人と人の本当の意味での繋がりを感じる素敵な映画だった。

フィリップは自分の障害を受け入れて、
ドリスは自分の複雑な環境を受け入れていて、
とにかく2人の強さを感じた。

そして、お互いに関わる上で一切の「いらない気遣い」がなかった。
例えば障害があるからって気遣ったり、相手の過去の事を踏まえて接したり...。
そういう、「いらない気遣い」がなかった。

一緒に今を楽しむのに、相手の過去は必要?
一緒に今を楽しむのに、相手のコンプレックスを気にする必要がある?
私は、必要ないと思う。

本当の意味で人と絆を結ぶ上で、私は相手に変な気遣いをしてほしくない。
その人らしく、そのままで接してきてほしい。
それで喧嘩もするかもしれない。傷付け、傷付けられるかもしれない。
それでも、ありのままで接してほしい。

相手にそうしてほしくないのなら、私だってする必要はないよね?

そして、自分で劣等感として感じているコンプレックスや欠点って、相手はさほど気にしていない。

特に、自分のそばにいてくれている大切な人たちは、そんなこと気にしていない。
良いところをちゃんと知っていて、接してくれているよね?

それなら、その人たちに感謝をして、しっかり恩を返すことを考えて、
私らしくただ生きるだけでいいんじゃない?

今のままでもなにも問題ない。
良い・悪いの判断を自分にしているのは、自分だけ。
する必要がある?

自分と同じコンプレックスや欠点を抱えている人はきっと世の中にいる。
その人が生きててダメってことある?
全くそう思わないよね。
それなら、私もこのままの自分で生きててダメってことは絶対にないよね?

考えすぎていた自分の心が少し楽になった。
また「悩んでもしょうがない、このままの私で良い。」マインドが少し戻ってきた。

こんな気づきを与えてくれたこの映画に感謝。

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