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夢の中に居た

※注意:ペットが亡くなるシーンがあります。約1年前の下書きをそのまま載せます。


首を吊って暗転、夢の中に居た。
その夢の中にはハムスターがたくさんいた。どれも私のハムスターなのに、私は何週間も何か月もご飯をあげるのを忘れていて、ハムスターは皆ぺしゃんこになって死んでいた。私は裏返した袋でハムスターの死骸をつまみ、丸めて捨てた。新しいハムスターを招くために。
新しいハムスターはジャンガリアンが2匹。さっきまで私が殺してしまったハムスターのケージに抵抗なく入っていく。そのまま繁殖する。ハムスターが増える。繁殖する。増える。繁殖する。増える。


ハムスターは大学の頃飼っていた。私は子どものころから動物が好きで、中でも犬を飼ってみたかった。しかし私の家族は大の動物嫌いで、野良犬や野良猫が一歩家の敷居を跨いだだけで大騒ぎして石を投げつけるような人たちだったため、動物を飼いたいという私の願いは叶わなかった。友達に頼み込んで友達の家の犬を散歩させたりしていた。一人暮らしを始めて1年半、大学2年の夏に、ジャンガリアンハムスターの女の子を飼った。ペット禁止のアパートで、こっそりと、ばれないように。

ホームセンターで出会ったそのハムスターは、売り場の中で一番身体が小さかった。回し車に乗ったら他のハムスターに横取りされ、水を飲もうとしたら蹴飛ばされ、ハウスに戻ったら追い出されていた。不憫に思ってすぐにその子をお迎えした。あれこれと名前を考えて、とあるフルーツの名前にした。
その子のために部屋を整えた。あらゆる情報を調べ、一番いいペレットを用意した。夏は部屋のエアコンを常につけて、冬はペットヒーターを用意した。彼女はとても頭のいい子で、私の調子がいいときは嬉しそうにトンネルを何度も行き来した。私が泣いているときは回し車を回すのをやめてケージの隙間からこちらを覗いていた。名前を呼ぶと鼻をヒクヒクとさせて近づいてきた。
とにかく愛おしかった。砂風呂が好きで、たまにそこで寝ていた。お菓子の家風のおうちから顔を出して寝ている姿がとても可愛かった。ハムスターは夜行性なので、彼女はいつも私が布団に入るとカラカラと回し車を回しはじめた。その音が可愛くて、いつもそちらを向いて寝ていた。いろんなおやつを少しずつあげたが、ウエハースのおやつは2、3口で飽きていた。豆腐のおやつが大好きだったね。
ちょっとご飯を食べなかったり、少し目やにが出ただけで、車で40分かけて小動物も診てくれる病院に連れていっていた。お薬は苦いみたいでなかなか飲んでくれなかったので、いつも甘いシロップに混ぜてスポイトで飲ませていた。

ハムスターの寿命は1年半、長くても2年だと聞いていた。だから大学4年の春に、いつでも彼女を見送れるように心の準備をしていた。でも彼女はちっとも弱る様子がなかった。春が過ぎ、夏が来て、秋が去り、冬になった。卒業研究がうまく進まず、実験に追われて大学に泊まり込みをする夜が増えた。落とした単位を片っ端から拾うために1限から6限まで大学に出ずっぱりになった。それでも、家に帰れば彼女が出迎えてくれた。そのまま彼女と一緒に大学を卒業した。ハムスターのゲージを抱きかかえて引っ越しをした。

4月1日、私が社会人としてデビューした日、歓迎会から帰ったら彼女が回し車に乗れずにもたついていた。そこからはあっという間だった。私が社会人になって1週間の勤務を終えた日に、彼女はおがくずの中に埋もれて動かなくなっていた。慌てて名前を呼んで掌で掬い上げた。まだ息があった。ゼエゼエと荒い呼吸。何度も名前を呼んで、その夜は初めて一緒に布団に入った。名前を呼び続けた。ぎゅっと抱きしめたかったが、潰れてしまいそうでできなかった。ハムスターの身体が小さいのがとても辛かった。彼女が亡くなった朝、彼女の名前のついた木を買って土に埋めた。次に動物を飼う時は、死ぬ時に抱きしめてあげられる動物にしようとその時決めた。


猫と暮らす日々は5年を超えた。子猫だった時はチョロチョロと危なっかしく、いつも目を離せずにいたが、今は大分大人しくなった。気がつくとティッシュを引っ張ったり食べたりするので、ティッシュ箱を遠くに置かなければいけないが、それを除けばいい子だ。我が家は共働きだが、お留守番もそつなくこなしてくれる。今のところ大きな病気もない。
この子とあとどのくらいの時を過ごせるだろうとふと思う。朝起こす時には必ずハンモックでくつろいでいる。膝をポンと叩くとぴょんと乗ってくる。寂しがり屋で、構ってあげないとわざと粗相をしてアピールする。ドライヤーをしていると少し離れたところからずっと見守っている。私が泣いていると周りをウロウロと歩く。夫婦で話していると真剣な顔をして一緒に話を聞いている。ちゅーるを見せると寝る時間だと判断して自分からゲージに入る。あくびをする。夫の膝の上で眠る。お気に入りの毛布でふみふみをする。そんな愛おしい姿をあとどのくらい見れるだろうか。


生きることに絶望して、もう死ぬしかないと思っていた日々が始まってから15年以上経つ。今では、捨てるはずだった自分の命だけでなく、他にもいろいろな荷物が増えたように感じる。それは夫の存在がとても大きいし(荷物という言い方がアレだが)、猫もそうだし、日々の仕事や家事もそうだ。サービス業をしているので、お客様ひとりひとりとの関わりもある。死にたい死にたいと思い始めた頃より、どんどん死ぬ難易度が上がっていっているのを感じる。生きたいわけではないのに、死ぬこともできない現状。この方法が正しいのかは分からないが、こうして命を繋いでいる。

いつまでこうして生きるのだろうか。死にたい死にたいと言い続けてきた15年。これから先もずっと私は死にたがりなのだろうか。

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