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「大丈夫」の力強さ ー 同棲解消記録 『色恋を持たない多崎ありゅーと、彼の巡礼の年』

なんだかんだ元気にやれている感

この巡礼の中でそれなりの回数あったのが、
「亜流、結構大丈夫そうじゃん!」
「なんか意外と大丈夫そうで安心した!」
という声がけ。

特にこのセリフは別れ際にもらうことが多く、
そうすると、バイバーイして電車に乗って1人になって、はたと考える。

私、「大丈夫」、なのだろうか。

この言葉をくれた友人サイドは、
私の状態を、とても悲観的に見積もっていたのかもしれない。
巡礼申込(=平たくいうと、飲もぉ〜泣 ってやつ)の際に
諸々の経緯を伝えているが、確かに文字だけで伝えると結構悲壮感ダダ漏れな状況なのだろう。

何ならこの状態になる前に会った時に、
「オレ同棲始めたんだよねぇ〜〜↑↑↑」
的なテンションでかましていたことも一因かと。
状況の落差がえぐい。えぐいのだ。

なので、再会した当初は、結構「様子伺い」な感じなのが、
感受性オバケ状態な亜流にはグングン伝わってくる。


ただ、折角会ってもらっているのだから
葬式ムードになるのだけは避けたい。
ひとしきり話をし、お酒を入れて、後ろ向きな話ばかりでなく再会の喜びにちゃんと浸りたい。

そんなわけで、「意外と大丈夫そう」、という言葉が最後に得られるのは、
再会の時間を作らせていただいたこちら側としては御の字じゃないか、ということで山手線でのグルグルもやもや思考はクローズした。


人に会うことへの葛藤

巡礼を敢行しておいて思いっきり矛盾するのだが、
そもそもこんな状態で人に会って良いのだろうか、というのは最近とても強く考えている。

少なくとも今の私には、一緒にいてプラスになるオーラというか要素というかそういうものがない。
相手サイドが持ち帰ることのできるもの、明るくなれる要素が多分ない。

「私と一緒にいる時間は、相手にとって楽しい時間になってほしい!」という人間関係のモットーを掲げている私にとり、自身がマイナスオーラ全開な状態というのはなかなかしんどい。

この折にいろんな人に会うぞ!人間関係の輪を再興し、何なら広げるぞ!というのが表向きの主旨である一方、
そもそも人と会うことで自身の治癒を試みているのが実態なので、
相手にとって楽しい時間になってほしい!って思いは
のっけからアウェーなのである。


ただ、ただ…。
マイナスオーラはもうマイナスオーラとして、仕方ない。
しょうがないじゃん。こんなことがあったんだもん…。

しょうがない…じゃん…?


ちょっと乱暴だけど、こんな状態なのに会ってくれること自体に感謝、それに尽きるし、この際、思い切り甘えさせていただいて……、と開き直りつつあるのが今です。


大丈夫、再考

で、こういう思いを経た上で、改めて冒頭の「大丈夫」について再考してみる。

こんな心持ちの今、だからこそ、「大丈夫」という言葉は常時に比べてもとても刺さったのだろうなと思いました。
なぜって、こういう時、自分で自分を大丈夫というのは案外結構難しいから。大丈夫なのかなんて、つまるところ分からないから。

あと、前述のようにマイナスオーラを意識してしまう立場上、
受け取った「大丈夫」は、そういうオーラの発出が抑えられていた裏付けにもなります。

「大丈夫」、それが、
大丈夫そう、というその場を受けての友人視点の印象であったとしても、
きっと大丈夫!という励ましの文意であったとしても、
周りの方から言われると一気に客観性をおびる不思議。
不安定な状態の人間にとり、こんなに響く言葉もないのかもしれません。

「大丈夫」の判は自身で押すのが難しい、
だからこそ、自分の弱った時に寄り添ってくれる方々の「大丈夫」、これはとてもとても支えになります。

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