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部分と全体

食養を学んでから、日本という国の魅力に気がつきました。

日本の文化、食、歴史、そして人間性。
どれも素晴らしく思う。

日本に生まれて本当に良かった。


が、感激するその多くは本の中で出会う日本であって、朝起きてから目に映る現実世界の日本には、正直そこまでの魅力を感じれていない自分がいます。

「お前、何様だよ」
と自分に思う。

そもそも自分の目が悪いということもある。

あ、視力はいいんですよ。
(両眼とも1.5あるのは小さな自慢、、、)

心の目、とでもいいましょうか。


僕はまだまだ物事の本質を見るためのフィルターが整っていないんですね。

本物の人格者とは、どんな世界でもどんな環境でも、良いものが見えると聞きました。
きっと僕には修行が必要です(笑)

しかし、現代は古き良き日本の文化や風習、そして人間性を失いつつあります。これは事実でしょう。

改めて、日本人としての大切な視点を忘れてはいけないなと思い、noteに書き記そうと思ったわけです。

部分と全体の視点

先日、こんなツイートをしました↓

3ツイートにも及ぶ大作。
おかげさまで多くの人の反響を得ることができました!

、、、とはなりませんでしたね(笑)


よく西洋医学と東洋医学の違いとして挙げられる「部分」と「全体」の視点の違い。
これは、生活の中にも浸透しています。

上記ツイートにも記したように、かつての日本の食事や生活の中には全体の視点が色濃くあったように思います。

それはおそらく「自然」や「命」といったものをちゃんと見つめていたからだと思うんですよね。


どういうことかというと、「調和」です。

自然が成り立っている、身体が維持されている、ということの奥には必ず調和があります。

それは、「個」だけで成り立っているのではなく、すべてが助け合い補い合って、調和によって成り立っているということ。

人間は自然と敵対するものではなく、自然の中の一部として存在するもの。

ちょっと説明が難しいんですけど、
昔の日本人は「生かされている」という感覚をしっかりと持っていたんじゃないかな、と思うんです。


決して西洋を否定しているわけではありません。

日本人が西洋の視点を持つと、日本人らしさが失われていくんじゃないかな、という個人的な意見です。


西洋医学と東洋医学

西洋医学と東洋医学の違いについて、考えてみたいと思います。

西洋医学、すなわち現代医学は、科学的、局所的、そして理論的に身体の状態を分析して、悪い部分に直接アプローチをする治療を主体としています。

対して、東洋医学は、身体の不調を内側から根本的に治すことを目的としています。

どちらが良い悪いというわけではなく、その特徴が違うということ。


西洋医学は短期間で病気を治療できるメリットがあり、東洋医学は時間はかかりますが、身体に負担がかかりにくいというメリットがあります。

ただ、西洋医学と東洋医学は考え方が根本的に違うので、互いに批判しているような感じも受けますね。

お互いの良いところを組み合わせたら、きっと多くの人を救えるのになぁ~
と、医師でもないのにそんな理想を浮かべてたら、素晴らしい本に出会いました↓

著者の谷美智士先生は、日本で初めてハリ麻酔手術に成功した医師で、西洋と東洋、二つの医学を統合した提案をしていた、業界では有名な方だそうです。

西洋医学というのは、腫瘍があれば、それを見つける――これが診断の目的です。中医学は違う。その腫瘍を見つけるのが主題ではなく、体がどういうふうに冒され変化してきているのかを 診るのです。
当然、治療も違ってきます。西洋医学は腫瘍があれば、これを取り除く。中医学は、腫瘍ができていれば、これは腫瘍の奥に原因がある。腫瘍を取っても根本原因除去になっていない。原因はその人の免疫力であったり血液の循環障害であったり、神経の緊張、いろんな自律神経の失調であったりしているわけです。
言葉を変えると、中医学の場合は、腫瘍をそのままにしておいても、体の方を治せば腫瘍は居心地が悪くなるから、自然消滅することもある、ということなのです。  逆にそれをせずに腫瘍だけを切り取った場合、結果は取ったけど原因は残っているということです。となると、また形を変えた病気となって別の所に出てきます。

出典元:「東洋医学と西洋医学」

すごい納得です。

こんなこと言ったら、西洋医学の先生に怒られますが、ガンをはじめ生活習慣病で苦しむ人が増え続けている現代、必要なのは東洋医学の考え方なのではないかと。

西洋医学と東洋医学、2つがタッグを組んだら本当に素晴らしいなと思いますね。


部分だけを見過ぎていないか

さて、話を「部分」と「全体」の視点に戻します。

僕たちの身近である医療は、現代は西洋医学に偏っています。

そして、僕たちの生活も部分的な視点に偏り過ぎているように思うわけです。


繰り返しになりますが、

食事ひとつとっても、自分の好きな部分、栄養の高い部分、そこだけを切り取って食べる。

メリットばかり得られるように思いますが、その繰り返しの先に待っているのは、「バランスを崩す」という状態です。

だから、食養では「まるごと食べる」こと。
すなわち一物全体食をすすめています。

大根なら実だけでなく、葉っぱも皮も全部食べる。
魚なら、頭から尻尾まで全部食べられる小魚を選ぶ。
玄米がいいとされるのもこれですね。

そりゃあ、食べものだって完璧じゃないです。
どんなに優れた食品だって分析していったら、必ずメリット・デメリットが見つかります。

それが当たり前です。

命ですから。

良いも悪いもまるごと食べる。
それが「命をいただく」ということです。

この視点。

食べものだけじゃなく、昔の日本人は「全体の視点」を生活の中に落とし込んでいたんじゃないかな、と思うんです。

すると、大きな視点で物事を見ることができます。

病気になってから慌てふためくのではなく、
起き湧いてくることに一喜一憂せず。

たとえ今、苦しい状態でも、人生という長く大きな視点で今を見ることができれば、ポジティブな面を探すことができますよね。


現代はなんだか焦っている人が多い。

そりゃあ、のんびりしていたら時代に取り残されてしまいますが、大きな視点を持つことが大切だと思う。

これは何にでも言えるんじゃないですかね。

かつての日本人はそんな視点を持っていたのだと思うんです。


何度もいって言い訳がましいですが、決して西洋を否定しているわけではなく、部分を見ることも必要です。

でも、部分だけを見過ぎていけはいけないし、日本人が本来得意としているのは全体の視点ではないか、ということ。

食養を学んで、日本の文化に触れて、
僕にはその視点がまったくなかったことに気づきました。

日本という国に、
日本人として生まれて、
本当に良かった。

そう心から言えるようになるには、まだまだ先のようです。

そう、僕にはきっと修行が必要です(笑)



あるとむ



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