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中村恭子「風景の肉体」を見て


 久しぶりに絵画を見て衝撃を受けたので感想を記しておく。(フランシス・ベーコン以来ではないか。と思って、ちょっと調べてみたら、京都で展覧会があったのはなんと40年前ではないか。高校生だったのか。) 
 
 郡司ペギオ幸夫さんの本(「創造性はどこからやってくるか」)を読んだ。その中で、中村恭子さんの仕事が取り上げられていた。「書割少女」と呼ばれる作品群を写真で見て、これは絶対直接見てみたいと思った。そして、今月、新しくできた大阪大学中之島芸術センターで作品展があるということで、見に行こうと思っていた。そして、今日、公休日、雨が降りそうでどうしようかとも思ったが、早めの時間帯にと思って急いで朝から出かけた。初めて京阪で中之島まで行った。蒸し暑い中、1つ手前の駅に向かって歩く。ちょうど中間くらいの位置にビルがあった。ほとんど人はいない。エレベーターで4階に上がる。誰もいない。作品をゆっくり眺める。
 

 最初は、「すいかとそうめん」。「すいかそうめん」ではないそうだ。すいかそうめんだとどうやって食べればいいのか悩んでしまう。そんな郡司さんのコメントが横に出ている。それはともかく、小さな作品だが、美しい。日本画ではよく毛一本一本ていねいに描かれていることがあるが、ここでもそうめんが生き生きと描かれている。また、背景のオレンジが鮮やかだ。すべての作品について、表装がどれも素敵で、作品を際立たせている。
 

 鳥や昆虫、貝など生き物もたくさん描かれている。なかでもカエルの表情がいい。僕の見方が「千と千尋」に引っ張られているのかもしれない。あるいは鳥獣戯画だろうか。何か懐かしい感じがする。ユーモラスな表情をしている。
 

 中国かどこかだろうか、雲の上に突き出る大きな岩がある。その上を歩く小さな人々。離れたところにもう一人がいる。よく見ていると、岩も何やら表情を持っている。不思議な世界だ。
 

 さらに、動的な貝たち。貝が軟体動物であるというのがよくよくわかる。後ろには集落があるのか。いや蜃気楼なのか。
 

 小さな白い犬小屋のような建物群。アニミータと呼ぶようだ。僕にはそれが、「もののけ姫」に出てきたこだまたちのように見えた。ジブリに引き付けられるのは作者にとっては不本意かもしれないが、僕にはどうも近しいものが感じられた。
 

 そして、どうしても見たかった「書割少女」。なんとも不思議な作品である。足がそれぞれ2本ずつ出ている。しかもすべて向こう向きなのである。顔はない、頭も見えない、被り物をしているから当然なのだが、僕にはその中にも頭がないような感じがする。だから不思議なお化けのように見える。
 
 しばらく一人で贅沢な時間を過ごしていると、作者ご本人が現れた。郡司さんの著書を読んで京都から来たことと、作品を見て衝撃を受けていることをお伝えする。細かいですね、というと、細かい作業をする方が好きなのだとおっしゃっていた。写真を撮ってもよいとのことだったので、それぞれの作品とその横のコメントも写真に収めさせていただいた。しかし、僕のスマホでは、細かいところが良く見えないし、字もよく読めない。展覧会用の図録でもあれば買ったのだけれど。
 
 

 同じビルの2階にオシャレなカフェが入っていた。天気が良ければゆっくりしたかったが、いつ雨が降るか分からない。帰りは隣の渡辺橋駅から京阪に乗った。久しぶりにジュンク堂(まだあるだろうな)にでも寄ってみたかったが、我慢してどこもよらずに帰って来た。でもそのおかげで、作品の印象が薄れずに残っている。こういう出会いが僕にとっては一番の幸せである。
                  2023年9月21日

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