見出し画像

【あなたは今、仲間と何をシェアしたいですか?54歳に思うこと】

いよいよ明日(2024年4月1日)に54歳の誕生日を迎える。出生時は、午前の連続テレビ小説の頃とのことなので、午前8時ごろなのであろう。執筆している今から12時間ほど先のことである。

2023年をふりかえる

2023年の53歳は、まるで厄年かと思うような大変な一年であった。お気に入りの車で2021年9月に5年落ちで購入したフォルクスワーゲンのup!のお尻のバンパーに無(任意)保険の在日バングラデシュ人に突っ込まれて自分の保険で修理する羽目になったり、持病である双極病の影響(うつとそうの波に振り回されて)か、張り切りすぎて新規事業を試み、母親の老後資金500万円を溶かしてしまったり、何かいろいろとんでもない一年でした。

そう状態で派手に何かをやらかしたと思えば、年の半分くらいは、うつ状態で頭がまわらないまま日中も寝て引きこもっていたり、いったい壮年のいい大人が何をやっているんだという状況でした。

実は、1か月ほど前にその長引いていたうつ状態からやっと回復して、この2週間くらい逆にそう状態で、またまた暴走しそうな勢いで、日々激しく動き回っています。

気分にムラがあるエースパイロットより低空飛行のやつのほうが(会社では)使える

5年ほど前から双極病の治療を受けているわけですが、実はもう20年も前、30歳代の頃から、その症状はでていたようで、開発コンサルタント時代の先輩や同僚からも指摘されてはいました。上の言葉は、20年ほど前に、海外事業部の専務と同じ部の後輩の男性社員と、たまたま三人で話していた時に専務から言われた言葉です。

その当時、「こころゆくまで(仕事を)するぜ」ととどめもなく残業してがんばっていた「そう状態」のわたしと、まるで元気がなくちんたらと仕事に身の入らない「うつ状態」のわたしと後輩を(つまり低空飛行とは彼のこと(失礼))専務が見比べた上で、こんな冗談を専務がいわれたわけです。

専務曰く、いくら低空飛行でも安定して飛んでくれればパフォーマンスが読めるが、気まぐれに仕事をされては仕事の先が読めない。固まって動かなくなってしまう(墜落?)より、遅くても着実に仕事をこなしてもらったほうが、はるかにありがたい。確か、そんなことをおっしゃっていました。

最近、発達障害であるとも言われてしまいました

昨年の大失敗をふまえて、心療内科を転院して投薬だけではなくカウンセリングも受けたいと、先月に2回、3時間づつ心理テストを受けさせていただいたのですが、その結果報告で、的確な見立てとフィードバックにあわせて、ついでに?、発達障害ですねとも言われてしまいました。

ふたつ年上の姉にそのことを話したら、彼女曰く、わたしが子供のころから変だったので、40年前の当時は言葉がありませんでしたが、昔からそうだと思っていたよ、とすぐさま何のためらいもなく肯定されてしまいました。

そうか、双極病も発達障害も、知らぬは自分だけか、ああそうでしたかと、なにかあっさりと腑に落ちたというか、否定する元気すらない。そうだったんだ。みんな知っていたんだな、ということです。

それら、双極病も発達障害を与件として、これから生きていかなくてはならないということをあらためて思いました。実はそれだけでもなく、サラリーマンは、いろいろ体を酷使しているものなんだなということをひとつ。

実は、16年前にフィリピンのマニラ駐在から日本に戻ってきて健康診断をしたら、ヘモグロビンが9以上もあって、しっかり糖尿病にかかっており、帰国してからこの方、この病気も経過観察で月1回、通院しています。

あなたは今、何を仲間とシェアしたいですか?

ということで、ようやく54歳の話にはいるわけですが、まあ自分は自分として、これからもやっていかなくてはならない。ただ、年齢的にも、自分が自分がと自分のしあわせや楽しみを追求するだけではなく、自分が生きてきた道で楽しかったこと、おもしろいこと、心を震わせたことなど、身の回りの人たちとあらためてシェアしていきたいということを感じています。

昨年、散々だったといいつつも、実は、国際開発学会の6月の秋田でおこなわれた春季大会のポスター発表で愛知用水の久野庄太郎についてお話しして、なんと優秀ポスター賞をかっさらったり、その縁で、11月に行われた全国大会で世界銀行と日本とのかかわりのセッションで発表させていただいたり、それなりに活躍?させていただきました。内面、しんどかったけど。

他にも、自分のライフワーク(地域開発と参加)がらみで歩を進めることができましたし、だめだめな一年ではなかったです。本当に。

生きているということ

まあ、死ぬまで生きるしかないのでしょうね。わたしは、うつ状態のとき、さいわいにも自死を考えることはありません。それは、若くして召された仲間や、わたしよりはるかに(比べるのもおこがましいですが)すぐれた、いわゆる天才で素晴らしい人でさえ、運命にあがなえない(天命のこともあれば自分で選ぶこともある)ということを具体的な事実として知っているからです。

自分自身は、そんな仲間や天才の先達から、この世に「残されたひとびと」のひとりであるから、簡単に自分で投げ出すわけにはいかない。それはおそらく、きっと何かを彼ら彼女らから託されたという気持ちが、自分の中に幾分かでもあるからなのでしょう。

自分だけの命ではないというか、いままで先に逝ってしまった人たちの何かを引き継いでいる、いや、引き継がせてくださいという気持ち。もっと教えていただきたかった。なぜ、貴重な千載一会のチャンスを逃してしまったのか、どうしても取り返すことのできない後悔の苦い想い。

相手が悪いわけでもなく、一方的に自分だけが悪いのでもない、でも間に合わなかったという運命のいたずら。きっとあなたも一つぐらいはあるはず。だれしも、年をとるとそんな思いをすることが必然的に増えてくるのではないでしょうか。

周回遅れのトップランナー

あと、つらつら書いてきてこの言葉を思い出しました。これは、ルポライターの鎌田慧をどなたかが評してあとがきか何かに書いた言葉です。手元の本を探しましたが、出典がすぐにわかりません。

ところで鎌田慧の一冊といえば、わたしは間違いなくこの本の一択です。

わたしもできれば、そうでありたい。少なくとも、自分の人生においては、何かひとつだけでも、世界に対してトップを取った(走った)という経験をしてから世を去りたいと切に願っています。

やっぱりフロンティアを、道なき道を、処女地や荒野にみずから自分の力で道を切り開いて「さきがけ」となる。発明にせよ発見にせよ、一番最初の人だけが、先駆者の名誉と利益?などを受けます。もし可能であれば、ひとりでそんな道を開きたいと、あなたも思いませんか?

もっとも一緒に同じ方向をめざす仲間と助け合ってのことですが、それでも、自分だけの新天地、それが山頂(サミット)なのか、深海のクレパスの奥深くなのか、はたまた宇宙なのかとある星の上なのかわかりませんが、トップを究めた人にしかみれない光景はきっとあるはずだと思っています。

天才や利にさとい人たちみたいに、最先端をさっそうと走ることはできないけど、なにかこれはというテーマをじっくりと追いかけ続けて、気がつけばその道の先頭を歩いていた、自分の来し方をふりかえってそう思えれば、それが事実だと客観的にも証明されたのであれば、それは存外のよろこびであることは間違いないでしょう。

結局、自分がいままでにやってきたことが、あとに続く仲間の未来を照らすことになる。そんな一年一年を、齢を重ねていければ、きっと楽しいことだろうし、意義のあることであろう。

そんなことを胸に秘めながら(書いちゃっているけど)明日から、54歳の道を歩み始めます。

今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

2023年3月31日 歩く仲間 代表 柴田英知

おまけ

最近、ようやく研究者としての看板をもつことができました。


この記事が参加している募集

新生活をたのしく

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?