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江戸城外堀を歩く楽しさ

私たち歩き旅応援舎では、江戸城外堀の古地図散歩全5コースを定期的に開催しています。一番近いところでは、9月20日~22日の3日間で、全5コースをあるく「江戸城外堀特集」を開催する予定です。

江戸城外堀を歩く楽しさ、外堀を歩いて一体どこが楽しいのか、これを一言でいうと「私たちの今の生活と、見慣れた東京の町のルーツが見えてくる」ことです。

あれ?江戸時代の城の話をするんじゃないの?

と思われるかもしれません。でも現在の東京の町は、江戸時代前期に造られた江戸城外堀を基礎としてできあがっているんです。

町の発展と私たちの生活とは車の両輪のようなものです。町が変われば生活も変わるし、生活が進展すればそれに合わせて町も新たな形に建て替えられていきます。

たとえば、以前のインターネットはケーブルにつながれたパソコンでしか使えませんでした。でも今はパソコンだけではなくスマホやタブレットでもインターネットは使えますし、モバイルパソコンでもWi-Fiのある環境でしたら屋外でも使うことができますよね。

こうして生活が変わってくると、町の造りも変わってきます。それまではなかったWi-Fiスポットが設けられたパブリックスペースが町のあちこちにできて、今ではオフィス以外の場所でも仕事ができるようになりました。

でもそれが江戸城外堀とどう関係あるの? と思うでしょ?
それではこれを見てください。

全体図(江戸時代)

これが江戸城外堀の全体図です。今の皇居の周りを「の」の字の形にぐるりとめぐっています。長さは大体15キロメートルくらいあります。

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そしてこれは現在の地図に、外堀の現存する場所とかつての外堀の跡地に青く線を引いたものです。この地図を見ると、いろんなことがわかります。

中央線は江戸城外堀に沿って走っていること。四ツ谷・市ヶ谷・飯田橋など駅は江戸城外堀の城門の跡地にあること。

首都高速も江戸城外堀だった場所にあること。その出入口も城門の跡地にあること。

千代田区・中央区・港区・新宿区・文京区・台東区の区界は、江戸城外堀がもとになっていること

地図を見ただけでもこれだけわかります。

もうちょっと身近な話をしましょう。
みなさんがお仕事などを頑張って、それなりの成果を挙げたとします。それで頑張った自分へのご褒美として、ホテルニューオータニのレストランを予約しました。

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ホテルニューオータニの最寄り駅は東京メトロの赤坂見附です。今は出入口がビックカメラの1階にある赤坂見附駅を出て、大きな交差点を渡り弁慶橋を過ぎると、そこがホテルニューオータニです。ホテルには着きましたが・・・

それじゃあ、赤坂見附の「見附」ってなに?

さっき渡った弁慶橋の下にあった細長い池のようなもの、あれが江戸城外堀の一部だったのです。目の前にある大きな交差点には国道246号線が通っています。これ、昔の大山街道です。大山街道と外堀が交わるところに城門が設けられていました。赤坂門です。

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国道246号線の坂道を上ったところには、今も赤坂門の石垣の一部が残っています。この赤坂門、昔は石垣の上に大きな櫓がありました。

常盤橋門

これは現在の日本銀行の前に位置していた常盤橋門の写真ですが、門の石垣の上に櫓があります。赤坂門にも同じような櫓があったんです。

江戸城で戦争が起こったことはありませんが、もし敵が攻めてきたらこの櫓の上から敵をいち早く見つけることができるようになっていました。

だから城門のことを「見附」とも呼んでいました。それでホテルニューオータニの最寄り駅の名前も、赤坂門を意味する「赤坂見附」と付けられたのです。

赤坂見附の意味はわかった。
でも仕事は頑張ったけど、高級レストランに行くお金がないよ!

という皆さんは、是非テレビを点けてみてください。よくテレビに出てくる人ですけど、デヴィ夫人をご存じですよね。「嫌い」という人もいらっしゃるとは思いますが、しばらくご辛抱ください。

明治時代のはじめくらいまで、虎ノ門から赤坂にかけての外堀通りのある辺りに「溜池」と呼ばれる貯水池が、江戸城外堀の一部としてありました。

この池の風景が明媚であったことから、江戸時代には庶民の憩いの場となり、池の畔にはたくさんの茶屋が並んでいたそうです。

印刷用溜池桐畑

これらの茶屋が座敷を備えた立派な建物に建て変わり、これが赤坂の料亭街の始まりといわれています。

料亭が並んで多くの芸者さんたちが行き交う町となった赤坂には、他にもたくさんの飲食店が軒を連ね、今でも人気の飲食店街となっています。

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その中にコパカバーナという高級クラブがありました。そこに勤めていたホステスが、客の紹介で知り合ったインドネシアの大統領と結婚したました。それがデヴィ夫人です。

江戸城外堀があったことでできあがった赤坂の町。この町で働いたことが人生の転機になったデヴィ夫人。その彼女をテレビで見ている私たち。日ごろの生活のこんな身近な一コマにも、江戸城外堀は関わっているのです。

ほかにも江戸城外堀が、私たちの今の生活、そして見慣れた東京の町へと及ぼした影響はたくさんあります。

たとえば・・・
なんで御茶ノ水の駅前には楽器店が多いの?
神保町にはどうして古本屋が並んでいるの?
丸の内と大手町はどうしてオフィスビル街なの?
水道橋駅が高いところにあるのはなぜ?
一橋大学の「一橋」ってなに?
おいしい日本酒はどこから来るの?

これらのお話もすべて江戸城外堀を案内しながら出てくるものです。みんな江戸時代前期の寛永13年(1636)に外堀が造られたことから始まっています。私たちの今の生活と見慣れた東京の町、これら身近なことばかりです。

歩き旅応援舎でご案内する江戸城外堀の古地図散歩は、あっと驚く意外な情報が満載です。
その充実ぶりは、某放送局の「チコちゃんに殴られる(仮題)」を上回る(当舎比)ものです。

楽しいばかりでなく、おそらく皆さんのこれからの生活やお仕事にも役立つことでしょう。

単なる史跡巡りや歴史散策にはない面白さがある江戸城外堀の古地図散歩、歩き旅応援舎でしか楽しめないオリジナル・コースです。ご参加をお待ちしております!

2020年9月開催 「古地図散歩江戸城外堀特集」掲載ページへ

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