塞いだ耳に嗤う楽園⑱ あの時の感情は
文化祭の翌日は片付けである。
この日、なぜか私は普通に学校に行ってしまった。
この頃は別に学校に行かずサボってコンビニや公園で時間を潰すことなど日常だったのに、普通に学校に行き、普通にD組の教室に入ってしまったのだ。
文化祭で感じた孤独感や虚しさが原因なのかもしれない。
或いは、片付けの日であることを忘れていたのか。
美術で使用したスプレーだろうか。
準備に参加していない私には何に使ったものだか知るべくもないが、廃棄の為に捨てようとして穴をあけた時に残っていた塗料が噴き出し、壁を真っ赤に染めてしまった。
それらを拭き取るべく「拭くもの」が必要になった。
私は日野に名指しで声を掛けられ、職員室から布のようなものを渡された。
体育祭の時に着る、クラスごとのTシャツだった。
教室に戻りながらこれも日野なりの「善意」なのだろうと思った。昨日の沢口風花の「善意」と同質のものだ。
戻ったら、既にありものの雑巾で壁を拭いていた。これも同じだ。意味のない作業をやらされただけなのだ。
教室に戻って、渡されたTシャツを机の上に置く。
目加田が「いや、これは想い出があるから」と言う。
「使っちゃってくれよ」私は机に座り、言った。折角取りに行ったんだから。そしてふと思ったことを口にした。
「これ(渡されたTシャツ)、誰の何だろうな」
その時、目の前から声がした。
「知らないで言ってるの」
沢口風花だ。笑っている。ギャグだとでも思ったのだろうか。
私がその時沢口風花の笑顔に感じた感情は、一体何だったのだろうか。あの時の感情は。
恋慕か。憎悪か。嫌悪か。嫉妬か。情欲か。加虐か。
私は机に座っていた。今でも覚えている。
私は最初に沢口風花の声を聴いた。かわいい声だと思った。
次に沢口風花の顔を見た。笑っていた。なぜ笑っているのだろうと思った。
沢口風花の胸を見た。私の方に向かって飛び出しているように見えた。鷲掴みにしてやりたい衝動にかられた。
そして、沢口風花の腹を見た。足を正面に突き出せば、ちょうど沢口風花の腹に当たる。
その時だ。無性に彼女の腹を蹴りたい衝動にかられたのだ。この私が。
私は突き上げる名前の付けられないその感情を抑える為に、顔を反らした。
そして別のことを考えた。
「G組終わったのかな」呟くように言った。「帰ろ」
私はそのまま、教室を後にした。