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みんな

喫茶に 志葉玲さんをお呼びして、 ガザ取材のお話をお聞きしたのが、 2014年の9月。   逃げる場も、 逃げ出る隙間もない、 壁と銃の包囲網に囲まれて、 国際法を破るイスラエルの激しい攻撃を、 昼夜問わず受け続け、 ガザの街もひともこころも、 日々のあたりまえのすべてが、 容赦無く破壊される。 この世の地獄を思うガザへの侵攻、 写真を交えての志葉さんのレポートに、 それでも、 もうどうかこれ以上の悲劇はないようにと、 会に参加されたひと、 きっとみんな思ったように、 まだそこには、 希望があった。 けれど今月、 ハマスへの報復という、 これまでの文脈をもちこまない局所的な正しさを盾に、 ジェノサイドと呼べる、 そしてガザにいるひとに建物に大地に生き物、 なにもかもに無差別な、 イスラエルの攻撃が始まった。

9年前、またあと何度かの攻撃があったときも、 どのときも強く願った、 祈りであり未来への、 それがほのかでもの希望のひかりの瞬きは、 電気も水もネット回線も、 そうしたライフラインが停止した(イスラエルによって止められた)ことで、 また記者やメディアもガザ側へ入ることができない状況下、 実際目に見えない、 先もさっぱりわからない、 パレスチナの真っ暗な現実を前にして、 安心と平和へのひかりがいま、 自分の胸から消えてしまう。 あまりにもなこの事態を認めることができる理由なんて、 人間でいるならばない。 これはパレスチナ、 イスラエル、 国家間の問題じゃない。 これは戦争なんかじゃない。 ただただただただの殺戮と人間の尊厳の踏み躙り。 常軌を逸した暴力と破壊行為でしかない。

水や電気が数時間止まるだけで、 料理も洗濯もトイレもできないと、 わたしはどきどきおろおろとするのに、 ガザではいま、 そのぜんぶは困難に、 水も食糧もないままに、 それがいつ戻るのか、 戻ることないのかもわからない街の中を、 逃げられるのかもわからないで逃げるしかない。 明かりのないがれきやガラス散乱する道を、 こどもも大人も老人もあかちゃんも、 病人も妊婦さんも障害があるかたも
そこから離れたら生きてゆけなくなるいのちも、 無理をわかって、 追い立てられて
追い立てられた先にミサイルが注ぐ。 ありえない。 絶対に、 あってはいけない。

世界中で、 イスラエルのひとからも、 おかしいと声があがる。 東ティモールのひとは、 国の三人に一人が死んだから、 世界からおかしいの声が上がって、 戦争は終わったと、 映画 の中で話されていた。 そうなったらもう、 あまりにも遅すぎる。
いま、 世界からの声で、 この蛮行を、 止めないと。 インターネットで繋がり合うこのいまの時代なら、 たくさんのひとの命が失われる前に、 ネット上ならまだいま自由があるうちに、 ひとりひとりのおかしいの声、 一気に風船みたい大きく誰の目にもにふくらんで、 ストップとノーの叫びが、 風船が割れるように世界中で響き渡り、
そうして一分一秒でも早く、 ミサイルの注ぎや地上への侵攻を、 止めること、 やめさせることができるかもしれない。

いま起きていることは この世界にいるすべてのひとの責任に思う
みんな、 平和のための 命への責任を いま起きていること またどのことにも みんな、 みんなその責任を、  どのときも、 担っている。


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