今宵の月のように

エレファントカシマシ×森山直太朗の映像が流れるとの事なので、おそらく誰かが見てるのであろう、毎週時間になるといつもMUSIC FAIRに変わっているロビーの大きいテレビで観た。
…かったのだけれども、今日に限って音楽の日特番が流れていて、まあまあな人が画面に釘付けになっていたので、やむなく別の場所でひっそりと観た。
流れたのは「今宵の月のように」。たしか今年か去年放送の際のコラボだった気がする。
歌を聴き、映像を観、テロップに表示された歌詞を読むように口ずさむ。拳に力が入り、全身が硬直する。それとは反比例の如き何度も緩みそうになる涙腺。
音楽を聴いているとたまに思うのだけれど、何度も聴いている好きな歌に思いもよらないような場所で触れると何か込み上げてきそうな、或いは泣きそうになるのは何故だろうか。
まさに病棟の端のテレビから流れる「今宵の月のように」もそうだ。
耳にすっかり染み付いてるメロディ、口癖のように呟いている歌詞。知り尽くしてるはず、聴き慣れているはずの好きな歌がやけにとてつもなく大きくて強くて頼もしい。そしてやけに泣けてたまらない。
銀杏BOYZの峯田が昔入院した時に「フラカンは病院で聴くもんじゃない、…」とブログで書いていたけれど、なるほどこういう事なのだろうか。

束の間だったけれどもその感動と励ましは今の自分には大きなもので、大きな感動と励ましを得たからこそ、ロビーのテレビで見たかったなと思った。あの大きな画面と音と共に「今宵の月のように」が病棟は無理でも、少なくともロビーにいた人たちに向けて響いて欲しかったし、僕も見せたかったし聴かせたかったなと思った。もちろんそれは独り善がりで押し付けがましいとはわかってはいる。けれども、それほど他の誰かと共有したくなるくらいの歌と映像だった。
感動したり惜しんだりしながら席を立ち、やはりすぐ感化されたぼくは、長い髪をくしゃくしゃしながら、たまにポケットに手をつっこんだりしながら病棟をうろうろ歩く。
窓辺から曇天の空を眺めて、今日もここから遥か遠い場所で歌っているという宮本浩次の姿と、入院してから一度も見ていない夜空の月の姿を思ったりした。


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