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自分の中心から世界を見る

私はとても不思議に思いながら世界を見ている。
子供の頃からそういう風に見ていたことを覚えている・・・

ここは何かすごくおかしい世界だ・・

一般的な理屈はわかる。

日本の教育もメディアも、私たちに自分で考えることではなく、人に合わせること、みんなと同じようにすること、「思いやり」という言葉でぼやかして、自分より他者を大切にすることを教えてきたのだから。

最近は変わってきたのかもしれないけれど、テレビドラマや映画もそうだと思う。
静かな洗脳だと私は感じていた。
幸せとはこういうものだよ・・・とか。

だからほとんどのドラマは好きではなかったし、テレビは大人になってからはずっと見ていない。

洗脳というのは、多分意図的に目的を持って、そうしてきたわけだから・・・

誰が?どうしてこんなことするのか?と

いつも疑問が生まれてくるのだけれど、周りの人たちが疑問に思っていないように見えるのがもっと不思議だった。

洗脳されてきたのだとしたら、私たちを被害者と捉えることもできないわけではないけれど・・・

「周りを見て、みんながしているようにすれば間違いはない・・・
少なくとも、仲間外れにはならないだろう・・・
自分の意見を言って嫌われるよりは、みんなの中に紛れて、静かに微笑んでいた方が楽だし批判も受けない・・・合わせておけば丸く収まる。」

それが(多くの)人の頭の中なのだろうか。

小学校の時から多数決が採用されてきたわけで・・・
多数派が正しいという不思議な教育を受けてきた私たち。


「いつまでこれが続くんでしょうね〜?」と、今日もある人が、マスクを外でもしている現状について言ったので、「自分が外すまでじゃないかな?」と答えた。政府がSNSなどで流している「マスクを外では外しましょう」という広告なんて、もっとテレビで流さない限り、いや、テレビで流しても、変わらないような気がする。

自分が勇気を出して変わろう!という人が増えるまで日本は変わらない。

世界を見れば、もうどの国もマスクなんてしていないのに。

同じ菌ではないのか?

日本は、こんなにみんながマスクをしているのに、感染が拡大しているのはどうしてか?
不思議に思って自分で調べてみる人はどのくらいいるのだろう?
接種率は上がっているのに、どうしてこんなにいろんな病気で人がいつもより異常に多く亡くなっているのだろう?

テレビやネットニュースを見て、それを「自分で調べている」と思っている人はどのくらいいるのだろう・・・それは調べていることにはならない。

一方的に信じ込まされているだけかもしれない。

誰かが外したら、たくさんの人が外したら・・・その時、自分も外そう・・・

それが今の日本人なんだと思う。

自分がどう生きるかではなく、周りからどう思われるか。

きっとそういう人が多い。
そう育てられてきてしまった。

これからの子供達もそう育てるつもりなのだろうか?
同じことをし続けるのか?


「自分を大切にしてください、自分を守ってください、国民一人ひとりが大切です、あなたのことが大切です」とはこの国は言ってくれない。

それにみんな気づいているのかな?

「誰かに対する気遣いを・・・」と、そういう言い方をする。一見耳障りはいいけれど、私には脅迫のように聞こえる。

感染した人たちは、周りの人に申し訳ないと謝るのをよく聞くけれど、「あなたが大変な思いをした人なんだから、大変だったねって、他者から言われる立場のはずなのに謝るなんておかしいんじゃないの?」と私は思う。

変化には勇気がいる。

みんなが「No!」と言って、従うのをやめたらすぐに終わることばかりだと思う。

自分の気持ちを無視して、誰かのために選択をする。
そう誘導させられている。
それが愛だと勘違いさせられている。

クーポンとかポイント何倍付与とか、それは餌ではないのか?


もし、自分の選択が間違いだったと後で気付いた時には、きっとそういう人は他者か、国を恨むでしょう。誰かのせいにする。

それは結果的に全く他者への愛でもないし、自分に優しくもない選択だったのに。

そうさせられたと言うかもしれないけれど、いつでも最終的に選んでいるのは自分。

そして、自分と違う意見の人を批判したり、そういう人から離れようとするのも変だと思う。

ただの意見でその人の全てを知ったと思ってしまう。意見が違うと仲良くできないと思ってしまう。
あの人はそういう人、おかしい人・・・なんて言って、友達と噂したり・・・そっと離れていったり。

意見はただの意見、人の心は変わるもの。今そう感じているというだけの話。
そして何を感じても本人の自由なはず。

自分の考えを伝え合ってコミュニケーションして初めてお互いを理解し、尊重しあえるのに、勝手な思い込みで決めつけてしまうのは、
日本人の幼さだと思う。

考えはその人の本質ではない、
それは深い勘違い。

なぜそうなるのか、

自分で考えて選んでいないからだと思う。
自分の選択に覚悟と自信がないからだと思う。

だから「間違っていたらどうしよう・・・」とどこかで怖がりながら鎧をかぶって生きている。

私はそう感じる。

自分でよく考えて、よく調べて、真剣に選択して生きている人は、何かあっても誰かのせいにしない。

それが自立、自律だと私は思う。

電車の中や街の中で、マスクをしていない人を見かける時、そういう人は、なんだか背筋が伸びていて、覚悟を決めた強く美しい顔をしている。潔さを感じるキリッとした姿を見ると、あ〜この人は自分を生きているんだな・・・と思う。きっと自分でたくさん納得するまで調べ抜いたんだろう。そして決めたんだろう・・・と。

子供達は大人をお手本にして生きる。

小学校で13年間ボランティアでヨガを教えてきたけれど、今、子供たちは苦しそう。

「最近何もやる気が出ないか、イライラしてキレやすいか、どっちか感じている子は手をあげて」というと大体7割の子が手を上げる。

呼吸が妨げられて、自律神経のバランスが崩れている。
みんながマスクをしていて声も聞こえにくいし、人の顔も見えない。
黙食がまだ続いている。

大人たちは黙食してる?
先生たちやママたちは友達とレストランでおしゃべりしながら食べていないのか?

なぜ子供達にそんなことさせ続けるのだろう?


登校拒否や、鬱になっている人の方が正常だと私は思っている。

こんな異常な世の中では苦しくてやってられないと、ちゃんと自分の体と心がストップをかけたわけで、そのセンサーがまだちゃんと生きているということだと思うから。

感じる力があるということだから・・・それを力にしていってほしい。

日本人は、人の顔色ばかり見て、自分の意見を言わないから、平和なように見えて、人の心の中はどんよりと薄暗い。ストレスと怒りを抱え込んでいる爆弾のようだと感じることがある。

溜まった怒りをどこかにぶつけたいと待ち構えている人がたくさんいる。
お店の店員さんなどは、そのいいマトになってしまってかわいそうだと思う。

国も世界もとても危機的な状況の中・・・
私は悲しみより怒りを感じている。

目を閉じている間に誰かが世界をよくしてくれるなんて無い。
自分の世界は自分が変わるまでそのままだと思う。

私たちは自分の本当の力と尊厳を取り戻さないといけない。
何のために生まれてきたのか?
私はこの生き方でいいのか?
後悔はないか?
また黙っているのか?

私たちはみんな違う

違って当然
一人残らずみんな違うんだから

本当は敵なんてどこにもいない。
どこの国の人たちも、幸せに生きたい普通の人たちがほとんど。
戦争や分断を起こして自分たちの思い通りに世界を動かしたい一部の人たちが支配しているだけ。
この前ドイツ人の友人ともその話をして、同じ意見だった。

みんなが気づいて従わなくなったら、本当にあっという間に世界は自由になるのに。


先日小学校のヨガ指導の最後に「自分と同じ人間はこの世界に一人もいないのだから、誰かと自分を比べるなんて本当はできないし、しなくていいんだよ。自分が得意なこと、自分が好きなこと、楽しいと感じることをして生きていってね!」という話をした。「あなたたちの感覚はまだ生きていて、目の前の大人が嘘をついていたら、嘘だってわかるでしょ?その感覚は正しいから、自分の感覚を信じてね。」そういったら多くの子供たちが、ウンウンと、頷いているのが見えて、胸が熱くなった。

私は、優等生よりも不良でいた方がいいと思っている。
思考停止状態で、誰かに言われるまま人の顔色を見て自分の人生を魂を押し殺して生きるより、自分の足で立って、自分で考えて、自分の責任で生き切る方が、後悔しないと信じているから。

これは今の私の感じていること。

もしあなたが感じていることがあったら勇気を出して発信してみたらいい。
私とは全然違う言葉と思いを込めて。

光のタネを一緒に蒔いていこう。

無理はせず、自分のやり方で少しずつでも。

それではまた・・・

*メンバーシップ「光のタネ」では、皆さんに提案する日々のプラクティスと私の本音を日々更新しています。動画の配信も毎月あります↓



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