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誰もが「キュレーター」を名乗る時代へ——YAU SALON vol.10「まちとキュレーション、アートプロジェクトを語ろう」レポート

2023年4月26日、YAU STUDIOにて「YAU SALON」の第10回が開催された。

今回のテーマは「まちとキュレーション、アートプロジェクトを語ろう」。ゲストには、熊倉純子(東京藝術大学大学院 国際芸術創造研究科教授)、難波祐子(同大学キュレーション教育研究センター特任准教授)、酒井雅代(同大学キュレーション教育研究センター・コーディネーター)の3氏を迎えた。

アートマネジメントの第一人者である熊倉、国内外で活躍するキュレーターである難波、演奏家であり音楽プログラムを手がける酒井は、それぞれ都市というフィールドで多様な人と関わりプロジェクトを実践してきた。東京藝術大学(以下、藝大)で新たなキュレーション教育の現場を立ち上げたばかりの3名に、アートと街をつなぐヒントや、社会人がキュレーションを学ぶ重要性について聞いた。

当日の模様を、アートの書籍も数多く手がけるフリーランス編集者の今野綾花がレポートする。

文=今野綾花(フリーランス編集者)
写真=YAU編集室


■社会に開かれたキュレーション教育

イベントの前半では、熊倉、難波、酒井が、2023年度から藝大で本格的に始動したキュレーション教育研究センターについて紹介した。

「キュレーション」は、狭義では展覧会の企画を指す言葉だが、現代ではビジネス、編集、ファッションといった領域まで使用の場面が拡大し、社会に浸透している。こうした状況を踏まえて構想されたのが、キュレーション教育研究センターだ。

左より熊倉純子氏、酒井雅代氏、難波裕子氏

藝大ではこれまで、多くの美術館学芸員を輩出する美術学部芸術学科や、高度な専門性をもつ現代美術のキュレーターを養成する大学院国際芸術創造研究科といった場で、キュレーションにかかわる専門教育を行なってきた。反面、藝大に入学する学生の多くはアーティストや演奏家志望者であり、ほとんどがキュレーションに触れる機会を持たないまま卒業していく。このため、美術、音楽、パフォーマンスといった分野を超え、社会に開かれたかたちでキュレーションという営みを思考し、学べる場として、同センターが設立された。

2023年度は学内を中心として試験的に展開しながらも、授業の一部は今回のイベントの会場である有楽町のYAU STUDIOで行なわれ、社会人を巻き込んで大丸有エリアでのアートプロジェクトを実現する予定だ。将来的には、学生と社会人が共に学ぶ場となることを目指して、学内で議論を重ねているという。

同センターで開講する授業は、概論と演習に大別される。

概論のうち、「現代美術キュレーション概論」はおもにビジュアルアートの領域を担う。藝大の各科に所属するキュレーターの教員や海外のキュレーターを招いたオムニバス授業を行ない、学外からもオンラインで受講可能となる予定だ。「パフォーミングアーツキュレーション概論」は演劇を専門とする教員による授業で、今年度は学内のみを対象としている。

演習では、ビジュアルアートとパフォーミングアーツの双方において、社会人を巻き込みながらキュレーションの実践が行なわれる。

難波が担当する「展覧会設計演習」では、YAU STUDIOを会場として、学生と社会人が大丸有エリアでアートプロジェクトを行なう。キャンパスを飛び出して街を歩きながら、自由に議論して企画を組み立てていくという。酒井が担当する「アートプロジェクト 音楽・身体・福祉」では、音楽を題材としたアートプロジェクト「ムジタンツ」(音楽=Musikとダンス=Tanzを組み合わせた造語)を核に、同じくYAU STUDIOの場を用いた実践を予定している。

授業は全学を対象としており、今年度は器楽科や工芸科、1年生から大学院生まで、幅広い学生が履修を希望している。普段は専門的な世界で学ぶ藝大生が学科や学年を超えて集まることで、多様なバックグラウンドが交わり、外部との相互作用も生まれるだろうと酒井は期待を寄せた。

■アーティストにこそキュレーションが必要である

キュレーションを横断的にとらえ、美術、音楽、パフォーマンスといった幅広い領域を扱うだけでなく、大丸有エリアを舞台に、社会や経済と接点をもって展開していくキュレーション教育研究センター。これまでにない挑戦はなぜ始まったのか。聴き手を務めたYAUプロジェクトチームの深井厚志が、構想の背景にあった問題意識をあらためて熊倉に訊ねた。

芸術を専門とする国立大学として140年の歴史を持つ藝大は、これまで「トップアーティストの輩出」を最大のミッションとして掲げてきた。しかしトップアーティストが教育の成果として現れる時代が過ぎ、大学院国際芸術創造研究科の設立といった変革を経て、多くの教員が社会とつながる必要性を訴えるようになったという。このため現在では、「社会との共創」を新たなミッションに据え、組織として芸術が社会においてどのように機能しうるかを考えるようになったという。

また、同センターの構想に際して音楽学部も対象とした理由として、これまで音楽の世界においては、社会と関係を結ぶための教育が見過ごされがちであったことが挙げられた。とりわけクラシック音楽の世界には、キュレーターのような第三者が共同で企画を考える慣習がないという。キュレーションという概念を要としてこうした認識を変えるべく、同センターは全学対象としてスタートした。

美術家や演奏家が自身の技術を社会で活かすためにも、「アーティストにこそ、つなぐという行為=キュレーションの意味を考えてほしい」と熊倉は強調した。

■まだ見ぬ価値を経験できる形で立ち上げる

イベントの後半では、ビジネスマン、アーティスト、行政職員など、さまざまな参加者とゲストが意見を交わした。

はじめにYAUの企画を手がける編集者から、センター設立の理由として、大学側の問題意識と学生のキャリア観の変容、どちらがより大きいかという質問があった。

熊倉は両方だと答えた。藝大には個々の分野で高度な専門性や技術を磨いていく伝統があるが、裏を返せばキャリアシフトの選択肢がなく、学生が異なる道に進みたいと考えても行き場がなかった。今日では培った技術を異なるかたちで社会に活かしたいと考える在校生や卒業生が増えており、学生自身にチャンネルを増やさなければという危機感があるという。

同様に、教員側も変化していると熊倉は指摘する。熊倉自身が「芸術と共創する社会」を掲げてアートマネジメントや文化政策を手がけてきた第一人者であり、昨年学長に就任した日比野克彦も市民参加型のプロジェクトに長けたアーティストだ。学生と教員、双方の考え方の変化がセンターの設立につながっていると述べた。

続いてYAUの深井から、アートプロジェクトの実践とキュレーションの境界をどう整理しているのかという問いかけがあった。

難波は両者の区別は難しいといい、現代美術自体が領域横断的であることをその理由に挙げた。自身もキュレーターとして展覧会だけでなくアートプロジェクトを手がけてきた経験から、明確に違いを区別することはできないとした。

熊倉は「翻訳」という観点から違いを示した。狭義のキュレーションには最新の理論を踏まえた深い専門知が必要であるいっぽうで、他の領域に伝えるための「翻訳」が不可欠というわけではない。それに対して、街なかで展開されるアートプロジェクトにおいては、「アートにまったく興味のない人」に対して言葉を翻訳できなければ仕事にならないという。しかしいずれも「まだ見ぬ価値を経験できるかたちで立ち上げる」仕事である点は通底していると語った。

有楽町で働くビジネスワーカーは、組織でキュレーションを担う人材を探してきた立場から、時代の変化や個の力の限界を感じるといい、同センターにおいて団体で行なうキュレーションといった展開は考えているか問いかけた。

熊倉は、当面はそうした考えはないものの、ビジネス側のつなぎ手を育てることで「キュレーターではない人がキュレーターにアウトソーシングするシステム」が実現できるのではないかと可能性を唱えた。また団体という観点から、将来の目標のひとつとして、全国で孤軍奮闘する美術館学芸員がつながる場をつくることも同センターの責務だと表明した。

酒井は自身のプロジェクト「ムジタンツ」を例に、異なる専門性を持つ人がチームに加わる重要性を語った。音楽家が集まることで豊かなアンサンブルが実現するように、近年ではコレクティブの潮流が広がり、ひとりでは請け負えないことを複数人で請け負うスタイルが浸透しつつある。同センターで共創の場をつくることで、これまで出会わなかった人たちがチームになり、新しいものが生まれるはずだと展望を示した。

■それぞれの専門知でアートを解釈する

対話が進むにつれて、政治や行政といった領域とキュレーションの関係にも注目が集まった。会場のアーティストからは、キュレーションは社会とのつながりのなかで新たな機能を獲得しつつあるものの、政治的な問題を直接的に解決できるわけではないとして、同センターの人材育成の対象には政治家のような人々も含まれるのかと訊ねた。

熊倉は「30年続けると、目に見えないところで人々の意識が変わっていく」と政治の変化について実感を語り、一例として、藝大が市民や行政とともに実施する「取手アートプロジェクト」において、過去社会人向けの講座に参加したサラリーマンがのちに取手市の市長になったことを挙げた。

最後に被災地で芸術文化のプロジェクトを担当する行政職員から、行政がキュレーションを理解するための教育的アプローチを考えているかという質問があった。

熊倉は「やってみるのが一番。ぜひセンターの『展覧会設計演習』に参加して」と後押しした。同センターで学ぶことで、専門的な知識だけでなく、キュレーションの一面である「多様な人の知識を投入し統合する感覚を磨く」経験ができるという。そして、行政に限らず、仕事を通じて社会の理不尽さを経験してきた多くの人にとって、「アートを解釈することはそれほど難しくない」と熊倉は保証する。

鑑賞者はアートの専門家でなくとも、誰もが各々の職能と専門知を持っている。誰もがアートに自身の知見を投影する楽しみを知り、アーティストやキュレーターとともに場をつくれば、新たな価値観を紡いでいける。そんな熊倉の総括で対話は締めくくられた。

ディスカッションでは参加者から途切れることなく質問が寄せられ、多様な立場においてキュレーションやアートプロジェクトが我が事としてとらえられていることが伝わってきた。なかでも終盤に熊倉が述べた「芸術文化は誰にでも関係のあるもの。専門家任せにせず、自信をもって携わってほしい」という力強い言葉は、これからアートに携わろうとする人々を勇気づけるものだろう。



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