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社会の画一化を揺るがせ、多義性をもたらすアートの役割——YAU SALON vol. 15「アートとビジネスの境界 ~”アーティスト目線”を考える~」レポート

2023年8月23日夜、有楽町ビル10階のYAU STUDIOを会場に、YAU SALON vol. 15「アートとビジネスの境界 ~”アーティスト目線”を考える~」が開催された。

「YAU SALON」は、各ジャンルのプレイヤーがホスト役となって、都市とアートにまつわるテーマを設定し、参加者と意見を交わすトークシリーズだ。第15回は、企業とアートのコラボレーションに異なる立場で関わるゲストを招き、ディスカッションが行われた。

登壇したのは、テレビ朝日ビジネスプロデュース局ビジネス推進部兼コンテンツ編成局メタバース部に所属し、同社でアート関連の企画を実現させてきた織田笑里と、国内外で活躍するアーティストであり、広告代理店のアートディレクターとしてクライアントワークも受ける磯谷博史。自身の仕事や現場から見た領域の違いについて、実経験を交えて話した。

当日の模様を、アート関係の記事執筆を手がけるライターの近江ひかりがレポートする。

文=近江ひかり(ライター)
写真=Tokyo Tender Table


■「語り尽くせないもの」としてのアートを発信

ともに企業に籍を置きながら、アートとビジネスが交錯する場に関わってきた二人。まずはそれぞれがこれまで手がけた事例を紹介した。

織田笑里氏

テレビ朝日の社員である織田は、番組宣伝や動画配信事業に携わった後、アート関連の番組プロデュースやイベント運営など新規ビジネスを担当している。きっかけは「テレビ業界に長く身を置き、今後のメディアのあり方を考えるなかで、教育やXR(クロスリアリティ)領域とともにアートに注目するようになった」こと。アートは「ロジカルに語り尽くせない人間らしさがある」と感じているという。利益が求められるビジネスの世界で企画を推進するのは簡単ではないが、面白さも感じていると語った。

社内プレゼンテーションから実現させた例として紹介したのは、プロデューサーとして携わった番組『アルスくんとテクネちゃん』(2020-21)だ。小林健太や目 [mé]ら、現代アート領域の若手作家が毎回出演し、活動を紹介。さらに、出演者が海外での活動に役立てられるよう、配信向けに英語字幕を付けた完全版を制作するなど、業界への還元も意識した。

現在進めるのは、テレビ番組の美術セットの廃材をアートとして活用する「art to ART Project」だ。BtoBの事業を行なうことで収益性を担保しながら、ビジネスとして持続可能な仕組みをつくることを目指し、異業種の企業とも協働してワークショップなどを実現させてきた。

今年9月には「ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023」(東京都港湾局が事務局を務めるアートプロジェクト実行委員会が主催)の企画運営責任者も務めた。背景には、有明に新施設を建造中の同社が、発信力を生かしてまちづくりに貢献する目的がある。従来のマスメディアなどにおけるアート事業は、企業として出資やPRを行い、企画の内容への関与が薄いことも多い。しかし本企画では、アーティストと近い関係性を築くことを重視。キュレーターやアーティストの選定にも携わり、吉田山や石毛健太ら、先進的な顔ぶれが揃った。

織田を突き動かしてきたのは、「人を吸引する力がアートにはある」との思いだ。「メディアはわかりやすさを優先しがちだが、想像力を育む表現も必要なのでは」と感じ、アートを業界に引き込む活動を積み重ねてきた。「ロジカルに説明しきれないものが人間らしさなら、アートはその象徴の一つ。人は『わけのわからないもの』に惹かれ、集うこともあると感じている」と実感を込めた。

アートとビジネス、企業と個人という、二項対立ともされがちな構造の狭間に身を置きながら、メディアと社会の未来を見据え、その接点を探してかたちにしてきた経験が語られた。

■アートもビジネスも「調整しながらつくる」

磯谷は今年5月に東京都庭園美術館で開催されたイベント「PRADA MODE TOKYO」内のグループ展に出品するなど、国内外で活躍するアーティストにして、広告代理店に勤務するアートディレクターの顔も持つ。

磯谷博史氏

企業においては「造形だけではなく態度を定着させるような案件を受けることが多い」という。実例としてあがったのは、ブランド「discord Yohji Yamamoto」のディレクション。「経験を含めたデザイン」として、引っ掻き傷を使ったロゴや、タトゥーシールからインフォメーションにアクセスできる仕掛けを提案した。映像や写真撮影を担当することもあり、ブランド「CFCL」のビジュアルを制作した際は、服の内側を撮影するなど「洋服を器ととらえる」というブランドの思考を写真で表現した。

自らの作品を発表するアーティストと、クライアントの依頼をかたちにするディレクターやデザイナーでは、制作プロセスは異なるが「写真を使った作品を見て、通常のビジュアル制作と違うアプローチを求め、アートディレクションの依頼をしてくれる方もいる」という。自由な発想を期待されることが多いが、ビジネスとして進めていくなかで制限が出てくるケースもあり、作家活動とは違う緊張感があると語った。

しかし、アート作品に制限が少ないわけではない。ポーラ美術館でコレクション作品と新作をともに展示した「シンコペーション展」(2019)や、森美術館でのグループ展「六本木クロッシング2019展:つないでみる」を例に挙げ、「ポーラでは、観客の集中力配分の観点から作品サイズを大きくした方が良いと美術館側から意見があり、議論を経て変更した。森美では柱がある部屋を割り当てられ、それも含め作品プランを考えた」とエピソードを紹介した。美術展にもキュレーターの意見やスペースなど多くの条件があり、それに応える調整作業はクライアントワークとも通じると指摘する。

領域にこだわることなく、他者との関わりのなかで制限を受け入れながら制作する姿勢がうかがえた。

■多義的なロジックで提案する

アートとビジネス両方の世界で制作してきた磯谷と、ビジネスの世界にアートを取り入れるため尽力してきた織田。個々のエピソードが語られたところで、後半のディスカッションとなった。

聞き手を務めたYAU運営メンバーの深井厚志氏

まず織田が磯谷にアーティストの定義について質問を投げかけ、「そもそもアートとビジネスが対極にあるのかは不可解。どちらの世界も行き来してどう感じるか」と問題提起した。

磯谷によれば、近代以降の美術は学校教育として体系化された学問領域でもあり、必ずしも天才だけのものではなく、学べるものだ。「人間とは・世界とは何かを問う方法の一つとして美術がある。表現は内なる感情を叩きつけるものとイメージされがちだが、ロジカルな面も大きい」と説明。そのうえで領域のつながりについては「美術が公共に開いていく過程において、ビジネスにリンクすることもあると思う」と分析した。

磯谷が語るロジックとは、一個の答えに帰結させない多義性を含むものだ。徳島県の「神山まるごと高専」の開校に伴いデザインを手掛けた事例を挙げ、「何も決まっていない段階でロゴをつくった」と振り返る。当時学校のあり方に関する議論が煮詰まりがちだったが、太陽を連想させる余白を生かしたロゴが出来、目指す学校像が視覚化されたことで話し合いが再燃していったという。「視覚芸術という言語が提案できる人として、アーティストがいる」と自らの仕事を解釈した。

それに対して織田は、写真を撮る場合を引き合いに出し「構図はロジックでも、良い画を判断するのは感覚では」と、作品には造形するうえでの戦略や理論と、説明しきれないものが共存することを指摘。アートの「ロジカルさ」がどこにあるのか、それぞれの立場からの捉え方の違いが明らかになった、興味深い議論が展開された。

そういった語りえない部分にアートの魅力を見出してきた織田は、ビジネスの世界でどのように企画への理解を得てきたのか。

SNSが発達し、マスメディアばかりが情報の発信者である時代ではなくなるなか、これからのメディアが向かうべき場所へのヒントがアートにあると思い至ったのは3年ほど前のことだ。その後、写真家や研究者らが運営する、写真を軸にしたプロジェクト「TOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCH」に参加し、作家や関係者との人脈を広げてきた。「目先で儲かるかより、人にとって必要かどうか。アートの視座を意識する人が増えたとき、コンテンツのつくり方やメッセージが変わり、アートと重なってくると確信がある」と語り、それを確かめたいと考える。

またそれだけでなく、企業としてのビジョンも必要だ。「資本主義が終わりに向かういま、アート事業は新しいビジネスのかたちともなりうる」と、会社の課題を解決するメリットのほか、新しいテクノロジーや若手作家の支援など、次代につなげる取り組みとしても事業の意義を打ち出してきた。これに対して磯谷も、「ビジネスは本来イノベーティブであるべきなのに、利益を求めるうちに画一化しがち。そこから脱却するために、提案の技法である美術の視点でできることがある」と同意した。

■わけのわからないものの必要性

会場からは織田に「マスメディアとして、『わけがわからない』アートを扱うことをどう考えているか」との質問が出た。

織田は「アート村があるとして、私にできるのは入り口まで連れて行くこと」と回答。難解でないものにしながらも見方を決めつけず、視聴者自身の関心に委ねる余白は残したいと話した。磯谷は「『わけがわからないもの』の引き受け方に関わる解釈と寛容さは、美術史上でも長く議論されてきた」と指摘し、「狂気じみた作品や作家が国際的に刺さりやすいのは、西洋中心主義を打破しようとする美術史のなかで、『周縁的なもの』が求められやすいから。その構造は、企業が人間の活動をどう取り込むかという課題とも相似性があるのでは」と議論を展開した。

さらに「チームと個人で制作する際の違いは?」と質問されると、磯谷は「個人の制作でも複数の視点を持とうと心がけている」として、アイデアスケッチを立体でつくって写真に撮る、寝て起きてから企画書を読み直す、誰かに意見を聞くなどの普段の制作方法を紹介した。いっぽう織田はアーティストと協働の仕方について「タレントとの仕事と同じで、相手に対する想像力、思いやりを大事にしている」と、互いに動きやすい状態でチームをドライブさせるための考え方を話した。

最後の質問は、アートとビジネスのあいだで仕事をする難しさややりがいについて。これに磯谷は、「仕事相手がアーティストやディレクターに対する固定観念を持っている場合に難しさを感じる」と答えた。また、ビジネスでは直近の目標達成を目指す場合が多く、長い歴史を意識した美術作品とは見据える時間軸が異なる。「アートでは作者も作品の全部をわかっているわけではなく、人の数だけ答えがあって、作家にもそこからアイデアのフィードバックがある。広告におけるコミュニケーションデザインはすべての人が等しく理解できるよう伝える技術」と語った。社会全体が多義的では成り立たないからこそ、アートは必要なジャンルだと考えている。

織田は、「私は好きなものを客観的に説明できる、いわば『社会性のあるオタク』がかっこいいと思っているので、自分もそうでありたい」とアートを扱ううえでの心構えを語り、社内でおすすめアーティストを紹介する活動が好評だった経験を話した。

アートとビジネスをテーマとしてきたYAU SALONのなかでも、今回は双方の世界に現在進行形で深く関わる登壇者の実感が語られた点が特徴的だった。それぞれの視座により、アートをどう捉えるかや、価値を見出す部分の相違が明らかになったいっぽう、ゆらぎや多義性をもたらすという、ビジネスとの関わりにおけるアートの意義も指摘された。多くの人と関わりフレキシブルに活動する二人の姿勢からは、アートとビジネスは決して対立概念ではなく、この先さらに新しい関わり方が生まれていくことが予感させられた。




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