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アルツハイマー型認知症の治療の一つにアートセラピーを

医学の発展により、アルツハイマー型認知症をはじめ各種認知症が引き起こされる原因や脳内のどのエリアが影響しているのかが研究・解明されるようになってきました。

それに合わせアートセラピーの分野でも、認知症に特化したアートセラピーアプローチの研究が進んでいます。

ロサンゼルスのアダルトデイケアセンターに勤務時代、現在理解されている脳の仕組みや情報を元に設計されたアルツハイマー型認知症患者さんを対象にしたアートセラピープログラムがあり、わたしはアートセラピストの一人として幾つかのプログラムを二年半担当していました。

この記事では、アルツハイマー型認知症の方に向けてアートセラピーをどのように活用することが出来るのか、そのアプローチや目的を紹介したいと思います。

そもそもアルツハイマー型認知症とは?

「物忘れ」が大きな特徴のアルツハイマー型認知症は、主に物事の実行機能や作業記録を司る海馬 、嗅内皮質、前頭前野のエリアの神経細胞がダメージを受けて死滅してしまうことで認知や記憶に障害が出てしまう病気です。

特に、学んだばかりの新しい記憶(ショートタームメモリー)や作業記録(ワーキングメモリー)を忘却してしまう場合が多く、同じ話を何度も繰り返したり、ついさっき来たばかりの道に迷ってしまうこともあります。一方で、長年培ってきた経験による知識や昔からの記憶(ロングタームメモリー)は、比較的進行が進むまで残っていることが特徴です。そのため、症状が軽いうちは過去の記憶を頼りに通常通りの生活を続ける方もおり、家族が認知症になかなか気づかないこともあります。

人により、脳のどのエリアが一番影響を受けるのかには大きな個人差があるため、アルツハイマー型認知症と診断されても、上記のように新しい情報の物忘れから始まる人もいれば、言葉が出てこないなど言語障害から症状が始まる方もいます。

そして、アルツハイマー型認知症は進行型の病。そのため、患者さんの認知症の進行ステージによって、目的とする心のケアも、その治療方針も大きく変わってきます。

初期ステージのアルツハイマー型認知症患者さんの心のケア

アルツハイマー型認知症初期ステージの症状の特徴

初期ステージのアルツハイマー認知症の患者さんには、通常の生活が送れる程の軽度の認知・記憶障害が見られます。しかしながら、度重なる物忘れへの自責の念や今後に対する大きな恐怖や不安、否認感情など、認知症の進行が進んだ人よりも深刻な精神的苦痛や葛藤を抱える方が多いことが指摘されています。また、社会的地位の高い職業をされていた方には、恥の感覚やプライドが崩れ去っていくような、怒りの感情や自己喪失感を強く味わう方も。

そして、本人の精神的苦痛とは裏腹に周囲や家族からはなかなか理解されにくい状況も手伝って、人との交流を避けたり無力感や鬱(うつ)に苛まれたり、社会から孤立してしまう方が多く見受けられることも、この初期ステージのアルツハイマー型認知症患者さんによく見られる特徴です。

そのため、対話を通じて、自分の病気への向き合い方やそれに伴う様々な心の葛藤を一緒に消化していくことが、心のケアへとつながります。

また、車の運転の是非や今後の介護のことなど日常生活を続けていく上での実用的な事柄に対する決め事、症状の進行に伴って予測されることや今後についてを家族と共有し合うにはとても大切な時期であります。そのため、家族を交えたミーティングや夫婦カウンセリングなども、この時期に受けられることを強く推奨するセラピストもいます。

アルツハイマー型認知症初期ステージの方へのアートセラピーの特徴

自分の記憶の衰えを日増しに感じながら生活するクライアントさんは、周囲にはなかなか相談出来ないような葛藤や複雑な気持ちを抱えています。そのため、対話の心理カウンセリングと同じように、気持ちを引き出していくような目的のもとアートセラピーを使っていきます。

世代感覚も手伝って「アートなんてやりたく無い」という方には、通常の会話のカウンセリングが出来る場合であれば、無理してアートセラピーを使うこともありません。しかし、あえてアートを使う効果もあるのです。それらの効果を以下の3つにまとめてみました。

1)言葉を発するプレッシャーを和らげることが出来る

初期の認知症患者さんの中には、ふとした言葉や単語が出てこないといった、ちょっとした会話の中にストレスを覚える方もいます。アート制作が加わることで少しリラックスすることも、良い意味で気持ちが紛れる場合も。制作しながらのカウンセリングは、「言葉を紡ぎ出さなければならない」というプレッシャーを与えにくい効果があります。

2)無意識のうちに抱えている気持ちが表に出てきやすい

アートセラピーの醍醐味は、なんと言っても、自分でも気づかなかったような気持ちや考えが、目の前に作り出された視覚情報を通じて表面化されることです。特に、認知症発症率の顕著な高年齢の世代の方は、よっぽどアーティストだった方などを除いて、認知的・論理的に物事を整理される方が多く、感情を上手く抑制する術を持っている場合も。そのため、ささっと描いた目の前の絵や、イメージを通じて思った無意識を口にする瞬間、というのは、認知的思考に隠れて見えてきにくい感情や本音がポロっと出やすいのです。

3)グループアートセラピーを通じて仲間のサポートを体感出来る

アートセラピーは、グループで行うことにも大きなメリットがあるのです。それは、なんと言っても「触(さわ)れる感覚」。グループのメンバーの話を聞いて共感したりアドバイスをあげたりサポートしあうことは会話のセラピーでも可能ですが、アートセラピーは、その話した内容が、視覚表現媒体となって目の前に残ります。特に、アートの場合、個人で作ったアート作品を最後に一つなぎにしたり、グループの集合体としてディスプレイすることで、グループの形を体現することが可能です。これは、グループのメンバーが、一緒に一つの問題に向き合うチームなんだ、というサポートの絆を実感出来る素晴らしい機会となります。個人差が強く、一人で孤独に戦ってしまいがちな『認知症』に、仲間がいることを実感出来た時の心強さをアートセラピーは提供することが出来るのです。

後期ステージのアルツハイマー型認知症患者さんの心のケア

アルツハイマー型認知症後期ステージの症状の特徴

認知症の進行度合いがかなり進んだ患者さんは、記憶障害や認知障害が進み、対話どころか日常生活が介助なしに出来ないことも増えてきます。

日常的な簡単な作業が思うように出来なくて外出や好きだった活動が億劫になって諦めてしまい無気力になってしまうことも、周囲の話し声が煩わしく聞こえてしまい一人部屋に閉じこもってしまうことも。気分の落ち込みや鬱が拝見される場合もとても多いのです。

また、今までのような会話が出来なくなって、周りもどう接したら良いのかわからず対人関係が薄れてしまった方も見受けられるのもこのステージの特徴です。

人は共同体で生きてきた動物です。共同体社会の一部、他人とのやり取りに見出す喜びが欠如してしまいやすいのがこのステージにある患者さんの特徴とも言えるかもしれません。喜びや外部からの刺激が少なくなってしまうと、脳がどんどん使われなくなってしまい、さらにアルツハイマーの進行が進んでしまいます。そのため、このステージの患者さんへの心のケアは、他人との温かな人間的なやり取り、そしてそこから生まれる喜びを共有するような体験を引き出すことに注目します。

アルツハイマー型認知症後期ステージの方へのアートセラピーの特徴:

自分一人で出来ることが限られてしまうアルツハイマー型認知症後期ステージの方には、一対一のスタジオタイプのアートセラピーが適しています。

スタジオタイプのアートセラピーとは、クライアントが各自自分のアート制作を自由に行うスタイルのアートセラピーのタイプを指します(これについてはまた違う機会に書いてみたいと思います。)

一人のアートセラピストが、患者さんに付き添って絵具の交換をしたり、筆をこまめに洗って差し出してあげたり、アウトラインを描いて、簡単な指示をしたり。患者さんの隣に座って、付きっきりでアート制作のサポートをします。

手を動かし、イメージを見ながらのアート制作は、脳の様々な部分を刺激します。それは、患者さんの様々な過去の記憶を思い出すきっかけになります(忘却が遅いロングタームメモリーを引き出すことを行います。)若いセラピストが一緒だった場合は、患者さんはセラピストを自分の孫に関連付けて喜んで孫の話をする時もあるでしょう。このような、会話のやり取りを一緒にしていくうちに、徐々にアート制作の時間が一週間のうちの楽しみの時間になります。

少しでも、脳に刺激を、患者さんの心に喜びを。これが後期ステージのアルツハイマー型認知症患者さんに使うことの多いアートセラピーの形です。

アートセラピーは脳科学の発展と共に効果が実証されてきている

昨今の脳神経の研究から、年を重ねても、人間の脳は、神経新生 (neurogenesis)を行っていることが知られてきました。そのため、生き残っている細胞を刺激し活性化させ新しい細胞と繋いでいくことで、脳細胞死滅の進行を遅らせる効果がある、と認知症の研究者達は提唱しています。

アートを始め人が親しんできた芸術活動は、アルツハイマー型認知症というとても辛い病気に対する大きな心のケアの役割を果たします。そして、病気の進行を少しでも抑えるための神経細胞の活発化を促す役割も担っています。

これからも、アルツハイマー型認知症に限らず、認知症治療とアートセラピーに関すること、様々紹介していきたいと思っています。長文ですがお読みくださりありがとうございました。

おすすめ書籍

本記事を書くにあたり、参考にした本の一覧です。(注:Amazonアソシエイトプログラムを利用しています。)


Hass-Cohen. N., & Carr. R. (2008). Art therapy and clinical neuroscience. Jessica Kingsley Publishers. Philadelphia: PA

Malchiodi, C.A. (2007). The Art Therapy Sourcebook. 2nd. McGraw-Hall. New York: NY.

Perry Magniant, R.C.(2006). Art Therapy with Older Adults: A Sourcebook. Charles C Thomas Publisher, Ltd. SPringfield:IL.

Siegel, D. & Payne Bryson, T. (2012). The whole brain child: 12 Revolutionary Strategies to Nurture Your Child's Developing Mind. Random House, Inc. New York: NY.

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