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ビアズリーで現実逃避を

社会生活では、品行方正で真面目でいることが良しとされます。
でもそれだけでは疲れてしまいますよね。
堅苦しい現実から逃げたくなったときには、耽美な絵画がぴったりです。

今回紹介するのは、19世紀末のイギリスを生きた画家オーブリー・ビアズリー。
彼の絵はまさに耽美。見ているだけで別世界にトリップさせてくれます。


ビアズリーの作品の多くはモノクロームのペン画です。

ペン画は、何といっても線の表現がものをいいます。
ビアズリーの線は滑らかでまるで流水のよう。
カラーではなくモノクロであることで、線の描写の見事さが強調されています。

彼の作品を見てみましょう。

『サロメ』より「黒いケープ」

真っ白な画面と黒い衣装の対比が目を引きます。
衣装のシンプルな輪郭線の中は黒く塗りつぶされていて、黒い色紙が貼ってあるかのようです。


『The yellow book, vol. 3』より「ワーグナー崇拝者」

黒く塗りつぶされた画面の中、わずかな白い線の余白で座席や人物を描き分けています。


『Under the Hill』より「abbe」

先の2作とは違い、余白がほとんどありません。
樹木の点、枝や茎、衣装の線、細かすぎて息が詰まりそうなくらいです。


大胆な輪郭線が引かれている作品もあれば、点描のような細かい描写もあり、その表現はまさに自由自在です。



ビアズリーは、戯曲『サロメ』の挿絵を手がけたことで一躍有名になります。

戯曲『サロメ』は、旧約聖書に出てくるサロメという女性を主人公にした、刺激的なストーリーです。

ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者は不吉な言葉を喚き散らして、妃から嫌がられている。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて、預言者を見てしまう。そして彼に恋をするのだが、預言者のほうは彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりである。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。

エロドはサロメにしつこくダンスをしろと要求し、何でも好きなものをほうびにとらせると約束する。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れて断るエロドだが、サロメは聞き入れない。あきらめたエロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。

「サロメ(戯曲)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2022年7月23日 (土) 2:41 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org


しかし、もっと刺激的なのがビアズリーの挿絵でした。

『サロメ』より「踊り手の褒美」


見たことある人も多いのではないでしょうか。
魔女のような顔のサロメ
血が滴り落ちる首
グロテスクでありながらも強く惹きつけられます。
一度見たら二度と忘れられない絵です。

『サロメ』より「ストマック・ダンス」


『サロメ』より「サロメの化粧」


ビアズリーのサロメは、実に美しく魅力的な女性です。
しかし、ただ美しいだけではありません。
サロメの卑猥さ、邪悪さがこれでもかと描き出されています。

彼が活躍した時代、つまり19世紀末のイギリスは、保守的で道徳にうるさく、特に性に対する圧力が強い時代でした。
(女性が腕や足を出して人前に出ることなど許されていませんでした。)

そんな時代の中、ビアズリーの描くエログロなサロメに、イギリス中が夢中になりました。
現実では許されない不道徳な欲望を、サロメが体現していたのです。


当時は芸術にも道徳的メッセージを盛り込むことが良しとされていました。
しかし、彼の作品には道徳や社会的な主張などは全くありません。
むしろ清々しいくらい退廃的な雰囲気に振り切っています。
(ここで紹介するのはやめておきますが、ビアズリーの作品の中にはあからさますぎる性表現もあり、非常にスキャンダラスでした。)

悪趣味なのに美しい、綺麗なのに醜悪。
ただのキレイで終わらないからこそ、ビアズリーの絵は強烈に心に刺さるのです。

何かと窮屈なこのご時世。
ビアズリーの背徳的で甘美な世界観は、まさに現実逃避にピッタリです。



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