見出し画像

不器用が利点に変わったこと

今となっては言いたいことも
伝いたいことも
思ったこともすべて
赤裸々に話せるようになってきた。
でもね、ここまでの道のりは
正直ものすごく過酷だった。
今では笑い話のように話せるけどね。

過去の自分ときっと同じ気持ちな人
今たくさんいるんじゃないかな。
そう思うから少しでもそんな人の
背中を押せたらなって思って書いてみます✨

平成元年生まれの私は、【ゆとり教育】と
言われ始めた始めの頃だった。
そう言われつつも昭和の厳しい風潮は
決してなくなっておらず、
どこがゆとり教育なの?と思うくらい
厳しい学生時代だったと思う。
きっと厳しい学生時代の本当に
終盤だったのかもしれない。

ゆとり教育を感じたのは、
日曜日休みから、土日休みになったよー!
って言うところくらいかな。

そして私はバリバリの年の離れた
三姉妹末っ子。
昭和の風(*昭和をディスってるわけではなく世間では厳しく育てられ忍耐力のあるかっこいい時代の方々ってことです。)は家庭にもかなり吹かれてる頃で

末っ子は黙って姉と親について来い!風な
雰囲気しかなかった。
イコール私の権限は一切なかった。
イコール言いたいことが言えない
子供に育ってしまったのです。

自信なんてどこにもなくて、
むしろ何をするにも恥ずかしいしかなかった。
そのくらい、自分の行動を見られることも
何か言われることも恐れてたんです。

だからいつの間にか、
自分の吐き出し口はノートになってた。
伝えられる人もいない、
伝えられる家族もいない、
ネットなんて普及してないし、
電話は固定電話のみ。

友達はいつも犬とノートだった。
犬はいつのまにか自分より目下の存在として
ストレス発散のために色々しつけて命令をして
イライラを落ち着かせてしまっていた気がする。

今となっては可哀想でしかなかったな。
それからノートは自分の脳内をすべて
言語化してくれる
大切な存在だった。

それがいつの間にか、
本当に導かれるように人前で
発言する機会をたくさんいただき、
ネットで発信する側になり、
全国を飛び回るようになり、
一旦落ち着いて、今に至る。

苦しかった思い出は、
今の、要は未来の自分を
生きやすくするんだって思った。

あの苦しみがなかったらきっと
こんなに今自分らしく生きられてないから
だから、こうして日記をかいていること、
noteで読んでくださる方がいること、
コメントをくださること、
嬉しすぎてどうしようもないくらい幸せなんです。


大人になったころ、
私は承認欲求の塊でした。
認められたい。とにかく多くの人に認められたい。
そうじゃなきゃ壊れそうだったから。

幼少期の何も言えなかった頃の
きつい状況の反動のようにそれはやってきた。

おかげで20歳から30歳までも
まぁ大変だった。
赤裸々に語れば騙されるし、
だからと言って疑えば嫌われるし、
人は離れていく。
右往左往したからこそ今、
判断する技を少し磨き上げられたんだと思う。

だからね、思うの。
自分の辛かったことを素直に受け入れて
公表していくと必ず理解者は現れ
自身が1番望んでいる方向へと
導いてもらえると言うことを。

それはそれは
ありがとうでしかない日々だよ。

だからね、
あなたの不器用さが、利点になること
たくさんあるってことを決して忘れずに。
その利点は実は
え!?こんなことが?
ってことがほとんど。

自分にできて相手にできないこと
たくさんあるの。
あなたの魅力が
あなたを幸せになる糧になりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?