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英語コーチング(4)寄り添うってなんだろう

英語公開コーチング4回目~今までの経緯

これは、シンガポール在住、英語学習奮闘中の私(藍子)が
初めてグリーフケア(深い悲しみ、主に大切な人を亡くした方へのケア)に関して、英語で話すことになりそうなご縁をいただき
その準備のために、慶子さんが英語のコーチングをしてくださっている…
というのがこの経緯となります。

前回の記事はこちら

宿題提出

慶子さん、こんにちは!

毎回有難い、深い問いかけをありがとうございます。
こんな風に、準備できることが嬉しいです。

今回の宿題はこちらですね↓

あいちゃんにとって、人の傷に「寄り添う」というのは、恐らく4文字で構成される言葉で表現され尽くすことができるような平面的なものでなく、その言葉に込めたい深い想いがあると思うんです。「寄り添う」という言葉を通してあいちゃんが伝えたいことを「寄り添う」という言葉を使わずに伝えるとしたら、どんな表現をしますか?これを、深く、深く考えて、まずは日本語で(!)言語化してみてください。そして、それを整理して出来るだけシンプルな表現で簡潔に説明してください。

寄り添うことについて考えてみました

私にとっての、クライアントに寄り添う、とは
クライアントを信じて、心からのリスペクトをもって
そばにいるということ

ではないかと思います。

それは、グリーフケアでも、五術でのコーチングやセッションでも
根本的には同じです。
ただ、グリーフケア(深い悲しみ、多くは大切な人を亡くした方のケア)の場合は、当然ながら、クライアントは、かなり困難な状況にあることが多いです。
そんな時、私がクライアントに提供できることはそう多くありません。

前回の記事で、helpという言葉を使うことに抵抗があると書いたのは
そういうわけで。
helpという単語は、私の中で『助ける』と直訳されてしまうのですが
助けるなんて、おこがましいなあと思うのです。
もっと言えば、可哀そう、とか、気の毒にという言葉も
ものすごく違和感があります。

…この表現で誤解がないと良いのですが
クライアントの話には、いつも感動をおぼえます。
この方は、今、もっとも困難な状況を
もがきながらも必死で向き合い、前に進もうとしている。
なんてすごいんだろう、そう思うのです。

悲しんでいるのは、そこにたくさんの愛があるからです。
愛がなければ悲しみは存在しません。
愛が深いから、その分、その悲しみは深いのです。
クライアントは、いわば傷つきながらも
その愛を捨てずに進む勇敢な戦士であり
今まさに偉業を成し遂げいるところなのだと感じるのです。

その彼らに、圧倒的な尊敬の気持ちと
その傷だらけかもしれないけれど力強い
本気で生きている、美しい姿を見せてくださっていることに
深い感謝の気持ちと、勇気が湧き上がってきます。

そして、不思議ですが、話を聴けば聴くほど
必ずこの苦境を乗り越えることができる、そう思いますし
私にできるのはただ、そう信じて傍にいる
ということくらいだなと思います。
(あとは、なにか、ぷぷっと笑えるようなことを一緒に探すくらい)

でもこう話しながら、そう思うのは、きっと
私自身も困難な状況にあったとき、そのようにしてくれた人
つまり、あいちゃんなら大丈夫、きっとまた立ち直るよと信じ
傍にいてくれた人がいたから、そう思えているのだろうなあと
優しい顔がたくさん浮かんできました。

話が拡散してしまいましたが…

寄り添うとは…

寄り添うとは
悲しみの中で、愛ゆえに苦しみながらも前に進もうとする
その方の偉業を心から讃え
必ず自身の力で素晴らしい活路を見出すと信じ、そばにいること。

そして、もうひとつ大切なことは、これは決して他人ごとではなく
人生の間には、必ずみんな体験することだということです。
愛がある限り。
だから、私は、世界中の人がグリーフケアができるようになり
悲しみから立ち上がるステップを知っていると
いいのになあと思ってるんですが…

これはさらに話が長くなるのでまたの機会に。
よく考えたら、できるだけシンプルな表現って書いてあるのに
とても長くなってしまいましたが(汗)
慶子さんのお話が、とても楽しみです。
いつも丁寧に向き合ってくださって本当にありがとうございます。
心より感謝をこめて!
藍子 拝

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