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写真集「生きているヒロシマ」土門拳-それは記憶に留めたい・・

写真集「生きているヒロシマ」土門拳
それは、原爆の爪痕として、視点を被爆者たちの後遺症に苦しむ実像にあわせ、そのまま写真に記録として、切り取った衝撃の写真集だ。

原爆投下の13年後の広島に向き合った代表的な写真集「ヒロシマ」(1958)と、1967年に再び広島を撮影した「憎悪と失意の日日」(1968)を、再構成し直したものが「生きているヒロシマ」であり、その集大成だ。

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Fig.原爆投下の13年後の広島に向き合った代表的な写真集「ヒロシマ」(1958)

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Fig.The Death of Kenji

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Fig.胎児で被曝した少年梶山健二君の死13才 右にはおもちゃの箱がある

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Fig.胎児で被曝した少年梶山健二君の死13才

原爆の後遺症で13年寝たきりの人

Fig.原爆の後遺症で13年寝たきりの人、当然だが、家族に表情は無い。

(c)土門拳/築地書館(株)

昭和20年8月6日から、33年後に、土門拳の視点にある被爆地である広島は、写真集「生きているヒロシマ」(1978)となった訳だ。そして、この本が刊行された翌年、脳血栓を発症したことで土門拳は長い意識不明の状態に陥ってしまう・・・

(註)土門拳(1909-1990):戦後のリアリズム写真を牽引した写真家だ。リアリズムに基づく報道写真、国内の著名人から、庶民などのポートレート、そして、多くのスナップショット写真で著名だ。晩年に至り、病を推して、かなりの大掛かりなセットで、文化財(古寺・仏像)を撮影した。戦後の日本を代表する写真家の一人だろう。そして、著作も著名だ。

(註)8月6日は、広島が被曝した日だ。この土門拳の写真集をピックアップした。ここで、「胎児で被曝した少年梶山健二君の死13才」の仏壇に納る遺影は、誰でもが、辛いものがあるだろう。記憶に留めたいカットだ・・・

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