ライ・クーダー:孤独な旅の風景
ライ・クーダー:孤独な旅の風景
ライ・クーダーの孤独な風景
ライ・クーダー(Ry Cooder / Ryland Peter Cooder,1947 - /アメリカのミュージシャン、ギターリスト…)
Ry Cooder
彼の指の爪で澄み切った音調をかもし出す、それは、ストラトキャスターで、スライドギターやフィンガーピッキング、それら、織り交ぜたフレーズは、評価が高い。
そして、当初から、一貫して商業主義に惑わされることのないコンセプトだ。
ルーツミュージック
グローバルに、ルーツミュージックに対するリサーチと造詣もあり、アメリカカンのルーツ・ミュージックを発掘した広めたとこは、評価されている。
そして、ヴィム・ヴェンダース、ウォルター・ヒル監督作品の音楽にも携わっている。
ライ・クーダーは、映画のトーンを読み取って、それをライ・クーダーの音にすることができた・・・
略歴-Ry Cooder
1947年、ロサンゼルスに生まれる。父親の影響もあり、3歳の頃に初めて、4弦ギター(基本ハンドメイド-スライドギター)を手にする。
4歳の時に、ナイフによる事故が原因で片目を失明した、それ以後義眼となる。
13才でデルタ・ブルース (The Delta blues/ギターとハーモニカ) のスライド奏法(4弦ギター)に出会った。
そして、15才の時に、プロの音楽活動を始める。
1960年代に、タジ・マハール(Taj Mahal、1942年5月17日 - /アメリカのミュージシャン)たちとセッションした。
そこでは、ライジング・サンズ、キャプテン・ビーフハート、ジャッキー・デシャノン等のバンドで活動。
オープンGチューニング
そして、1969年には、 ローリング・ストーンズのアルバム「Let It Bleed」(レット・イット・ブリード)に参加した。
また、同作のレコーディング中に行われたJam session(即興的に演奏)は、1972年にJamming with Edward!(ジャミング・ウィズ・エドワード)としてレコード化された。
(註)ライ・クーダーのオープンGチューニングに、キース・リチャーズも共感している・・
1970年、アルバム「ライ・クーダー・ファースト」(原題:Ry Cooder)でソロ・デビュー、初のスタジオ録音だった。
こうしてみると、ライ・クーダーの歩いた道のりの険しさを感じられる・・
Ry Cooder 1970 -
1970年代から、1980年代前半までほぼ1年に1枚のペースで、旅を続け、アルバムを続けた、そこには、その土地の土壌の匂いが漂う。
「ぼくの人生は常に探求の連続だった」-Ry Cooder
ただ、ライ・クーダーのアルバムはすべて合わせても数十万枚しか売れていなかったのだ。
そして、クレジットカードのキャンセル、電話とガスと水道も止められそうになったと言われる・・・
パリ,テキサス
その失望と疲れの後、1980年代以降は、ヴィム・ヴェンダース監督のパリ、テキサスをはじめ、多くの映画音楽を多く手掛けるようになり、スタジオ・アルバム制作からは、1987年の「ゲット・リズム」を最後にしばし、遠ざかる。
国内に目を向けると・・
"Goin' Back To Okinawa"では沖縄民謡風の音階やフレーズにも挑戦、*喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加している。前述したが、世界各国のルーツミュージックに対するリサーチと造詣の深さが感じられるアルバムだ。
(註)*喜納昌吉(きな しょうきち、1948- /日本のミュージシャン,平和活動家)
ライ・クーダーとキューバの旅-Buena Vista Social Club
1996年、ライ・クーダーはキューバに赴き、ご高齢のコンパイ・セグンド(Compay Segundo、1907- 2003/キューバのミュージシャン/何と90歳超えて現役だ)やマヌエル・ガルバン(Manuel Galbán,1931- 2011/キューバのミュージシャン)たち、キューバのミュージシャンとアルバム「Buena Vista Social Club」(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)をレコーディングする。
このBuena Vista Social Clubは、1997年の第40回グラミー賞において最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞し、欧米を中心に高い評価を受けた。
それは、その高齢者たちの生き方が、西側の世界で共感を呼んだからだろう・・・
その後、1999年には、ヴィム・ヴェンダース監督による映画「Buena Vista Social Club」も封切られている。
Mambo Sinuendo
2003年、キューバ人ギタリストのマヌエル・ガルバンと連名のアルバム「Mambo Sinuendo」(マンボ・シヌエンド)を発表し、第46回グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受章した。
カリフォルニア三部作
2005年、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人コミュニティーを題材としたコンセプト・アルバム「Chavez Ravine」(チャヴェス・ラヴィーン)を発表
2007年、「My Name Is Buddy」(マイ・ネーム・イズ・バディ)
2008年、「I flathead」(アイ・フラットヘッド)
それらは、ストーリー性を持ったアルバムで、これら3作は「カリフォルニア三部作」と呼ばれる。
最後に
なぜ、ライ・クーダーが、こういう生き方をした(できた)か(?)
4弦ギター、義眼、幼い頃の悲劇もある。
ただ、かんたんに、上記のようには、行かないだろう。
そして、映画のサウンドトラックで名を馳せてから、ヴィム・ヴェンダース監督とのつながりと言うことも、視点を置きたいところだ。
パリ,テキサス、そして、ブエナ・ビスタに至る流れ・・それをきっかけとした、2000年以降のアルバムの流れは、魅力的だ。
これからも、益々、ご活躍いただきアーティストだ。
次回以降に、Buena Vista Social Club、Mambo Sinuendo、My Name Is Buddyと続きます。お時間の許す折にお聴きくださいませ〜♪
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