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紳士なるアメリカの画家:トマス・アンシュッツ

・紳士なるアメリカの画家:トマス・アンシュッツ(Thomas Anshutz)

トマス・アンシュッツ(Thomas Pollock Anshutz、1851 - 1912/アメリカの画家)

特筆すべきことは、1880年、アンシュッツは、自身で撮影した写真を絵画の準備段階での研究として使用している。もう少し、詳細には、構図の実験、また、風景や人物の詳細を思い起こすために写真を使っていると言うことだ。だったら、写真でいいと思われるかも知れないが、その写真も、あたかも、そこに、そういった事象があったかのような騙し絵なのだ。

「写真:それはかつてあった」-ロラン・バルト

いずれにしても、トマス・アンシュッツの作品が伝えるものは大きだろう。

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1880-ウェストバージニア州ホイーリング近くのオハイオ川のボートを持った少年たち

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(cc) Thomas Anshutz

略歴-Thomas Anshutz
1851年、ニューポート(Newport/ケンタッキー州)に生まれた。
1870年代になり、ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン(National Academy Museum and School -ニューヨーク)でウィルマース(Lemuel Everett Wilmarth (1835 -1918/アメリカの画家) に学ぶ。
1876年、ペンシルベニア美術アカデミーの学生となり、その後、トマス・エイキンズ(Thomas Eakins, 1844- 1916/アメリカの画家・写真家・彫刻家/アメリカ近代美術の父)のもとで、教員(Chief Demonstrator)を務めた。
1880年、「鉄工所労働者の昼休み」(The Ironworker's Noontime)を制作した。それは、この時点までは、工場労働者を描かれる事は、ごく稀だっただろう、力強い構成と人間味のある視点だ。
1885年、教授のトマス・エイキンズが、女性学生のいるクラスで男性ヌードモデルを描かせた問題が発生した、そして、エイキンズが解雇され、アンシュッツが後任の教授となる。

アンシュッツは、教授エイキンズのロジックに反対の立ち位置を取ったと言うことだ。そのエイキンズの行動は、紳士に相応しくないと・・・ただ、この流れに、アシュカン派の創設メンバーも多い。そのリアリズムは、この人体デッサンから、発生しているのだろう。

1892年、結婚して、パリのアカデミー・ジュリアン(Académie Julian:女性にも教育の機会を与えている)にも参加している。(アカデミー・ジュリアンは、官学のエコール・デ・ボザールとは、そこが異なるところだ)
このあたりから、トマス・アンシュッツの内面にある、いわゆる常識も変わったのかも知れない。
1893年、フィラデルフィアに戻り、ペンシルベニア美術アカデミーの教授として多くの画家を育てている。

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(cc) Thomas Anshutz

(註)ペンシルベニア美術アカデミー(Pennsylvania Academy of Fine Arts)で、アンシュッツに学んだ学生には、ジョン・スローン、ロバート・ヘンライ、ウィリアム・グラッケンズ、エヴァレット・シン、エリザベス・スパーホーク=ジョーンズ、ジョージ・ルークス、チャールズ・デムス、チャールズ・シーラー、ジョン・マリンらがいる。いわゆる*アシュカン・スクール(アシュカン派)の創設メンバーも多く含まれている。
*アシュカン・スクールとは:アシュカン・スクール(アシュカン派/Ashcan School/ニューヨーク):20th初めの芸術運動で、都市と現代の日常生活についての特定の真実を伝えたいという願望で構成されていた。
組織化しされた芸術運動ではなく、そこには、政治的、非政治的な視点の画家が混在しているような状態だ。

1898年以降、ヒュー・ヘンリー・ブレッケンリッジ(Hugh Henry Breckenridge,1870-1937/アメリカの画家)とフィラデルフィアに近い、ダービーで戸外の夏季美術学校を開校した。
1910年、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員(Associate member)に選ばれる。

その作品は、多くのミュージアムに収蔵・展示されている。
そして、後進の育成にも、貢献しており、その業績は大きい。


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