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自分とつながる

最近は、もっぱら自分と会話をしています。

こんなご時世になって、愛ある方向へ進んでいくだろうとは思っていますが、そこへ向かうからこそ、今ある「愛でないもの・自然でないもの」の崩壊がしばらくはあるのだろうなぁと思ったりしています。

外側の世界には、色んな情報と色んな人の思惑があちこちに飛び交っていて、ともすればあっという間にそれらに飲み込まれ、振り回されてしまうような状況かもしれません。

誰かの言うことを簡単に受け入れて、不安になってみたり、安心してみたり。

少し前に、そんなフラついた自分を発見して「ああ、私は外側の世界に自分を空け渡していたなぁ」と思いました。

自分はどう感じるのか、

自分はどんな世界を選びたいのか、

世界をどう捉えるのがしっくりくるのか、

そんな自分の内側の声に耳を傾けることが、今こそ大事だなぁと改めて思っています。それは、自分の軸を感じるということなのかもしれません。

そして、地球とか月とか植物とかにも意識を向けてみています。今、地球規模で起こっていることがどういうことなのか、私には測り知れない大きなことですが、だからといって誰かの言うことを鵜呑みにするのではなくて、まずは自分の感覚を研ぎ澄まして目に見えないもの(バイオリズムとか何かの兆候とかファンタジーレベルのものも含めて感覚で捉えられるもの)も感じていきたいなと思っています。

それが誰も信じないファンタジーだろうが何だろうが、自分が確かに感じ取れたことであれば、自分で自分の感覚を信じて、それを自分の軸にしっかりと据え置いていきたいなと思うのです。

部屋を暗くして、

ろうそくに火を灯したり、

ゆっくりとお風呂につかったりしながら、

ひとり静かに自分の内側とつながる時間を、今は大切に愛おしく思います。

我に返ってみると、この騒動が起こる前に感じていた類のモヤモヤ、違和感、焦燥感、、のようなものが、実は今スッキリなくなって、どこか楽になっている自分がいることにも気付いています。

例えば、活動的であること・人とは違う特別な何かを成しとげることが、何気ない生活を豊かにすることよりも「もてはやされる」ような社会の雰囲気が、私の中にモヤモヤを作り出したりしていました。

社会の雰囲気・評価のようなものに私自身が捉われていて、まっすぐに「暮らすこと」に向かえていなかった。それが、今はそういう社会のムードのようなものが薄れていて、少しこっそり楽になっている。そんな感覚です。

車の音よりも、鳥の声が響いて聴こえてくるような瞬間にも、どこかホッとしています。

何が起こっても、自分の力で生活できる。自然とともに、自然の循環の一部として生きる。それは、私の中で全て「暮らし」を豊かにする喜びにつながっています。

東日本大震災の時、こういうことに気付くことはできたと思うのですが、あの時は何かもっと自分の感情的なものや自己評価、自分の傷のようなものと向き合うことで精一杯で、思い至りませんでした。

今、大変な時ですが、この貴重な機会を充分に活かして進んでいくために、これまでの経験(辛かったこととかたくさんありました!)があったのかもしれないと思うと、何とも言えない覚悟に満ちた静かな気持ちになります。

きっとこれからは、

自分以外に依存したもの、

本来の自分でないもの、

を続けていくことは難しくなるんだろうな、というのが、今私がしっくりきている感覚です。

私は、暮らすことをもっと豊かにしていきたい。

自然とつながっていたい。

自分とつながって、今はそう感じています。


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