織田のコマネチは「社会への皮肉」であり、現代アートであり、「愛ある世界」へのキーワード
織田はよくこんな「無駄」な行動をとります。
なんで織田はコマネチを1万回したり、ふんどしはいたり、するんでしょう?
織田は「無駄」が大好き。なんでだろうと思ったら、
これは「愛ある世界」を生む重要なキーワードであり、
コロナ後のこの世界の「愛ある世界」に向けた大事な思想だから。
めっちゃしょうもない行動をしているけど、めちゃくちゃ真面目にその理由を書きます!本気であればあるほど滑稽に見えますが、
超スーパー本気のマジです!
無駄は人によって違う。恋と同じ。
無駄とは「ある目的において不必要なもの」である。
つまり本来無駄とはAさんにとっての無駄はBさんにとっては価値がある、アート作品の好みと同じだし、
「みんなは可愛くないというけど、僕はかわいいと思うし大好きだ」という、恋心とも同じ。
誰にも強制されるものでもないし、人それぞれの軸があるもの。
織田の現代アートテーマ「無駄」
織田が「無駄」が大好きで、織田がコマネチとか、無駄なことをするのは、
つまり「誰にとって無駄か」をあえて言わないことによって
大前提として
人の無意識に「経済活動において無駄」という前提が勝手に
現代人の頭の中に浮かんでいることにきづいて、
それぐらい経済活動というのは人にとってオオゴトになっている
でも、人間が生きる上で一番大事なのってそこだっけ?
という、現代社会への皮肉である。
つまりあのコマネチとかふんどしとかも、現代アートなんじゃないかなと自分で最近気づきました。
つまり主語をあえて入れない場合の「無駄」とは、
社会の構造的な経済合理や資本主義という「大ルール」に対しての無駄。
「無駄」に主語が必要。それが多様性の一歩
でも本来、無駄とは人それぞれにとって違う。
ある人にとっては価値があって、ある人にとっては無駄。
そしてそれが本来は多様性であるはず。
でも現在「無駄」というと、「お金にならない」とか「効率が悪い」とか、あくまでも現代の経済資本主義をベースにした前提条件で考えられる。
それ自体が実は一元的すぎておかしいこと。
織田が「無駄」と口にしたら、「前提条件は?」「主語は?」と自然と問いが生まれるようになって初めて、多様性なのだと思う。
経済合理性が第一ルールになってるけど、本当に一番大事だっけ?
「時間をかけてゆっくり健康的なご飯を作って食べる」
ご飯は生きる上で一番か4番以内に入る大事なことだった記憶があります。
こんな、本来人間にとって一番大事群に入ることすら、
「仕事が忙しい時に何を無駄なことしてるんだ」
という方向になりえる現代社会の危険性が、
今回のコロナでも、この「無駄」の考えに至った時ももろに表われている。
コロナによって大事なものは何か?を考えるいい機会になった。
満員電車で体力を減らし、ご飯もしっかりしたものを食べず、ゆっくり自分の人生を振り返ったり、ゆっくりお風呂に入ることもできない
さらにその仕事が「やりたいくないこと」「その仕事に愛を持てない」のであれば、
本当に何のためにそれをしているかわからなくなる、
その状況にいる人はとても辛いと思う。
その人が悪いのではないと織田は思う。
社会の仕組み、歴史の積み重ねでそうなってしまっている。
だからこそ、このコロナによってそういう人たちが救われる余地ができているのは織田にとっては希望だと感じる。
(あくまでもコロナの良い側面。もちろん悪い側面もある。)
ポストコロナを考える
でもその反面、コロナによってその「大ルール」である経済は縮小していて、お金が回らなくなる人も出てきている。
既存のルールのおかしなところがわかったからといって
急に新ルールにパッと移動するのは難しい。
「わかる」と「できる」には差がある。
その差は何かといえば、
個々のこれまで蓄えてきた経験、知識、熱量などもあるが、そういった属人化的な抽象度以上に
全体としてどうあるべきか?を考えた場合
「潤沢性」というベースのインフラが、一つの答えなのだと、ある尊敬する人の投稿で気づかされた。
「自分のありのままを愛して、その余裕を持って人を愛せる世界」を織田は目指しているけど、
そもそも必要なもの(食、水、エネルギー、愛)が足りていないのなら、それは他の人のことを考える余裕がどうしても持てない。
生き物として、まず自分が持続しないと何もできないのは変わらないから。
昔は日本も半数が農業をしていて、アメリカも8割が農業をしていた時代もあるとか。それが今は技術の発展により国民の数パーセントが農業をしても人が食える状態になっている。これは希望!
そしてその必要なものが「ある」だけでなく、「受け取る仕組み」もまだ整備されていないから、お金という媒介物が必要になる。
ただ、
1)食や水やエネルギーや愛が潤沢である
+それが届く仕組みができている
2)愛を持つ思想(その方が生き物としても生き残りやすい)
という2条件が揃えば、これまでの空虚さが膨張した経済活動の世界から脱却する希望が見えてくる。
その2条件があることで
自分が生きる最低限を全員が享受し、
その上で互いを助け合い尊重しあい一緒にさらなる課題を解決しあえる世界がやってくる希望が湧いています!
今はつまり、その世界を目指しているんだと思った。
【余談】最悪の世界
(ある一方で織田の中では、
人類全員アルゴリズム化
(カメラの設置、AIでの画像処理で個々の把握、
サーモグラフィを用いて感情までも読み解き
革命が起きないほどの監視をする、
人々が経済合理やアルゴリズムに迎合することで
感情ではなく合理に従い、
結局はAIの予想できる範疇でしか行動しなくなり、
それが世界の最適化や世界が効率よく回るために重要になるような、
人が、世界を管理しようとする人(や国家)の下につく世界)
全員ではなくとも、マジリティが感情なしのアルゴリズムになる世界
経済格差が広がり、人権を売る職が増える世界
などの、織田としては嫌な未来をかも考えちゃいます。
こんな未来を想像してしまうことが多く、
だから織田は「無駄」なことをして、
そんな経済合理やAIの範疇にある行動ではなく、
「自分の心に従う」を優先するための「表現」をし続けているわけです。)
愛ある世界に向けて
最悪の世界には絶対にしたくないと思うので、
愛ある世界を目指すために
1)食や水やエネルギーや愛が潤沢である+それが届く仕組みができている
2)愛を持つ思想(その方が生き物としても生き残りやすい)
をしていきたくて、その中で織田の役割として、1)か2)のどちらをしているか?というと
T-KIDSもアート活動も全て2)であり、織田はそれを変えたいと思う原体験があり、それを変える役割であると感じます。
だから「世界全員がアーティスト(心に従って表現する人)になる世界」と言い続けて行動している。
その言葉の意味がまた自分でもひとつ理解できました。
まだこれは織田の一つの説にすぎないですが、もし共感いただけるとしたら、皆さんはどうやってこの世界に貢献したいか?そんなことを考えるいい期間だなと思いシェアさせていただきました。
コメントなど大歓迎!
追記:織田がアートをする理由(文章にはない力)
すみませんが、ここからは織田の黒歴史もちょっと含むので、月額登録者専用で。笑
織田がなぜ文字ではなく、「アート」という方法で世界に提案・怒りをぶつけているのかということを書きます。
織田がなぜアートをするか、
ここから先は
月刊おだ〜織田の「今」を表現した 月額ワンコインマガジン〜
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