呪縛にかかってると思っておく
皆さんおはようございます!
人の好奇心や、個性の発揮とその受け皿についてバーっとノートに書き殴ったのですが、この日記にするにはまだ体型立てれてなくて、3個お蔵入り下書きがあります、織田です。
今日は、呪縛にかかっているかもしれないと思えることが、ラッキーなんじゃないか、というテーマで書きます!
■呪縛
関学の高等部の授業では、織田のアート探究は40時間の間に、
・成績はつけない
→織田の顔色を見ず、自分の心と対話する
・30-40人の色んな生き方の人が授業に来る
→生徒30人を織田が対話しきるのは無理なので、そこは一旦諦めて、でもたくさん浴びる機会を作る(本当はメンターのような形で一人一人対話する方が生徒はきづきがおおいけど、一旦は色んな方との雑談)
・40時間でただしたいことや作りたいことをする
・学校の校則を超えたこともok。既存ルールを疑う
という内容にしています。
これをしていると、成績にはならないけどしたかったことや、実は得意なことを生徒たちはたくさんします!
歌作ったり、詩を書いたり、絵を描いたり、空間を作ったり。
そしてその過程が面白くて
・成績がつかない
・正解の道筋がわかりやすく見えているわけではない
場で、
さらに、人生生きてると自然と
"これはしてはならない"
を決めつけていたりする。
本当は明日にでもブラジルに飛んで名前を変えて人生やり直すことすらできるけど、
何かしらの漠然とした(明確化してるケースもあるが)不安や、
してはいけないと思い込んでる呪縛があったりする、
そして授業でも、ある生徒が急に粘土でドーナツをたくさん作り、
なんでドーナツ作ってるの?って聞いたら
久しぶりに作りたくなったのと、なんとなく粘土でドーナツ作るとかって、高校生がすることじゃないと思ってて、
"あ、これでいいんだ"って思ったら、やりたくなったから
という回答がきました!
■アートと「枠」
アートの世界って結構大喜利的なところもあり、
でも創作理由は
戦略的だったり
すけべ心だったり
はたまたもっと根っこから湧き上がる好奇心だったり
それも含めて表現!
その結果、価値がなさそうなもの(バナナにテープはる、とか)が1800万円にもなるし、
いい意味で"あ、これでいいんだ"ってなるから好きで、
VUCA時代、その"これでいいんだ“で救われるケースって多いような気がしています!
そして一度それを体験すると、
・どんな呪縛で
・それをどう超えて
・そうするとどんなものがあるか
はわからないてにしても
自分は呪縛にかかっているかも
と常に疑えると、
その外の可能性を探れる、枠を探れる
それが第一歩としてすごく大事で、
それがあるだけで可能性ってかなり広がるんだろうなー
と思いましたとさ!
織田も呪縛にかかってるかも!
どんな呪縛で、その先には何があるんだろう!
宇宙みたいですね!!
今日も素敵な一日を!
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!