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「沈黙」の実践(4/100)

沈黙することを、実践していこうと思いました。
3/1。何かを始めるにはいい季節。
歩行禅を始めたのも、昨年の3/1でした。

心の中に沈黙の静けさを持つこと。
5分でもいいから、呼吸に集中し、今ここを感じること。

ベンチで、妻を待っている間に、沈黙することを実践してみました。

駅前は、行き交う人の足音で溢れていました。いろんな足音があるものです。そして、同じだけ人生があるものですね。

ぼーっと見ていました。

10mくらい先に、花屋さんがありまして、風船を持った幼児と母親が、花を買っていました。
すると、パッと風が吹いて、風船が飛ばされてしまいました。

あっ!と気づいたのは、花屋のお姉さんと、ちょうど通りがかった70代くらいの女性。
女性は、風船を取ろうとして、尻餅をついてしまいました。

僕はびっくりしましたが、この足では駆け寄ることもできず、じっとその光景を見ていました。

すぐに花屋さんが女性の身を起こしてくれました。
お母さんは、別のところに注意が行っている幼児を制して、それどころではありません。

女性は、あいたた、というそぶりでゆっくり立ち上がり、花屋さんにお礼を言って、去りました。
風船を手にした花屋さんは、幼児に返しました。

ーーー
この一連の、たった数分の出来事に、僕は、言いようのない温かいな感動を覚えました。

骨折してなかったら、すぐにでも駆け寄っていたでしょう。そうして、この一つの映画のようなワンシーンを、主観的に捉えて、もっと大きなものを見過ごしていたかもしれません。

そもそも、このちょっとした待ち時間に、メールチェックでもしてたら、このシーンは見ることが出来なかったでしょう。

優しさが、そこに存在してました。僕が慌てて駆け寄らなくても、世界は優しさに満ちていた。

骨折が治って、またこういうシーンに出会ったら、きっとまた反射的に動くでしょう。それはそれでいいのだと思います。

しかし同時に、もっと大きな視点で、自分の役割、みたいなものを冷静にみることもするかもしれません。

ブッダのいう「無為」。
何もしない、ということろから大切なことを学んだ昼下がりでした。

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