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どこからかヒントが来る

寝る前にマインドフルネスのアプリで、呼吸を整えているのが日課です。
このアプリは毎日あるテーマを元に10分くらいのお話と呼吸の練習があります。

今日のお話は、僕が最近考えていたことのヒントがありました。
お釈迦さまの話で有名なのですが、
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ある盲目の3人がいた。彼らは象を初めて触った。
1人は鼻を触り「象は蛇のようだ」と言い、1人は耳を触り「大きなうちわのようだ」と言い、1人は脇を触り「象は壁のようだ」と言います。3人はお互いの意見が正しいと思い、譲らず争うことになる、、というお話。
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3人はそれぞれに、確かに真実を述べてるのですが、それは象のすべての真実ではありません。そのように、自分の経験から基づくものとは別の視点を持たねば、真実はみえません。凝り固まった自分の正義感や直感が絶対正しい!と思う人は、自身も含めてたくさんいます。

絵の例えも出てきました。目の前の筆跡だけを見るだけではなく、一歩下がって見てみましょうと。確かにその通りです。

最近考えていた、モネとの別れのこと、命というものの真実。わからないから描くし、わからないから考える。そんな時に、「自分の」経験や直感から導き出されたこれが真実の絵だと、あれやこれや言うまえに、盲目の2人の意見もしっかり聴いて、(この場合はよく観るではなく、よく聴く)、果たして象はどんな姿か、柔軟な感性で感じるべきでしょうね。

自分の見てる世界がある。
相手の見てる世界がある。
自分の見てる世界を押し売りすることがアートなのか。
それも確かな側面であり、誰も見なかった盲点な視点ほど、社会から評価を受けるものですが。

僕はつくづく、アートの世界より、仏教や禅を通した心の世界に興味があるようです。

真実は想像を超えるほど無限なのです。

あらためて、学んだ次第です。その無限の可能性と広がりに委ねるには、どこまでもどこまでも、無色透明な心で、ありのまま、クリアーに、そのものを表現していくことではないでしょうか。
そしてその表現手段は1つではなく、理想でもなく、願望でもなく、今ここに集中して、閃く一瞬のイメージを観てとり、自由自在に描くことではないでしょうか。

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