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夢を諦めた日のこと。

先日の17歳の自画像の記事を書きながら思い出したことがありました。

それから2年後の19歳の夏。ずっと思い描いてきた「美大に行く夢」を完全に諦めました。

大学受験に落ちて故郷に帰り、東京で浪人するために、植木屋の父の手伝いをして資金を貯めていました。大賞を取った作品には「これで絵を辞められるな」と言った父も、息子の夢に一役買おうとして、家業を手伝わせました。
二人で汗水たらして働くのは、僕が小学1、2年生ぶりでした。

当時、父と母は別居していました。保育園年長の6歳だった僕は、父の元に残るか、母と共に鹿児島の実家に帰るかを迫られました。
本当は優しい祖母のいる鹿児島に行きたかったのですが、子供心に父親があまりに不憫で、残ることに決めました。

小学校に入ってからも、土日になれば父の仕事場で、子供でも出来ることをを手伝いました。夜になり、二人で屋台のラーメンを食べたこと。朝は、顔を洗うために温かいお湯を用意してくれたこと。厳しい父親でしたが、いつも優しい思い出として残っています。
2年後。借金返済がままならず、ヤ○ザの取り立てや、家具も差押えになり、鹿児島の母の実家を頼ることになりました。
トラックに家具をまとめて、宮崎から鹿児島に向かったのは三月。その行く先で雪が降りしきりました。
南国育ちの僕は、その真っ白な雪がめずらしく、興奮してはしゃいでいました。そして、やっと母に会えるという嬉しさもありました。

父はどんな気持ちで運転していたのでしょう。同じくらいの年齢になり、子を持つ親として、今ならわかることがあります。。

さて、19歳。僕は再び父と働いていました。両親は再び別居していました。
母は美大進学を反対していたので、1ミリも協力してくれませんでした。自力でお金を貯めて、東京に行き、わずかな望みで親戚を頼りながら予備校に通おうと思っていました。
父とは毎晩、いろんな話をしました。といっても、ほとんど酔っぱらった父の話を聞くだけでしたが。
毎日働いて、働いて。疲れ果ててデッサンもあまり出来ませんでした。そのうちに「美大」というものが、なんだか絵空事のように思えてきました。あの煌びやかな都会の景色も、華やかな街の人たちも、予備校のセンス抜群な浪人生たちも。全てがもう、自分とは関係ないことのように思えてきました。
そうして、「自分の実力で合格まで何年かかるのか」と恐怖に襲われるようになりました。母校の実力派の先輩たちも、2浪3浪してる世界なのです。それなのに、自分が通るわけがないのではないか・・。
そうして、デッサンを描くのことが怖くなってきました。もう無理なんだ、としか考えられなくなりました。

決断は突然でした。
「今日は仕事を休む」と父に伝えた昼下がり。僕は、美術部に入ってから美大受験に至るまでの300枚ほどのデッサンを、庭で燃したのです。
記念すべき1枚目のデッサンも、深夜まで予備校で競うように描いたデッサンも、勢いよく燃えました。どんどん燃えました。そうして灰になった時、「もう夢を諦めよう」と決意しました。

父には、地元の教育学部に入るために、普通科の予備校に行くと伝えました。何ヶ月もかけて貯めたバイト代を迷わず予備校費に入金しまし、毎日5教科を学ぶことになりました。大勢の予備校生と一緒に、答案用紙とテキストを見る日々は、まさに異次元のようでした。
木炭の匂いも、練りゴムの感覚も、デッサン紙の白さも、あとカケラもありませんでした。

それから先の話は、また後日記載するとして。
僕はあの時、夢を諦めたのです。朽ちていく絵を見つめながら、すべてが終わったんだと静かに思いました。とてもあっけなく幻のようなものでした。
それは青春のセンチメンタルな気持ちではありません。思い起こせば、僕はそうやって物心つく前から、いろんなことを諦めてきました。自分を押し殺して、周りのことを優先してきました。

だいぶ未来にさかのぼり、現在45歳。あれから25年は経っていますが、あの時に、しっかりと決断したことで見えてきた「自分自身の本性」があったと思います。

結果、頭がおかしくなるほどの無謀な選択で、再び夢にしがみつこうと、もがきました。恥ずかしいくらいにみすぼらしく、人様に迷惑や心配をかけてまで、「絵を描きたい」と願ったのです。
それからの人生、何度も何度も挫折しました。社会から理不尽な所業も受けました。また自分自身の未熟さで多くの人悲しませてきました。
それでもなお、、絵を描くことだけは諦められなかったのです。「美大に行く夢」は諦めても、絵を描くことだけは。 

過酷な子育ての中で、「自分の心」の絵が描けない時に、全て投げ出したくなることもあります。求められる仕事だけで充分ではないかと。なぜ苦しいんだと。
そんな時、あの炎を思い出します。燃え盛る炎。デッサンは灰になっても、決して消えなかった「心」が、あの炎の中に見えるような気がします。

(おしまい)

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