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修行11日目。愛犬モネ。

今日は画材や調達の後、妻の作品の額装をして、夕方から、最後の展示作品を描いた。
やはり、我が愛しい愛犬モネだ。

とはいえど、これだけ動物の家族を教えていても、我が子は数えるほどしか描いていない。身内ほど難しいとはこのことだろう。

400点以上にも及ぶ生徒さんたちの家族の絵の中で、新作の愛犬を描こうと思った。

良い出来になった。満足だ。

もともとこの絵は、昨年秋の展覧会の最後の作品だった。2ヶ月後に、長女の出産を控えていて、「生命の樹」というイメージで描いた。出発当日朝まで描いていたのだが、展覧会では設営を担当する方々の判断で、ボツになった。
「レクイエム」をテーマとする展覧会に、生命を謳歌する作品は合わなったのだ。
僕は悲しくて、受付の隣の隅の方に、こっそりと飾った。

そんな絵の上から、愛犬を描いた。まるで、耕した畑に種を蒔き、作物を育てるように。
むくむくと、不思議な絵に仕上がった。

0:50。また寝不足だろう。しかし満足だ。画家として今日もめいいっぱい役目を果たせた。ありがたい。何度もいうが、いろんな人の助けがあって、修行的生活を送れている。

この11日間で大きく変わったことの一つに「自分を責めなくなった」ということがある。以前は、毎晩毎晩、今日も出来なかったと布団で悔しい気持ちでいた。
それが、さっぱりない。
子供達が帰ってきて、また以前のように悔しくなるのだろうか。なんとなくだが、それはないような気がする。一度、深い部分で魂が癒されたら、そもそも、どんな自分でも「責める」ということがなくなりそうな気がする。

変わらないことといえば、「1人の時間と他者との時間との精神のギャップ」だ。
一人の時間の時に、深く静まっているだけに、他者との時間は共感能力が冴え渡り、ダイナミックになる。良いパフォーマンスはできるが、慌てることも焦ることもある。余計にわかってくる。
そんな時は一呼吸置くように心がけている。1時間に一回でも気づけば、まだいいとしよう。

できることなら、他者といるときも、静寂でいたい。オンとオフを区切るのも大切だが、オンでもオフでもない精神が理想だと思う。

さて、寝よう。明日も教室だ。
展覧会一週間前。生徒さんも活気に満ちている。とても幸せなことだと思う。

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