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かつての受験戦争。

幼馴染の息子くんが、今週、高校受験を迎える。
10年後、うちの息子(5歳)も受験することになるだろうから、他人事とは思えない。
受験というのは、全てではないけど、ある一部分の、人間的資質を試される場所かもしれない。部活の試合でもそうかもしれない。

当時を振り返ると、自分の資質は実に不甲斐ないものだった。
まず、中学受験、高校受験、大学受験、すべてに失敗している。。苦笑。それも、受験に向き合う姿勢が良くない。中学受験は、担任や親が舞い上がり、行きたくもない塾に行かせれて、強制的に私立中学を受けることになった。学校の成績は良かったが、受験となると特別な塾の問題を解かねばならない。それを覚えるのが遅すぎた。しかも、塾には僕よりも優秀な他校の生徒も多かった。僕はやる気をなくしていた。

中学に入ると、鹿児島県は上から下まで10校くらいの志望校のランクがはっきり分かれていて、ご近所でも、◯◯校と言えば、自分がどのランクかが瞭然となる。中学一年の時には偏差値的にトップの高校だったのが、2年になり、3年になると、どんどん下がってくる。当時は思春期真っ只中で、家庭も崩壊し、野宿をしたり、祖母の家に避難してたこともあって、メンタルはボロボロだった。それなのに生徒会長になってしまっていたから、外への顔と、内なる顔がはっきりと分離していた。結果、私立高校に落ちて、4つのランクを落として公立高校を受験した。理由は、「祖母の実家から歩けるから」。そして、美術部が盛んだと言う2点。勉強もあまりしなかった。どうでもいいなと思っていた。合格はしたが、特に何も感じなかった。バスで通う中学校が、歩いて通えるようになったくらいだ。

大学受験は、人生で1番本気で向き合った時期かもしれない。僕の運、というのか、資質の大きなポイントがここでも現れた。「ビギナーズラックで好成績を収め、その後プレッシャーで奈落に落ちる」笑。
無心で描いた絵が評価されて、当時、東京藝術大学へ志望校を薦められたが、それからがまずい。プレッシャーと、持ち前のやる気のなさで、どんどんどうでも良くなった。素直さがない。祖母の期待もあり、鹿児島から東京の予備校に通わせてもらい、浪人の先輩たちの家を転々と下宿したが、当然ながら、浪人の先輩たちの画力は凄まじく、「ああ、現役合格なんて無理じゃん」とどこかで諦めていた。何年か浪人すれば、私立美大のどこかには通るだろうと。
当時の僕に出会ったら、現在の僕は何て言うだろうな。やる気がないくせに、プライドが高い。負け癖がついて、向き合ってない自分。
絵を描くことも、勉強をすることも、本当は好きだった。なのに、いつのまにか他人の干渉と自意識のバランスがおかしくなって、投げやりになるのだ。

予備校で、不合格の結果を聞いても、やはり何も思わなかった。そもそも、同じアトリエで二浪したのに不合格の結果を聞き、泣いている先輩を見て、何を思えるのだろうか。

そして、次の年、投げやりで九州の大学を受けた。もはや、何もなかった。先に入学していた幼馴染の部屋に転がり込んで、「ねぇ、明日センター試験なんだけど、何を勉強すればいいかな?」と一応聞いた。不安だったからだ。幼馴染は言った。「寝た方が良いよ」。そりゃそうだと思って、寝た。

結果、実技の成績がよかったのか、センター試験が2科目しかなかったからか、初めて「合格」という称号をもらった。それでも、休学したりフラフラしていたが、7年かけて無事卒業できた。
そこで初めて、自分の中に「芯」と言うものができたかもしれない。何かをやり遂げる、という芯が。僕はすでに25歳だった。
休学中、僕はやはり大きな挫折をした。東京で日雇いバイトをしながら似顔絵を描いていたが、あまりに東京は広かった。いろんな人種がいて、いろんな才能があって、いろんな理不尽な、歴然とした境遇の差があった。なにしろ、圧倒的に失恋していた・・。東京の生活から、ずっと爪弾きにされていたように感じていた。

僕には何かが足りないと、やっと気づいたのかもしれない。それは「意志貫徹する根気」だった。当然、東京生活を貫徹する勇気も才能もなかったので、自分の身に合った、ちゃんと等身大の自分と向き合える大学に戻ろうと思った。

東京から逃げる。でも、その先は、明確な目標がある場所だった。だから、素直に、大学に戻り、5つも6つも歳が離れた後輩たちにノートを見せてもらいながら、1つ1つ単位を取っていった。みんなからは「お父さん」と呼ばれていた。それでいいと思った。居場所がやっとできた。

昨日、寝る前に思い出したことがあった。僕は卒業式が嫌いだった。あの寂しさに耐えられない。だから、小学校はまだ子供として、中学の卒業式は、行事が終わると誰にも会わず、一目散に自宅に逃げ帰った。高校の卒業式も、受験のためといって東京から戻らなかった。
しかし、復学して7年かけて卒業した大学では、きちんと正装して卒業式のホールに出席した。周りは年下だらけで、僕が入学した時の同級生は誰もいない。それでもとても晴れやかな気分で、「お父さん」として笑顔で記念撮影に臨んでいた。信じられない変化だ。

受験の良し悪しも令和の時代で変わってきている。また、グローバル社会において、学校教育そのものが見直されてきている。しかし、最も大切なのは、「本人の強い意志」なのだと思う。何かを貫く強さ。そして、自分が何者なのか、という「芯」。
未来の子供達には、それを伝えてあげたい。そして、広い目で、その子の心だけをみて、支えてあげたいものだ。

おしまい。

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