諦めと覚悟
誰得なんだ?と言われるかもしれないですが、今月の美輪さんの言葉。
人生の修行は続きます
きっぱりあきらめて
生きる覚悟を決めましょう
すごく深いですよね。誰もが思い当たる節があるんじゃないかしら。
この場合、あきらめるって「執着」ということですよね。そして生きる覚悟ってなんでしょう。みなさんの意見を聞いてみたい。
人生の楽しく生きよう
諦めちゃだめ
じゃないんですよね(笑)。
人生の修行にも人それぞれ。何を目指すかにより、修行の内容も変わります。
僕はこの言葉で励まされたような気がしました。
僕はこう思いました。
絵画の修練の道を、きっぱり諦めた。修行を、人生という大きなフィールドで、穏やかに生きれることを目標にした。
生きるとは、家族と共に生きること。家族を支えて、支えられて、子供と向き合い、その成長を見守る。それを決めました。自分の人生を諦めたことへの断末魔である「自画像」も現れなくなりました。
この場所で、それでも描く。
それが僕の中の覚悟です。
といいながら、イライラすることは絶えませんけどね笑。毎晩毎晩、やりきれなくて残念に思うこともあるけど、それでもやれないことは、やれたことが多かったからと考えれば、自分を受け入れられるものですね。
悪いもんじゃない、この生き方。
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PS
この番組で、公にできない関係で苦しむ相談者がいました。視聴者の感想は、「こんな女、罰するべき!」と美輪さんに裁きを求めているコメントも見られました。
美輪さんは彼女をしっかりと諌めつつ、愛のある眼差しで、ある提案をしました。「子供のために生きてみたら?」と。当人の悲しみと絶望を、部外者は「被害妄想」と捉えることもありますが、当人は当人で本当に地獄なのです。
その地獄、人間のどうしようない運命、そしてその中から学ぶもの、普遍的な美しさや悲しさを、美輪さんは音楽で、瀬戸内寂聴さんは小説で浄化していかれたのではないでしょうか。
相手を簡単に、自身の正義感で罰することができる人は幸せだなぁと思います。とてもシンプルな世界で、白黒はっきりした世界は、芸術の世界にもあります。
諦めて、生きる覚悟をする。
それは、愛を諦めて、自分の使命を全うすることもあるでしょう。そして、使命をあきらめて、愛に生きることもあるでしょう。
僕の場合は、そもそもその「使命」なんていかほどのものかと思いました。脆弱なものだなと。
僕は、絵の道を極めるより、心を極めたかったのだと気づきました。何万枚の絵を描きながら。
だから、本当に求めたいもののために、(自分自身にとって)一番大切なものを手放すのです。
そうすれば、自分自身がもっと広がって、新しいものが見つかるのだなと思っています。