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未来から過去へ。

日本レイキ協会の会長を務める辻ようこさんが、こんなことを言っていた。
「普通は過去から、今、未来って続いていると思うでしょう。でも、本当は、未来から今、過去に続いているかもしれませんよ」。

辻さんは時間の流れを川と例えて、こう説明する。

「私が今、小川の真ん中に立っているとしましょう。川上のほうが未来。川下が過去です。私の場所は、今ここ。過去でも未来でもありません。川上から、桃がどんぶらこと流れてきます。それが兆しです。それを受け取るか、気付かずに流していくかは自分次第。川下は、いろんなものが流れ去った後。辛いことも、悲しかったことも、今、私が立っていることろにはありません。
ただ、誰が投げたのか、果実や、時に危険な岩は、川上からどんどん流れてくるのです」。

まさにマインドフルネスと言えるかもしれない。
瞑想に向かう時に、過去に向かうこともあれば、未来に向かうこと、今現在に集中することもさまざまだろう。ちょっと不思議系で言えば、過去世や、宇宙、目に見えないものを体験する人もいる。
僕は、心を鎮め何かの兆しを感じた時に、あまりそれを誇大に解釈しないように、ある先生に教えられた。どうしても人間の欲やエゴがあるので、妄想の域になってしまうと危険だという。
今、心に何が起こっているのかに集中すること。その上で、なんらかの予感、漠然とした余白のようなものを受け入れること。

過去も未来も、今現在に同時に存在してると仏陀は言う。その上で、「自身はどの方向に向いているか」が大切なのかもしれない。
人は生まれる前に、あの世で人生設計をし、それをすべて忘れて生まれ、一つ一つ思い出すように人生を送る。喜びや感動は、きっとあの世で決めたことが叶ったからだろう。「ああ、生まれてきた意味があった!」と。

ホジュンである。
25年前にハマったドラマが、たまたまBSで再放送されて、食い入るように数話を観た。まさに川上から大きな桃がどんぶらこと流れてきたようだ。
僕は最近迷走してた。日々に疲れて風邪まで引いてしまった。川の真ん中にへたり込んで、溺れそうになっている自分に流れてきた桃。それをつかみ取るだけの力は、まだ残っていた。

実在した名医・ホジュンの人生は、ドラマでは脚色されているが、現在の自分の心の深い部分に訴えてくるものがある。(と言っても、すぐ忘れるかもしれないが)。

ホジュンをみて、一つだけ感想を述べるなら、「正しい志を持つことの大切さ」だ。その志は、最初から完成されているわけでもないし、志だけではどうにもならない。

絵画教室で、粘土工作をするときの「芯棒」が志だろう。そこに粘土で肉付けをしていく。その肉付けの素材は、いつも未来からやってくるとは思えないだろうか。その上で、出来上がってきた過去に、心から敬意を払うこと。例えどんな辛い過去であろうと、自分自身の血肉なのだら。
しかし、芯棒が弱ければ、すぐに崩れおちてしまう。あのホジュンだって、何度も何度も崩れかけた。(いや実際は崩れた)。それでも立ち直ったのは、師匠から受け継がれた志である。「土の下に埋まっている心」とは、なんとも抒情的だ。

過去で拾った桃(ホジュン)が、また大きくなって未来(川下)から流れてくる。その桃の中には仕事があり、家族があり、仲間があり、老いがあり、、そして死がある。
人間は必ず死ぬ。それだけは平等に。それは終わりではない。ホジュンが多くの仲間と共に残した世界遺産「東医宝鑑」のように、我々一人ひとりが、これから生まれてくる命の「未来の川上」になるためには、今ここで何をすればいいのか、もう一度考えてみようと思う。

PS
ホジュンは神主だった曾曾祖父に似ているな・・。彼も生涯、病を治す人助けに奔走した人生だった。全国から宮崎県の山奥に参拝者が訪れた。40歳にして突然啓示を受け、山籠りして得られたのは、祈祷による不思議な憑き物落としの力だけではく、志だったのではなかろうか。

つづく。

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