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残り164日 知らないという恐怖

私自身を振り返ってみて、人は「知らない」ということに恐怖を覚える生き物だと思う。

私は、離れて暮らす父親・母親に恐怖を感じている。

仲が悪いわけではないけど、私自身一緒にいる時間は、とても気を使う。18歳で親元を離れたが、それより前も後も、両親のことを知らなすぎるあまり、こちらから何かを聞くヒントもあまりない。

例えば、父親との思い出

昔、「お父さんは仕事でどんな事をしているの?」と聞いたことがある。橋を作っているとか、パン工場で働いているとか、建材を運んでいるとか、具体的な事を期待していたのに、父は「はんこを押している」と答えた。小さい私は、ひどくつまらない答えに悲しみを覚えた。

今思えば「はんこを押している」とは、考え方によっては少し偉くて、管理職だと言いたかったのかも知れない。父親なりのウィットな回答だったのかも知れない。事実、毎日はんこを押していたのかも知れない。しかし、子どものワタシが求めていた答えは、もっと想像できるものであってほしかったし、「はんこを押している」ことに夢を感じられなかった。父親が何かの役に立っているという感覚が持てなかった。

妙にがっかりしたワタシは、それ以上、私が父親に仕事の話を聞くことはなかった。

お酒の効能

家族みんなでお酒を飲まないことも、歩み寄れない一因かも知れない。

義理の親戚が、よくお酒を飲むので、そのギャップを感じる。義理の両親や親戚は、集まればみんな酔ってワイワイ楽しそうにしている。翌日になって確認してみると、お互い話したことなんて全く覚えていない。いい話や思い出話をしていたのに、何が起こっていたかは、結局酔っ払っていない私しか覚えていない。しかし、それでも、その酔っている様子や雰囲気を共有したことで、そして自分の思っている事を自ら発したことで、「なんだかちょっとわかった」ような気がする。

少なくとも、次回の飲み会に向けて、みんなで共有できる笑い話は一つ増えている。次回の飲み会では、またお互い同じ話をするのだろうけど、それでもうちの家族より、さらけ出している感じがある。

その逆、うちの家族は、誰もお酒を飲まない。飲めない。

そのため、食事中でも旅先でも、いつでもどこでも大真面目な感じがする。お互い世間体を気にしているというか、表面の感覚で、言葉を選びながらきちんと喋っている。表面的な会話が続き、お互いの本当の「わかり合い」が深まらない。

体質的にアルコールに弱いので、お酒を飲まないことは、誰も悪くない。
例えば、正月。みんなで集まって1杯ずつ飲めば、みんなすぐに体がアルコールに反応して、具合が悪くなってしまうような家族なのだ。体のことや、救急車にお世話にならない節度を考えたら、飲まないことが正しい判断で間違いない。

でも、そのあたりから全てが大真面目であって、結果、どんちゃん騒ぎで羽目を外すことも、普段言わないちょっと過激な冗談を言うようなことも、一切ない。

恐怖が顔をのぞかせる瞬間

それでいて、近年、年老いた両親がテレビを観ながら声に出す発言には、ぎょっとさせられる事がある。こうも保守的なのかと思わされたり、非常に狭い範囲でものを見ているように感じる。自分たちと違う環境の人に理解を示そうともしない。しかも、二人でお互いの意見に同調しあっている。

両親がテレビに浴びせている言葉を、もしSNSなんかに書き出したりしたら、とんだクレーマー?というか老害確定だ。

両親がこんなに偏った考え方なのかと気付かされる瞬間、両親に恐怖を感じる。私の知らない両親の存在を体感し、私一人、両親の横でテレビを見つめたまま、黙ってゾッとしている。まさか、自分の両親がこんな意見の持ち主だなんて。

知らないことは恐怖と知りつつ

そして、お酒を飲むわけでもない、いつも大真面目な私たちは、将来に渡り解りあえる機会を持たないまま、時間を持て余している。仲が悪いわけではないけど、お互い深く触れ合わずに、外側をなぞるような親孝行だけをして、家族を装っている感じ。しかし、恐怖のあまり、この状況を改善しようとか、もっと深まろうという感覚は持てない。

知らない事は恐怖で、相手のことが分かれば恐怖は減る。

そこまで理解しているのに、近寄ることを選択しない。ここまでわかっていても、動けない。人は、変わることにも恐怖を覚えるから、私はもはや両親に対して、恐怖にがんじがらめにされている。

知らないがために、無駄な恐怖を感じている、と頭でわかっていても。

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