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消えたテトラポットと秘密基地

男の子たちは「秘密基地」を作るのが好きだ。大人に邪魔をされない、子供だけの王国。そこには女の子も入れない。男の子だけの、秘密の隠れ家。

思えば、男は歳を取っても、妻や女友達を呼ばない、隠れ家的店など、そういう居場所を持ちたがるものだが、子供の頃からそういう傾向があるのかもしれない。

小学生6年の頃だ。小六ともなると、自転車で行ける範囲とはいえ、かなり活動範囲となる。

俺の育った街は港町だった。港には様々な船が停泊している。

港の付近には巨大な倉庫がたくさんあり、いつも大型のトラックが出入りしていた。

その中に、広い空き地があった。父の車に乗ってそこを通りかかった時に知った。父も「おー、こんな空き地になったんだなぁ」と言っていた。

その後で2回ほど、父と二人でグローブやバッドを持って、野球をやった。思い切りかっ飛ばしても、誰にも迷惑のかからない、広い空き地だったのだ。しかし、あまりの広さゆえに、打球が飛ぶたび、遠くまで取りに行かねばならないので、父とその空き地で遊んだのは二回だけだ。

で、俺は仲間たちを誘い、野球をやるために、皆でグローブやボールやらを持って、自転車で臨港線を走らせ、空き地へ行ったのだった。

実際、父と行ってから、冬を挟んで、半年以上経過していたのだが、空き地の様子は随分変わっていた。

広い広い空き地の半分は、テトラポッドで埋め尽くされていた。

テトラポットといえば、海水浴場の沖合の手間に並んでいる、波を避けるためのコンクリートの塊だ。子供の頃から謎だったし、今でも謎の物体だ。どうしてあんな形に設計デザインされたのだろう?。

それは海の中でどっしりと積み上げられたまま、フジツボや海藻がこびりつき、フナムシが這い回り、ウミネコが羽を休める場所。長い間、荒い波に晒されて、表面はザラついている。

しかし、その広場にびっしりと置かれたテトラポットは“新品”だった。つるりとした、光沢すらあるコンクリートの塊で、それまで知っていた、沖合で無残に朽ち果てようとするであろう事を匂わせる謎の物体ではなかった。

俺たちはバッドもボールも放り出して、テトラポットに登った。二段重ねになっていたそれは、くぐったり、隠れたりする場所もたくさんあり、隠れ家感満載だった。

「ここ、俺たちの秘密基地にしようぜ!」

と、誰かがいい、全員が文句なしに賛同した。ここは、秘密基地だ。いつか、山の中に作ったそれは、雨風で、いとも簡単に崩れてしまったが、このコンクリートの塊は、壊れることなど永遠にないだろうと思った。ついに、理想の基地を、夢の場所を見つけたのだ。

俺たちは、学校が終わると毎日そこに行った。

「じゃあ、あとでな!」

合言葉もなかった。とにかく、そこに行けばよかったのだ。

テトラポットの突起の部分を、運動神経のいい子供達は、ぴょんぴょんと飛び乗りながら、鬼ごっこなんかした。俺も、海岸の岩場でその能力は鍛えたので、隙間に落ちることなく、突起部分を飛び跳ねながら、学校のグラウンドくらいの広さいっぱいに綺麗に並んだテトラポットの上を走り回った。(今思えば相当危険な遊びだ。足を滑らせたら、大怪我か、死んでもおかしくないだろう)

遊びまわって疲れたら、テトラポットの隙間の中に入る。日差しを避けることもできるし、ちょっとくらいの雨も平気だった。

お菓子を持ってきたり、ジュースを飲んだり、走り回ったり。テトラポットの横は、それでも広い空き地だったので、サッカーをやったりもした。

しかし、俺たちの秘密基地は、小学生男子のの秘密基地の大半がそうであるように、ある日突然、あっけなく失くなってしまった。

俺たちは、学校が終わって、いつものようにそこへ行った。ただし、連休明けかなにかで、秘密基地に行くのは数日ぶりだった、ということだけは記憶している。

俺は自転車を停めて目を疑った。場所を間違ったのかとすら思った。なぜなら、校庭と同じくらいの広さにあった(と、覚えているが、子供の記憶だ。デフォルメされているかもしれない)、あの大量のテトラポットが一つもないのだ。そこは以前、俺と親父で野球をやった、ただの、何もないだだっ広い空き地だった。

数台のクレーン車が、奥の方に並んでいた。前から一台か二台は停まっていたが、その時は数が多かった。

俺たちは言葉もなく、唖然とするだけだった。一人、また一人と、自転車で到着する仲間たち。みな同様に、言葉なく、空き地の入り口で立ち尽くした。

自分たちが子供なのだと。無力な存在なのだと、現実を突きつけられた気がした。秘密基地は、秘密ではなくて、大人のものだったのだ。

それでも俺たちは、その空き地で遊ぼうとしたが、クレーン車の方にいた怖そうな大人が出てきて、「ここは遊び場じゃねえぞ!」と怒鳴られた。

それで完全に、俺たちの秘密基地は消滅した。そのあとは、また近所の小さな公園で遊ぶか、誰かの家でテレビゲームを楽しむという、普段通りの日常に戻った。

実際に、その秘密基地で遊んだのは、10日くらいだったと思う。あっけない秘密基地だった。

それにしても、今考えても不思議なのだ。あれから30年も経つが、考えれば考えるほど不思議なのだ。

どうして、あんなに大量のテトラポットがあの空き地にあったのか?どこかで製造されて、一時的な置き場だったのだろうか?

そして、たった2、3日で、それは運べてしまえるものなのだろうか?クレーンで釣り上げ、トラックに載せ、どこかに海岸へ運ばれのだろうが、あんなに大量のテトラポットが必要な海は、果たしてどこの海なのか?

高校生になってから、小学生の頃からの友人に(その時はまったく親しくない。俺は環境が変わるたびに友達が変わるタイプだ)、何かの拍子にテトラポットの「秘密基地」の話をしたら、

「え?そんなのあったけ?ああ…、そういえば、自転車で港の空き地で何回かサッカーしたっけ?それがどうしたの?テトラポット?」

彼はほとんど覚えていなかった。その一人にしか確認していないが、そいつは毎日(言っても10日もないが)、一緒にテトラポットの上を走り回って、「秘密基地だ!」と、意気投合をしていた仲間だったのだ…。

あのテトラポットは、俺だけの秘密基地だったのだろうか?

まあ、そうだとしても、それはそれでいいのだけど、陸の上の空き地に、テトラポットが何百と並ぶ光景は、圧巻で、壮大なものだった。信じてもらえないかもしれないが、それはオレの記憶に確かにあり、人生には往々にしてある、“何の役にも立たないが、忘れられない景色”の一つとして、心に残っている。

終わり


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不思議な話、ですね?

コロナ騒動で、自粛が相次いでます。もう、こうなったら仕方ない。休むしかない人、家にいる時間が増えた人も多いでしょう。

だったら、「読書」なんておすすめです(笑)。

不思議な話シリーズ、まとめて100話、いかがでしょうか?

これを読んで、「何か得をする」かはわかりません。なんの方法論も示されていません。でも、スピリチュアル書籍では異例の「ハウ・ツー」のない本ですが、なぜかたくさんの人に手に取っていただいてます。

「物語」は、なんの役に立たない?果たして、本当にそうなのでしょうか?オレは、物語の力や、音楽の力を信じてます。

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3月3日のワークショップも同様です。

ちなみに今日は、レコーディングでした。

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CDになるのはもう少しかかりそうだけど、配信で販売もするかも、です。最高の作品に仕上げます。



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