日本人の「道」
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日本人の「道」
日本人の宗教
日本古来の「宗教」といえば?
おそらく『神道』ということになるでしょう。
しかし、これは明治期に国家神道と制定されたのでそういう「名称」がつけられたけれど、それ以前はなんだったのでしょう?
もちろん、古来からなんらかの信仰がありました。今の宗教学者は、日本古来の信仰を原始的な「アニミズム」だったとして、そこから八百万の神という概念になり、神道が生まれたとされています。
飛鳥時代くらいから、仏教要素が加わり神仏習合スタイルという独自の宗教体系が発展しましたが、やはり日本古来の神仏への信仰心は色濃く残りました。そこまでくると立派な「宗教」という“形式”だと思います。
しかし神社という形式が生まれる前に、祈りの場として「磐座」などがたくさんありました。
それをあえて「古神道」と呼ぼうが呼ばまいが、それは宗教なのでしょうか?
その前に「宗教の定義」ってなんでしょう? つまに、「何を持って宗教と呼ぶのか?」ってことです。
Wikにはこうあります。
これだけだと、ただの「宗教団体」とか、社会的な定義が強いですね。だから上に付け加えるとするのなら、宗教には「教祖」や「開祖」がいます。イエスキリストと、ブッダとか、マホメットとか。
そして教義がありますが、そこには守るべき戒律やルールがあります。それを厳格に守る、ゆるく実行するかは信者の自由ですが、とにかく教義、経典はあります。
祈りの「対象」や、目指すべき「偶像」もありますね。「偶像崇拝は禁止」と言っても、仏像がなくても、モスクで「アラー」に祈ったり、寺院で「ブラフマン」に祈ったりするので、やはり「対象」があります。
では、日本の「神道」はどうなのか?
まず「教祖・開祖」いますか?
はい。おりませんね。
じゃあ「教義」はあるのか?
これ、祝詞を唱えたり、禊をしたり、神職の方の「修行法」や「儀式」とかはあるんでしょうけど、一般信者というか、仏教で言うところの「在家信者」にはどんなルールがあるでしょう?
ありません。教義も、まして戒律もないです。
神社参拝も、お賽銭も二礼二拍も、教義ではないです。
「対象」はありますね。神社の「御祭神」ですね。でも多神教なので、神社によってまちまちで、なんなら「岩」とか「山」とか「木」も神様であり、祈りや崇拝の対象なので、絶対神もいないし、天照大神とか、素戔嗚とか、メジャーな神様はおりますが、実はそれらに優位性はないです。
神道は宗教か? なんと呼んでもいいんでしょうけど、やはり僕は「道」だと思うのです。
日本人は何と言っても「道」です。
何でも道にしちゃうんです。
茶を淹れれば茶道。
花を活ければ華道。
字を書かせりゃ書道。
武力の強さを極めりゃ武道。
何でも「道」になる。
格闘技なんてわかりやすいです。空手道。柔道。合気道。
本来、暴力です。相手ありきです。相手をぶっ倒してなんぼです。
なのに「道」になる。道はどこにあるのでしょう? 戦う相手でしょうか?勝つべき敵が道なのでしょうか?
道はどこにある?
違いますよね。道って、かなり「内的」なものです。自分の中で感じて、自分の感覚で進むものです。
戦う相手は、ひょっとしたら道の途上にいるかもしれないけど、道そのものではありません。極めるべきは道であり、敵とか、倒すこと、ではないのです。僕も合気道をやっていましたが、合気道には「試合」はありませんし、もし「敵を作らない」ためであり、もし攻撃するものが現れても、「愛せよ」と教えられました。
「道」は、外の世界との相対的な関係性ではなく、すべて「自分」に向かっています。敵と自分、あなたと私、の世界ではなく、「合わせて一つ」という考えであり、現れる目の前の人も「自分自身」として捉えていきます。
花にしても、茶の湯にしても、自分とそれらが一体化することではないでしょうか?
宗教の話に戻りますが、「神道」も同じく「道」と書きますが、神道は宗教であり、「道」であるという不思議な宗教です。
西洋の宗教、東洋の宗教
西洋の、いわゆる中東を起源に持つ「一神教」がまさしくそうですが、上記の「一体化」とか「自己へ向かう」ものとは性質が大きく異なります。
西洋は「自分」と「神」との関係です。東洋は「自分が神と一つになる」というような感覚が強いですが、西洋的なものはあくまでも「神と自分」という相対性があり、絶対的な上下関係があります。
だから「祈り」の世界なんですね。神に、祈る。一方東洋はメインは「瞑想」として「神に成る」。解脱、悟り、ニルヴァーナ。
これが西洋人が理解し難い、東洋の宗教観です。今でこそ情報が広がったのでそんなことはありませんが、一昔前まではそうでした。
神という絶対的な存在に、たかが「人間」の分際が成ろうとしたり、そこに並ぼうとするのは、神への冒頭とすら思うかもしれません。イエスやマホメットですら「預言者」や「神の子」という立場であり、ローマ教皇や偉い司祭だって「神の代弁者」です。
しかし、ブッタのように「一人の人間」が悟りを開いて神になったとか、日本のように「死んだら神さま扱い」になったり、まして戦前の天皇のような「現人神」とか、ありえないのです。それは彼らからしたら「神への冒涜」になるのです。
とはいえ、一神教的な世界観や視点は、真理を見つめる上で大切なものです。ただ、一神教に偏ると、いわゆる原理主義になりますし、断定的になり、崇拝思考というか、自分を下に置いて、神を上に置く以上、人間関係もどうしても上下関係の思考になります。
実際に、今の世界の状況はどうでしょう?
一神教の世界観
この世界を実質的に制覇したのは、欧米白人中心の一神教の価値観です。多神教的な価値観を持っていたアジアや、土着的なシャーマニズム、祖霊信仰を持つアフリカやアメリカ大陸、オセアニア、ハワイ、ポリネシア、ほとんどが中世から近世まで欧州の植民地であり、現地の住民はみんな奴隷でした。
大国である中国も「清」の時代に実質イギリスに一度支配されたようなもので、日本も大東亜戦争敗戦後は、一番のアメリカの財布的なもので、半植民地状態の政府です。まあ、最後まで唯一外国に征服されなかったのが日本でもあるんですけどね。
欧米の価値観、つまり一神教の価値観から、共産主義や資本主義が生まれました。今は共産圏は支那(チャイナ)と北朝鮮、キューバくらいですが、ほとんどが資本経済という名の、ある種の宗教的な世界観に染まっています。
それは常に相対的な価値観であり、相対的に勝つこと、勝ち続けることを至上命題とし、常に二元論の上に成り立ちます。
世界は今の現状、どこへ向かっているのかわかりませんが、まだまだ欧米主体の価値観で突き進もうとしているのは間違い無いでしょう。もしくは、欧米ではなく、中露を中心にしたものかもしれませんが、やはり似たような競争と相対性を軸にしたものでは?
そこで「道」の話に戻ります。
道というのはどこにあるのでしょう?
この時代に求められる「道」とは?
先ほど、
「道」は、外の世界との相対的な関係性ではなく、すべて「自分」に向かっています。
と上記しました。「外」の世界や「相対的」な世界ではなく、常に「内的」に向かいつつ、相対的に分離するのではなく、ひとつに統合していくものです。
右を見ても、左を見ても、親を見ても、友人を見ても、尊敬できる人を見ても、素晴らしい概念や思想を見ても、そこには「道」はありません。道は自分の中にしかありません。
現状の相対性と二元論で成り立つシステムで進むというのなら、地球はもう環境が保ちません。
そこで人口を減らそうとしたり、火星に移住計画や、意識をバーチャル世界に送ろうとしたり、あれこれと考えられてはいるようです。それは、とっても頭の良い人たちが、地球のために最もベストな選択をしているのかもしれません。
しかし、その選択や思考以前に、彼らは一神教という価値観がベースにあります。常に「外」に向かおうとする原理です。
世界はその波に乗っていますが、私たち個人はその波にすべてを飲まれて良いのでしょうか?
精神世界やスピリチュアルと呼ばれる世界の可能性がここにあります。なぜなら「霊性」とは内なる世界であり、「道」だからです。
しかし、そんなスピリチュアルの世界も、多くが「外の神」を拝むようなものが多いのが実情で、やってることは違えど、一神教から生まれた「外の世界」に生きる現状と、さして変わりありません。
そうではなく、内なる「道」です。それこそが、我々人類に新しい叡智をもたらす希望だと思っています。
そして私たち日本人には、古来よりその感性がたくさん備わっているし、日本の至る所にその息吹が残っています。
まずは、あなたがあなた自身の「道」をすすむこと。あなたがあなたにしか進めない道へ踏み出すことです。
それは、「内なる世界」ですから、誰にも褒められたり賞賛されるものではないです。他者には決してわかりません。
そのせいだから、この「道」の世界は地味に見えますし、現実の成果がないように思われてしまいます。
しかしこの内的な旅こそが、あなたという人間を大きく大きく広げます。そして、その結果として、現実の外の世界でも、あなたはとてもパワフルな存在になります。あなたは創造的な人生を送り、輝くことができるのです。
「道」を持つこと。心の中に、真のあなたと出会う場所がある。
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