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僕と“いえす”様

「いえすさま…」

僕は幼い頃、キリスト教系の幼稚園に通っていた。

そこには教会があり、毎朝「礼拝」の時間があり、月曜日は牧師さんと共に、いつもより長い時間の礼拝をした。

僕はその時間が好きだったということをよく覚えてるし、聖書の話とかを絵本で読んだり、絵を見るのも好きだった。

ちなみに僕は2歳くらいから割と記憶があるので、幼稚園児の頃は、かなり鮮明な記憶が残っている。

お祈りの時間。それは素敵な時間だった。

お祈りをする、ということに対して何も抵抗なかった。そして当時の僕にとってのお祈りとは、お願い事をすることでも、感謝でも、賛美でもなかった。

じゃあ幼い僕は何を祈っていたのか? 何のために祈っていたのか?

幼稚園の礼拝の時間だけではなく、朝起きた時や、夜眠る前に、“いえす様”と呼びかけ、その存在に、何を祈っていたのか?

今回の旅の中で、たくさん教会の中で過ごした。

アッシジの大聖堂で、美しいステンドグラスの窓を眺めていると、幼稚園の小さな教会の景色を思い出した。そして、幼い頃の自分の感覚。

自分自身のスピリチュアル(霊性)への関心や探求、そして精神性への愛しい想いの原点は、僕にとって“いえす様”だった。

ここ数年は、特に強く意識したことはない。瞑想と祈りは僕のライフワークで、歯を磨いたりご飯食べたらするのと同じで、なんら特別なことではない。

習慣、と言えばそうだけど、生活習慣とも違うから、なんとも上手く言えないけど、とにかく日々の中で当たり前にある。

しかし今回の旅で、祈りという行為の奥深さや、意味や、奥ゆかしくせつないと言えるほどの、密やかな神の対話を感じた。

それと、ステンドグラスの美しい模様が、僕の記憶の深い部分を呼び起こした気がする。

幼い僕はいつも祈っていた。いえす様。つまりイエス・キリストに。

言うまでもないが、僕はキリスト教徒ではないし、特定の宗教に傾倒していない。むしろ、宗教という組織に多くの疑問を持っているくらいだ。

幼稚園児の頃も、宗教観や、宗教組織を意識したことはない。ただ、祈っていただけだ。

では幼い僕は、当時何を祈っていたのか? 

そこに僕の祈りへの原点がある。

冒頭に書いたけど、その祈りは「お願い」ではなかったと思う。お願いを祈りに込めるようになったのは、もう少し大きくなってからだ。

では「感謝」か? 神社はお願いではなく、感謝すべきところ、というスピリチュアルな意見もあるけど、幼い僕は感謝もしてない。

神への賛美か。讃えていたのか? これが1番近いニュアンスかもしれない。でも、それは「人間が下」で、「神を上」にして、畏れ敬っていたわけではなかった。

天の父と、いえす様と僕。僕は讃えるけど、対等だった。偉いし、すごいけど、自分が偉くないとか、すごくないわけではない。

すべてがひとつだった。祈りの時間はとても満たされた時間だった。

幼稚園という場所やシステム自体は嫌いだった。僕は子供のくせに子供が嫌いで、周りの子供たちが苦手だった。集団行動や、みんなと同じ行為を強いられるのも苦痛だったから、お遊戯で自分だけ動かない、とか、サボるとか、そんな抵抗をしていた。

でも、いえす様は好きだったし、天のお父様も好きだった。

そう。好きだったのだ。甘いものが好きとか、猫が好きとか、音楽が好き、お寿司が好きとか、そういうのとは違う「好き」だった。「愛してる」という感覚は当時はまるでわかるはずないけど、多分、僕は神とか、いえす様という目に見えない存在を愛していた。

そして、それらの大きな存在が、この世界のすべてであるという認識もあった。目の前にあるもの、すべてが神の顕れである。

僕の祈りに言葉はなかった。ただ、「いえす様」と言葉なき言葉を、胸の想い一つで問いかけた。そして目を閉じ、世界を想いを馳せた。

それが僕の祈りだった。

祈りとは、愛することそのものであり、愛することの確認であった。

なんて豊かな時間だっただろうと、あれから40年も時を経て、遠い異国の地でそれを思い出した。

毎日、瞑想だ祈りだのなんだの言っても、幼いあの頃の無邪気な愛に比べると、なんて純度の低いことだろうと思った。

いや、別に卑下してるわけではない。なぜなら、そんな今の自分も、あらゆる至らない自分や、ここに辿り着くまでの、決して褒められるようなことをしてない半生すべてが、愛であり、神の顕れだから、何を卑下することがあろう?

アッシジの様子をYouTubeにまとめています。


お知らせ

☆ vision (9月一杯の予定でしたが、好評のため10月15日まで延長します)

☆ 五感を磨き、自然と通ずる。

高尾山歩き

阿弥陀寺と奥の院を巡り、野外でのワークショップと、箱根でランチ。

京都。伝統と神秘の山を歩く。

☆「地水火風 - 祈りの唄 - 」 エレメントを浄化し、平和の世界を祈る音。

10月29日(日) 大阪 

11月5日(日) 東京 



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