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「祈る」ということ


祈り。

世界中の歴史にはなんらかの宗教性やスピリチュアルな思想や習慣があり、そこには必ず「祈る」という行為がある。

何に対して祈る?

神、という概念はさまざまで、日本のような八百万の神的な多神教もあれば、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教に代表される一神教。

仏教のような解脱を目的としたもの、儒教などは宗教ではなく思想だが、それらは人類史の暴力的な勢力による征服と、支配と政治利用などが複雑に絡み合い、現代の様相となっている。

日本だって、大和朝廷以前と以後では、宗教性は違うし、そこに仏教やらなんやらが混ざり合い、今の形になった。

前置きが長くなったが、今、様々な歴史的背景があろうとも、世界には自分を超越した“なにか”への「祈り」という行為がある。

平和への祈り。感謝の祈り。願望への祈り。他者のため、家族のため、自分のため。

今日も世界のどこかで、祈りが行われている。

イタリアの「Assisi(アッシジ)」は、キリスト教の聖地の一つで、聖地巡礼の観光地だ。

聖フランチェスコの祈り。

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、
慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者にしてください。
  愛されるよりも愛する者にしてください。
  なぜなら、与えることによって受けとり、
  許すことによって赦され、
  死ぬことによって
  とこしえの命を得るからです。


これが、フランチェスコ本人の言葉だったかどうかは定かでないらしいが、この祈りの言葉は日本語訳とはいえ、僕には強く胸に響いた。そしてやはり聖人と呼ばれたフランチェスコの精神が顕れている、と思う。

憧れの地、という言い方もおかしなものだけど、ここにはずっと来たいと思っていた。


今回のイタリアへの旅は、アッシジへ行くのが1番の目的だった。

僕は旅が好きだ。国内でも、かなり旅をして充実してる。コロナ前はちょいちょい海外には行ってたけど、日本国内でもまだまだ神秘や、知られざるものがある。

しかも今は円安だし、無理に行くこともないと思っていたけど、心のどこかで「アッシジに行きたい!」と考えていた。現状に何も不満はない。だけど、どうしても行きたいと。

そして緊急事態宣言とか、またいつそのようなことが起こるかわからない。みんな体験したはずだ。

今は何事もなかったかのように生活してるけど、我々は常に危ういバランスの上にいて、しかもそのバランスは、我々の技量や努力を超えた力が働き、簡単に乱してしまう。我々一人一人の力は、どうしても大きな流れに翻弄されがちだ。

だから、行きたいのなら、行ったほうがいい。

「いつやるの?今でしょ?」

そう。今、行くしかない。

ちょうど、Veneziaにいる友にも会いたかったので、北部中心に巡る旅にした。

壇珠さんとジェラート。


で、アッシジはどうだったか?

素晴らしかった。

これを書いている今は、フィレンツェにいる。都会だ。きらびやかで、華やかで賑やかな都市。芸術の都。

もちろん、ここにも歴史と伝統があり、宗教があるので、常に祈りはある。

しかしアッシジの厳かな雰囲気や、確かに大きな建築物だったけど、シンプルな装飾と、人の少ない時間の教会の静けさ。

そこには積み上げられてきた祈りが色濃く、触れられそうなほど実体のある空気としてあった。

1000年。祈り続けた人々がいた町。なんと心地良く、優しさに満ちた時間を過ごせただろう。もっと滞在したいと思った。

東洋、特に日本の自然崇拝や、調和に満ちた感覚とは違う、切実さと、切れ味の鋭い刃を、しかし最大限の優しさを持って天に突き立てるような意識を何度も感じた。

その祈りの結果? そんな小さな話ではない。個人の願望実現への願い事や、パワースポット巡りをして安直な開運を目論むような陳腐なものではない。

祈りは、今、ここにある。

かつてこの地で祈られたものは、今もある。そう確信しています。それは日本も同じ。

我々の祈りは未来永劫に残るものです。だから、日々の想いや言葉は、大切に扱いたいと思う。

フィレンツェで、華やかなスポットや、


美術館、

ウフィツィ美術館


グルメを楽しみつつ、

グルテンフリーのパスタ
こちらのピザもグルテンフリー。


教会を巡って、

とにかく歩き回った。連日2万歩を超えている。

1人でぼんやりしてる時間はたくさんある。ずっと、祈りと瞑想と、visionを観て、感じる時間。

旅で何を削ぎ落とし、何を得るのか。それは後にならないとわからないことが多いと知ってる。でも、祈りは今ここにあり、かつてあった祈りと共に、今に溶けていく。そんな感覚を味わい続けてます。

YouTubeチャンネルで、旅の様子を続々とアップしてます。

お知らせ

☆ vision (9月一杯の予定でしたが、好評のため10月15日まで延長します)

☆ 五感を磨き、自然と通ずる。

高尾山歩き

阿弥陀寺と奥の院を巡り、野外でのワークショップと、箱根でランチ。

京都。伝統と神秘の山を歩く。

☆「地水火風 - 祈りの唄 - 」 エレメントを浄化し、平和の世界を祈る音。

10月29日(日) 大阪 

11月5日(日) 東京 

Youtube



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