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探求文庫 #136 何が不満なのか?

おそらく、多くの人が「不幸」と感じたり、「幸せじゃない」と思ってしまう状況を一言で言うと「不満」なわけです。

さまざまな不満が渦巻いていますが、中にはお天気一つで不満を覚え、幸せを損なう人もいます。雨だと不満。寒いと不満。暑いと不満。

動物を見てください。暑かろうが寒かろうが、雨でも晴れでも不満はないです。その時その時の状況に対応していくだけです。

もちろん、動物にも困難はたくさんあるでしょう。でも、それを不幸とは思わないはずです。

彼らはまず「過去」との比較がない、というのもありますね。快適な過去の「幸せの記憶」で動かないから、現状がそれと対比した不幸ではないわけです。

しかし、ここでポイントなんですが、動物たちは現状に対して「要求」がないということです。

この「要求」というものが、人間が人間たる所以であり、人間を苦しめる大きな要因であり、我々の生命力を枯渇させるものです。

上記の例だと、例えばある人が雨の日に天気を憂いているとして、どうして天気に不満なのでしょうか? 

もちろん、彼の都合があるでしょう。仕事に影響が出るとか、晴れじゃないとできない楽しみがあったとか。

でも、彼は天気の結果云々の前に、「晴れるべきだ」と要求をしていたのです。「晴れて欲しい」という希望は本人も認識していたでしょうけど、実はその奥には「晴れて、自分が目的を遂行することが当然」という傲慢で自己中心的な心理が密かな働いているのです。

だってもし、

「晴れるとうれしい。でも、お天道さんのことだから、俺にはどうにもできない、雨の可能性も十分あるよね」

と予想やリスクヘッジじゃなく、本気でそう思ってたら、天気が悪くてもなにも不満はないはずです。

要求度と不満度は比例します。要求が強ければ強いほど、それが達成されなかった場合の不満は増大します。要求や“期待”が強いほどにがっかりするもんです。

恋愛や結婚なんてそうですね。恋愛相手や結婚生活に期待しすぎてた人ほど、いざ長く交際したり、結婚生活を共にしたりして、目の当たりにする現実とのギャップに不満が募ります。

かといって、期待感の強い人は“要求が通れば満足するのか?”というと、要求が強い人は「それが当たり前」と思っているので、自分の想像通りだったと納得はしても「幸福」は感じにくいです。

幸福感は、逆に要求や期待が希薄なほど「まさかの幸運!」というサプライズこみの喜びにつながることが多いと思います。結婚生活も、最初からあまり期待してないくらいの方が、何気ない気遣いや優しさに出会うたびに幸福感を感じます。

話を戻しますが、よくよく考えて欲しいのだけど、あなたが日常で「不満」に思うことの深層を探って欲しいのです。実は、ほとんどすべての発端には内的な「要求」があり、その不満は要求が通らなかったことによる不満や不幸感覚なのです。

自分からのアクションだけではなく、外的な要因もそうです。

例えば誰かから「アホ」とか「ブス」とか、なんらかの暴言を言われるとします。あなたは当然腹が立ちます。

どう考えても「相手が悪い」と思うでしょう。でも、相手がどうの、何を言った言われたの前に、「自分はあなたから暴言を言われるべきではない」という要求があったのです。

人は無意識下で、密かにこんなことを思っています。

「私は不当に扱われるべきではない」
「私はもっと人から尊敬と注目を浴びるべきである」
「私のことを人は大切にすべきである」
「私は安全と安定の元に暮らすべきである」

これは人にっては軽重あるでしょうけど、漠然とこういう意識が育てられあげられるのです。そしてそれが常に周囲に要求・期待をして、それが叶えられないと不満になる。

え?「私はそんなことありません!」って?

という人ほど、そもそもが「私は正しい」という、漠然とした前提を深層心理に強く持っています。すでに「私は正しい人として扱われるべき」という要求をしていて、違うことを言われて腹が立ったのです。

ここに気づかない限り、ずっと自分の外部の出来事に振り回されます。自分が勝手に要求し、期待しているから、勝手に不満になり、嫌な気持ちになり、疲れてしまうのです。

だから、自分で自分の心の奥、思考の裏を観察して、よくよく洞察し処理をしないとと、ずっと不満という爆薬と導火線をぶら下げて生きているようなものです。

なんでこんな話をするかというと、これは本当に大事なことだからです。

我々には「エネルギー」があります。それは、自らを成長させ、宇宙生命としての進化に向かうためのエネルギーです。

しかし、このエネルギーはいとも簡単に消耗します。その最も大きな消耗が、この「不満」なのではないかなと思います。

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