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“わからない”ことがわからない大人(前半)。 新時代のための「ロスジェネ世代」の生き方(後半)

“わからない”ことがわからない大人(前半)。

「うちの子供は宇宙人です」

と、あまりに理解できなさ過ぎて、どこか違う文明の種族なのではないかしら?などと思う親御さんは多いですよね。

まあ、一部スピリチュアル好きには、とにかく何でも「宇宙人」とか言っておけばそれっぽくなってしまう現象があるので、

「社会に適応できない」⇨「それは宇宙人だから合わないんです」
「人間付き合いが苦手」⇨「それは宇宙人だから仕方ない」
「やりたいことが見つからない」⇨「スターシードだから何もしないでいい」
「人から理解されない」⇨「ライトワーカーの使命です」

みたいな風に解釈したりもします。宇宙人って大半は、地球よりも文明進んでいると思うんですけどね…。

ただ、スピじゃなくても「子供は宇宙人」って言いたくなるほど、とかく理解できない。

これは大昔からあった「ジェネレーション・ギャップ」もあるんだけど、僕も個人的に、明らかにここ20年ほどは、人類がずっと続けてきたそのような世代間の無理解を超えた“何か”があると思います。

50年くらい前から「高度経済成長」と「文明の発達速度の加速」のせいで、当然頭の柔らかい、物覚えの早い子供世代の方が、いち早くコンピューターや、電子機器に対応し、世代間のギャップはもはや「分離」と呼べるくらいに溝が深まり、「親から子へ生き方を教える」という文化はほぼ壊滅していました。

元々は、世界中どの文明も、親が子供に、生活の糧や、生きるためにやるべき作業を教えてきたのです。産業革命以降、それが大きく変わりました。第一産業から政治家(武家・王家)にいたるまで、ほぼすべて「世襲制」だったので、親がその仕事に見合った内容の知識、そして作業そのものを教えてるのが当たり前でしたが、産業革命以降は、世界の一部中の極々一部の「王家・貴族」以外は、『労働者(ワーカー)』になったので、世襲はなくなり、学校が普及した。

それに加えてのテクノロジーの発達。僕の時代感覚で親世代とのギャップが強く、「親は何も知らない」などと言う連中もいたりしたくらいで、親からしても「最近の若いもんはなっとらん!」と、新しい価値観を批判する。

で、今の子供たちや、10代や20代の若者たち。

*注 あくまでも『平均値』や『全体像的象徴』であり、例外は常にありますよ。

僕が子供の頃、10代の頃と比ではないくらいにギャップがあります。まず、彼らはデジタルネイチャー世代であり、物心ついた時からスマホやPC、インターネットがあった、というだけで、物理的に考えても明らかに条件が環境が違いすぎるので、その感覚はもはや今の中年以降には想像すらできないでしょう。

後半に述べますが、それはテクノロジーや社会環境だけの問題ではないと思うけど、とにかく違い過ぎて、理解できないわけです。

でも、この「理解できない」ってことが、多くの大人たちは理解できない。

「自分はわかってる、知っている」が前提にあるんですよね。そして、若い人の行動や価値観を理解できないのではなく、「彼らが未熟でわかってないから間違った行動をしているんだ」と判断しがちです。

それを、若い人に対して直接言ったり、行動に表現し、ましてその価値観を若い世代に押し付けるような、そういう人たちはどう呼ばれるか知ってますか?

『老害』

って言われるんですよ。

老害になる人の特徴として「わからないこと」が、わからないってことです。これが一番やっかいです。だから「まずは知ること」なんです。
「人と人は違う」
「世代間で正義や価値観は違う」
「私は他の世代の感覚がわかっていない」
ってことを、知ることから始めないとならない。

「自分は道理をわかってる」「自分が正しい」って傲慢な思考があるから、自分を理解してくれない人や、自分の思った通りにやらない人に対して、「ダメなやつだ!」と決めてしまう。

老害はもちろん、例えば僕の世代でも、親の世代とかで「老害だな…」と言いたくなる人はいますが(笑)、最近の若い人にとっては、今度はこの「老害の気持ち」がまるでわからないんです。

僕は、今の年配の方々が老害になって、自分より若い世代に老害発言する気持ちや、その価値観が、なんとなく理解できます。

でも、若い世代はそもそも、

「人に対して自分の価値観を押し付ける人」
「他人対して偏った視点で見てジャッジすること」
「すべて競争で所有の原理で、共有や平等的分配ができない人」
「上昇志向や、成長願望がないとダメだと言う人」

の気持ちがまるでわからないのです。

だから溝は深まるばかりです。でも、社会的に弱者にいる若者の方が、立場的に弱く、傷つけられることが多いのが実態です。老害たちは攻撃性が強いですけど、若い人たちは攻撃的ではないし、戦うことも苦手ですしね。

その世代間の溝を埋めるのが、今の中年世代の一つの役割、だとも思っています。

若い世代の特徴の一つとして、若い人たちはまず真っ先に「自分」を大切にすることができる人が多いと思います。

「自己犠牲」や「我慢」って、我々の世代から上の世代には、ある種の“美徳”ですらあり、「みんなに合わせる」というのは、法的拘束よりも、下手すれば日本では強いものでした。

不登校、なんてものも、我々の時代にはそんな「選択権」すら無かったような気がします。でも、若い世代は真っ先に「自分を守れる」からこそ、自分にとって有害だと判断したら、そこから離脱することを身をもって示します。

自分が(ある程度)満たされてるからこそ、人に与えることってできるのではないでしょうか?順番的に、自分が我慢したり、抑圧させて人を優先させてしまったら、シコリが残り、滞り、心や体が病気になります。僕らの世代はそんなんばっかだったのでは?

先日も我が家のエピソードですが、息子を見て感心しました。

修学旅行で「お土産」を買ってきたのです。いくつかのお菓子を買ってきました。

まあ、僕も妻も、基本的に砂糖系は取らないんですが、上質は物をちょこっとなら食べます。で、息子はそこそこ上質な物を買ってきたのですが、その「お土産」は主に、『自分用』だったようです(笑)。

なんでそれがわかったかと言うと、
「お、このお菓子、良さそうだね。じゃあ食べようか?」
と言ったら、
「うん。ちょっとだけなら食べていいよ」
的なニュアンスのことを言ったのです。

それを聞いて、お土産は主に「自分のため」に買ったのだと知り、

(あ…お土産って、人のためのもんじゃなくてもいいんだ…)

と、そんな当たり前のことに気付かされました。

ただ、息子はそれを“独占”してるわけではないので、基本、自分のものとして買ってきた「お土産」で、僕や妻に少しだけ、快く「お裾分け」してくれます。

しかし、何はともあれ「自分を満たすのが優先」という、息子らしくて感心しましたし、「お土産=人のため」という、僕の価値観が凝り固まっていたことに気づけてよかったです。

後半は、若い世代の感性と、これからどう生きるか?などを、もう少し深めた視点からお伝えしようと思います。

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では、後半へ。

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