この世界を「見直し」てみませんか? その2
★お知らせ 「目醒めのオンライン」 第一回のテーマは『日本人』
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前回の続きです。
さて、前回は飲食店、衣服、そして医療のことを語ったが、ここからは“文化面”の話も交える。
コロナショックにより、エンタメ業界。アート業界。娯楽・アトラクション業界も危機に瀕している。美術館などの展示系は全滅。ライブも全滅。映画やテレビなら家で楽しめるものだが、創作者サイドに問題が起こる。
連続ドラマなども、コロナ感染者がスタッフやテレビ局に出てしまうと、撮影そのものができないので、ドラマ放映そのものが延期になったものもある。新しいものは、なかなか生まれないだろう。
しかし、これも、俺自身がアーティストなので、自分の首を絞めかねないことを言わせてもらうが、
・娯楽施設が多すぎる
・アーティストと呼ばれる人が多すぎる
この辺は、はっきり言って『なんぼあってもいい』とも思う。むしろ、もっとあっていいとすら思う。人類には「アート(芸術)」に触れる機会がもっとあっていいと思うし(特に日本人には!!)、もっと『自己表現』をしていいと思うからだ。
しかし、その「クオリティ」はどうだろう?
娯楽・アトラクションは、その場で人をあっと驚かせるような趣向に凝っているし、それはそれで楽しいものだが、そこに「深み」を見出せるだろうか?テレビ番組しかりだし、エンタメや、あらゆるアート(芸術)と呼ばれる世界もそう。
自己啓発や、ビジネス書でもよく目にする言葉書だが、
『何をやるか?』ではなく『誰がやるか?』
が、昨今のビジネスや、人気商品のポイントで、成功の秘訣。2000年代になり、インターネットの普及もあり、商品力より、発信者の知名度や影響度で、大きく左右する。つまり「誰」がやるかが重要だ。特に、個人起業ほど顕著に現れる。
悪いことではないし、批判はしていない。俺だって、自分の「フォロワー」さんが、俺の収入を支えてくれているのは事実だ。
しかし、その一方で、クオリティの低下は否めないのでは?と思うことがある。
人気さえあれば、何をやっても売れる、バズる、という法則になっている。消費者は内容を見ないで“誰”の部分における「信用」を買っているのだ。「〇〇さんの、商品」という。
あとは「応援したい」という気持ちだね。困っている人の助けになるために買ってあげる、というのも「寄付感覚」としていいことだと思うけど、商品として、芸術性として、クオリティを度外視していると、双方が低レベル化してしまうのでは?
逆に、クオリティが高くても、「発信者の人気・知名度・フォロワー」が少ないばかりで、ビジネスとして成り立たないというのはよく見聞きする。
ビジネスで成り立たないということは、この資本主義社会では、生き残れないということだ。だから、生活のために、アートの才能を使わず、別の仕事をして食いつなぐ…。
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