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どうして「読書という体験」が大切なのか?(前半) だから「今」を丁寧に生きるしかないんだ。(後半)

どうして「読書という体験」が大切なのか?(前半)


立て続けに、Youtubeチャンネルで友人の「うえさま」こと、上田光俊さんとの対談動画をアップしました。(note下部にリンクあり)

うえさまのブログもかなり秀逸です(笑)

僕らはもちろん「本が好き」だし、「読書が人生を変えた」ってくらい、大きな影響を受けているのですが、かと言って、その価値観を押し付けたいわけではなく、「本を読む楽しさ」を知ってもらえたらなぁと、いつも思っているのです。

ちなみにうえさまはこんなイベントもやってるくらいです。ご興味ある方は遊びに行ってみては?

ただ、僕はどっかしらに「読書離れ」のこの時代と「文章リテラシーの低下」については、多少なりとも危機感のようなものを持っています。

それは文章力とか、読解力云々ではなくて、動画でも(その2)で話している通り、

『想像力』

の欠如につながると思うからです。

本は自分の目を使って言語を理解しながら、想像しながら味わい、読み込んでいくという、受取手にとって「能動的」なものですが、テレビ、映画、アニメ、そしてYoutubeなどの動画媒体は、受取手は完全に受け身(受動)で享受できます。

この二つの違いはわかりますか?

動画は圧倒的に『楽(らく)』なのです。だって、あちらさんで全部パッケージしてくれてるものを受け取るだけですから。

本は、例えるなら『プラモデル』のようなものかもしれません。

プラモデルは、箱を開くと、バラバラの部品があって、それを説明書に従って、順番通りに構築して、形にして、それを愛でたりして楽しむものです。だから、その成り立ちや、中身まで愛していて、作り方にもクセや個性が出て、同じプラモデルでも人それぞれに差異が現れ、そこも愛しいもんです。

でも、動画媒体は、最初から『プラモデルの完成品』が入っているので、自分で組み立てる労力なく、すぐに愛でることができます。

しかも、今や動画媒体は「無料コンテンツ」ですからね。味わい放題です。しかし、そこの「中身」や「過程」はわからないし、出来上がったものにはあまり他の人との差異や個性ってないです。

以前、こんなnoteを書きました。

映画などのアート(芸術)性があるエンタメには、やはり色々と奥深さや、深みがありますが『情報媒体』としての動画コンテンツって、とにかく「わかりやすさ」が肝です。

そして「目を引く」のがポイントで、見てる人が集中力を切らさずに見れるように、定期的にインパクトある映像や音声、言葉などを投げかけます。

この手法はハリウッド映画やテレビ番組も同じ構成ですが、それほど我々は数分に一度はインパクトを与えられないと、集中力が続かないようです。

確かにYoutubeなんて面白くない、と思われた瞬間、飛ばされたり、消されますからね。映画館に行かない限り、常にタップ一つで消される可能性があるので、みんな必死にインパクトをつけるのです。でも、おかげで人々はますます「集中して享受する」ことができなくなっています。

一説によると、人間の集中力は、現代人は8秒とか…。ちなみに金魚ですら9秒あるそうです。というのが2013年の実験で明らかになっているのですが、2010年は10秒だったので、2013年で8秒…。今はどうなってるんでしょうね?(笑)

しかし、これは「鶏が先か?ひよこが先か?」の理論と同じで、

・集中力が無くなったから、インパクト重視の作品を作るのか

・インパクト重視の作品ばかりだから集中力が無くなったのか?

どっちでしょうね?僕はどちらかというと“後者”だと思います。

スマホが普及してから、上記の集中力の他にも、平均的な知能指数や短期的な記憶力が下がってるように、カーナビが出来てから運転手が道を覚えれなくなったように、人は環境に適応します。

だって自分の代わりにスマホがやってくれるんですから。

そんな中で、誰かがインパクトある、とにかく目を引くテレビ番組とか作ったら、それはヒットするに決まってます。人間の脳はとかく「楽」が好きですから。

そうなると、そういうテレビや映画が増えます。そして、Youtubeなどで、誰でもチャンネルを作れる時代になった。本気で視聴回数取りに行きたいのなら、当然その手法は使います。

視聴者の脳は、ますます集中力がなくなる。だって、集中する必要性がないから。集中なんて疲れることしなくても、いくらでも楽に楽しめちゃう。

しかも無料で!

それが「悪いこと」は言いません。時代の流れなのでしょう。

ただ、歴史を見てみるとわかるけど、時代の流れに流されて生きる人と、時代を創る人って、全然違うものであり、前者は平和な時代ならただただ平和を享受すればいいですけど、戦争や災害が続くとか、平和ではない時代には、本当に時代に翻弄され続け、為政者達や、共同体の言うがままに流されて生きるしかないです。

でも、時代を創る人たちは、そんな時代にこそ、自分の人生を創り、充実した人生を全うしていきます。

僕はいつも「どっちを選びますか?」と、提案したいだけです。提案のために、ほんのちょっぴり問題提起をしたいから、こういうことを書き続けています。

そして、今は本当に「平和な時代」なのか?ということ。

もちろん、僕は今日も平和です。とても幸福で、自由に生きています。しかし、ただ「平和平和」と、言霊を言って、ワクワクしていればいいのですか?

もちろん真の平和は「内なる平和」なので、外の世界にあるわけではありません。

ただ、日本も戦後70年以上、なんだかんだ言って大きな戦争もなく、災害も乗り越えてきましたが、とにかく世界一治安が良く、清潔で、平和な時代を享受してきました。ただ、今は「その頃と同じ」ではないということくらい、誰しも思っているはずです。

危機感を煽るわけでも、不安にさせたいわけではないです。ただ、今の時代を生きる僕らに、何かしらできることがあって、それはただただ「社会」とか「政府」や「メディア」に流されて生きる人生ではないはずです。

だから僕らが「自分を生きる」のなら。時代に流されず、「自分で人生を創る」のなら、何よりも必要なものは「体験」です。

もちろん、ガチの体験に勝るものなし、だと思います。しかし、なかなかそうはいかないし、人生は時間と空間が限られています。だからこそ「想像力」だと、僕は思います。

想像力が、体験に変わるのです。

それは与えられたパッケージには少ないけれど、文章を読み込む、というプロセス(過程)を通すことで、物語や、作者の情熱が、自身の体験と変わるのです。

そしてその体験が自分の内なる自己と交わる時、さらに想像力が育まれ、ケミストリー(化学変化)が起きるのです。

想像は創造の原点。

読書には、僕らの「想像力」を育み、体験を増やし、創造性に直結する力があるのです。

自分の人生を、創造しましょう。創造的に生きていきましょう。

で、最後に話は変わりますが、うえさまのブログで「自分には華がない」って書いてたけど、僕もこの業界ではかなり華のない男でして…。

しかもテーマが「読書」とか「本・小説」ですからね…。なのであまり視聴回数は芳しくありませんが(笑)

なんだかんだ言って、けっこうイイ話しまくってると思いますんで、どうぞ観てやってください。

その1

その2

その3

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(sold outの場合は、キャンセル待ちとなります。希望の方は、販売サイト下部のメールへ「キャンセル待ち希望」と、お名前などを明記してください)

さて、後半はさらに「問題提起」をさせていただくため、“ここだけ話”もあるので、今回はマガジン限定とさせていだきます。。

だから「今」を丁寧に生きるしかないんだ。(後半・マガジン限定)


読書って、言うまでもないけど「アナログ」な行為です。このデジタル文明に逆行した行為です。でも、この「アナログ」な行為は忘れてはいけないと思います。

それが、とにかく後半でお伝えしたい「丁寧に生きる」ってことなんですが、まずは現状をもう少し掘り下げます。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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