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再生と復活。「母と許し」、「斜に構えた体」、そして「生まれ変わり」 後編-そして歌声。

こちらの続きです。

変化に向けて

怒涛の2023年。体の癖や、母のことを通して、人と真っ直ぐに向き合い、自分の「制限」を外すというテーマが浮上しました。

すべては「内面にある」と、僕も伝えていますが、こうやって内的対話を繰り返したあとに、人と「交流」をすることで、思わぬ盲点を伝えられるのです。

さて、そこから日々、体の使い方を徹底的に変えるようにしました。

それと、母のことはもちろん、「先祖供養」も、それから欠かさず「儀式」として行うようになりました。

祭壇のような場所を作り、感謝する。毎朝、先祖ひとりひとりに対して、感謝を伝える。

確実に、自分の中に今ままでは流れていなかった息吹が、心地よく通り抜けるのを感じますし、とにかく真っ正面から向き合い、真っ直ぐ歩き、真っ直ぐ動かし、真っ直ぐ声を出す。

(ちなみにここでいう「真っ直ぐ」とか「正面」って、そんな安易な動作や意識ではないです。もちろん、人に身体操作を教えたりしてる身ですから、基本的なことは一通りできた上で、深い部分の「斜に構える」という癖の話です。斜めから入る、出る、という流れの話です)

宮島へ


そんな中で、広島県は「宮島」へ行きました。

上のnoteにあるように、探求クラブメンバー限定の「宮島リトリート」があったのですが、その前後も含めて、4日間ほど宮島を歩きまくりまくりました。

しかも、歩いたのは主に『山』です。

とにかくよう歩いた歩いた…。あんなに連続で歩き回ったのは人生初だったと思います。

しかも、その時は寒波が来てて、広島もとても寒かった。でもそんな中、半日外で過ごし、山を歩き、気が向いたら座って、瞑想したり、体術の練習をしたりして過ごしました。

ちなみに僕は末端冷え性で寒がり。しかし、冬の寒さの中でずっと野外にいて平気だったのは、自分の内部のエネルギーを「」に変換できるようになったからだと思います。

生命、というものの偉大さに出会った気分でした。

それがおもしろくて、とにかく内部の熱を生み出し続けて、さらに体の癖と向き合い、真っ直ぐ、真っ向に歩き、誰もいない山の中で歌を歌って、最高の気分でした。

リトリートでも山に登り、その翌日、さらに翌日と、歩いて歩いて歩きまくった…。しかも体は「ぽかぽか技」で、終始ぬくぬく。いくらでも歩ける!そう思いました。

ところでそんな中で、少し時間を遡り、リトリートの前日です。

山の中で瞑想をしてたら、「赤ちゃんの頃の自分」のエネルギーというか、自分の「原型」のようなビジョンに出会ったんです。

自分の設計図=ブルー・プリント


それは、赤ちゃんの頃、というか、生まれた時に持っていた、というか、生まれる前に創っていた、僕という人間の、最高の状態としてのモデルの「設計図=ブループリント」です。

僕も長い探求の間でわかってきたのですが、我々は生まれてくる時に、あらかた自分のデータを創って来ています。

それは自分の意志、というより、もはや「宇宙」とか「魂」のレベルなので、現在の我々には介入はできません。ただ、大いなる「流れ」に身を委ねると、当初のブループリントにある自分を生きるのです。

しかし、生きていく上で、ブループリントにさまざまな想念がペタペタと貼り付けられて、生まれ持っていた理想や、然るべき流れから大きく外れてしまいがちなのが、我々人間であり、特に現代人は著しいと思います。

そして、僕自身もそうです。

ブルー・プリントの自分に還ろう。今ある、社会とか、常識とか、理性や知識で作った自分ではなく、本来の自分に戻る。

そんなワークを、自分でその場で編み出し、山の中で祈り続け、瞑想しました。

おいらは生まれ変わったばい…!という気分にはならず(笑)、とにかく長い瞑想を終えて山を降りる。そして、翌日は自分が中心となって、主催するリトリート。

出会い、交流し、ワークをしながら、共有しながら、正面から、真っ向から向き合うというテーマを自分に課しながら、明らかに今までにはない手応えや一体感がありましたし、宮島という不思議な場と、たくさん共鳴しました。

リトリートを終え、翌日も宮島を歩き、さらにその翌日も、メンバーと登った弥山に、別の登山ルートから登り、さらに山の中を歩き回りました。ずっと、ブルー・プリントに思いを馳せながら…、人気のない山中で過ごしてました。

しかし、これはnoteにも書きましたが、山の山頂付近で、急に足首が痛くなったのです。

単純に、無理をさせすぎたようです。疲労骨折ってよく聞きますが、僕の場合は疲労捻挫、とでもいうのでしょうか…。腫れても、熱も持ってないけど、とにかくくるぶし周辺の健や骨が痛い。

痛いけど、そこは山の上。自力で降りるしかない。

痛みを堪えながら、ゆっくりゆっくり、なんとか下山したんだけど、足に終始気を取られたせいで、せっかく身につけた例の「ぽかぽか技」が使えない…笑。さらに痛いので呼吸も浅くなって、体が冷えて、寒くて寒くてたまらん…。

大浄化


で、こっからは探求クラブメンバーにしか言ってなかったんだけど、その日の深夜に、猛烈に腹が痛くなった。生牡蠣にあたったのかと思ったけど、どうやらそうではないっぽい。疲労が蓄積してたのと、体が冷えすぎたことで免疫が落ちたのかもしれない。

症状的には食あたりのような、吐き気がひどくて、猛烈に腹が痛い。下痢はしなかったけど、大量の便が2回も出た。

ちなみに、大量の便、と書いたけど(汚い話ですまん)、実はそれまでの数日間、リトリート以外では「1日1食」とか、かなり食事を抑えてたんです。それなのに、とんでもない量の便が出たので驚きました。

翌朝、腹痛と吐き気を堪え、なんとか飛行機乗って帰宅(きつかった…)。

家に帰ると、37・5度の体温。とにかく具合悪いので、布団に入る。

寒気がどんどん増してきて、頭痛がした。熱は39度近くまで上がり、数年ぶりに発熱して寝込んだ。多分、4、5年ぶりだと思います。

熱は翌朝には下がったけど、お腹の調子は悪く、3日間ほど食べれなかった。まあ、食べたくなかったし。

熱でうなされながら、いろんなものが抜け落ちて、壊れていくのを感じました。リセットしてるんだなぁと。

さて、そうは言ってもダメージはありました。体力は落ちて、体重も3キロ落ちました。

ちなみに、僕のようなただでさえガリガリくんの3キロって、かなり大ごとですからね。

しかし、今まで自分にひっついていたさまざまなものが抜け落ちて、それこそ体の癖や、母への想い、自分への制限などが、高熱と共に浄化されたような気がしました。

そして、自分が「本当の自分」であるための、ブルー・プリント=設計図を、明確に意識しています。

とはいえ、体力が落ち、ヘロヘロの状態ですが、歌を歌いたくなったので、カラオケへ行って発声練習しました。東京での「響き、音色」のLIVEもありましたしね。練習したかったというのもあります。

力が入らないから、力が抜ける


練習と言っても、もちろん無理はできないし、そもそも力が入らないので、流しで歌ってたんです。楽に、楽に、とにかく楽に…。必要最小限のパワーで、声を出す、というより、声を通過させる感じで。

しかし、歌を歌っていると、面白いことに気づく。

(あれ?なんか、いつもよりむしろ声がよく通るし、よく伸びてんじゃね?)

そうなんです。いつもよりも、声のボリュームは小さいのに、部屋全体に響きわたり、何より自分自身に響くのです。

実は、家でマントラとか、あわの歌やお経なんかを詠唱はしてて、その時点で「あれ?なんか変だぞ?体調のせいか?」くらいには思ってたけど、はっきりと歌を歌ってみて、それが気のせいではないと確信しました。

分析をすると、それまでは「胸」などの大きな腔への共鳴を強く出してましたが、力を抜くと、胸はもちろん響くけど(それまでの鍛錬の結果でもあります)、口蓋と鼻腔によく響くのです。そしてそれがまた心地よくて、すごく楽に発声できる。

思えば、中学生くらいの頃って、自分はこんな風に歌っていたなと思い出した。

腹から胸、喉、口、鼻腔、そして額へ、一直線に抜ける「なにか」があったんです。

その頃はまったく力なんて入れてなかった。そして、当時は我ながら神がかった歌を歌っていて、聞く人を一瞬で黙らせるくらいの声を持っていた。実際、あれだけ歌にうるさい、批判的な両親を一撃で納得させることができたし、仲間内はもちろん、音楽教師も驚くくらいでした。

しかし、中3の途中くらいで急激な声変わりをして、そこから今の「低い地声」になり、歌声も低くなり、思ったように歌えなくなり、そこから力を入れて、力込めて、振り絞って歌う癖がついてた。

2015年あたりから、音楽活動を再開し、とにかくこの「力を入れる発声」の癖を抜く作業でした。

おかげでずいぶん楽に歌えるようになっていたけど、もっともっと楽で、素直な発声があったこと、できたことに驚きだった。

これだから病気や怪我は面白いです。体が思ったように働かないからこそ、一番無理のない所作を自然にやってしまい、それが何より自分の理に叶ったものだと発見する。

先日のLIVEで「声が変わりました?」と言われるのも無理ないです。自分自身、歌っていて全然違う感覚です。

自分は「通り道」なんだなと思います。僕の肉体や思考をちょっとだけ経由させているだけで、「歌う」という目的の中で、あとは委ねて、「それ」が通るに任せる。そんな感覚です。

まだまだ、変化の途中です。蛹から蝶へ…、なんて綺麗なことはいいません。蛇の脱皮、という方が自分的にはしっくり来ます。脱皮は何度でもおきますしね。

ただ、今は確実に脱皮の時です。

あらためて…


で、あらためて3月5日(日)のLIVE。「響き、音色」(大阪、梅田にて)

 HIbiki,neiro。「そして再生へ」は、そんな僕自身の新たなブルー・プリントの展開の中で通過する場所だと思ってます。

再生より、復活(resurrection)という言葉のイメージの方が今はしっくり来てますが、それは今までの自分を壊し、新しくブループリントを生き始める覚悟と決意なんだと、自分で感じています。

そういえば、去年公開のマトリックスも「レザレクションズ(復活)」がタイトルでしたね。

「響き、音色」のLIVEでやることは、もちろん「演奏」することです。歌、ギター、今回の大阪では数曲ですがPiano(Yasuko tsukihana)も入り、アンサンブルします。

僕のLIVEは、エンターテイメントやアートでありつつ、瞑想的なLIVEであり、トークもします(けっこう話しちゃいます…笑)。

しかし、歌や演奏、お話や、瞑想、声を使った「倍音ワーク」も取り入れようと思ってますが、それらすべてに「再生・復活」というエネルギーを込めたいと思っています。

その場で共有し、一体感を持って、過去の自分から、新たな自分へと再生し、復活する後押しになると思います。

とうわけで、ぜひ来てください! 音色を身体中に響かせ、深い浄化と共に、自身の「ブルー・プリント」を思い出しましょう!


☆ Youtubeチャンネル

☆ サークル「探求クラブ」(noteメンバーシップ)

☆ Youtube アーティスト・チャンネル 「アマテラス」

☆ アコースティック・ライブ「響き、音色」 

LIVE 大阪 3月5日(日)「響き、音色」ー そして再生へ ー 

ワークショップ  3月10日(金) 歩く、高尾山

☆ 今後の予定

3月28日(火) 調う、京都。
3月30日(木) 歩く、鞍馬山

4月9日(日) 探求クラブ限定「伊勢歩き。
5月未明   探求クラブ限定「高野山巡り」


サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。