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好き勝手に生きてたら、好き勝手に生きれなくなる

リラックスや気分転換で、人生は良くなるのだろうか?

「良くなる」とは、その人の精神的、身体的、感情的な満足度が得られることなんだけど、そのためには心身の能力、機能の「向上」があってこそ。

例えば「不健康」や「疾病」の状態だと、満足度は減るし、幸福度も少ないだろう。

それを踏まえて、もう一度あなたに問いたい。リラックスや気分転換で、人生は良くなるのだろうか? 

糖質や脂質は、人間には欠かせない。そして、かつてそれらは貴重なものだったから、我々の脳は糖質と脂質に過剰に反応し、そしてそれを求めてしまう。

今の時代は、原始時代や狩猟採取時代、農耕や牧畜の初期の時代と違い、飽食の時代。糖質や脂質は、無限に摂取できる。

これは脳内麻薬である「ドーパミン」の分泌なのだけど、ドーパミンは我々を、欲求をもって支配している。

もっと、もっと、もっと…。際限がない。

甘いものを食べて、脂の乗ったお肉を食べて、なんならアルコールを摂取して、脳にはSNSや動画コンテンツを与えて、ドーパミンは常に放出。少しでも切れるとイライラしたり、悲しくなる。だからすぐに摂取する。糖質なんかはさらにそこに「血糖値」なども絡むので、甘いものは本当に脳へ快楽物質だ。

それらが我々の人生の向上に「良いもの」なのか?

日々の疲れを「自分へのご褒美」とやらで、甘いお菓子を与える。もう一杯もう一杯と、酒を飲んだり、濃いカフェイン飲料を飲む。

それで本当に癒せているのだろうか? もしも、傷ついた細胞が修復されたり、疲労物質が軽減されているのなら、それは「癒し」として、その人の人生を向上させていると言えるだろう。

でも、世の中を見てみると、そうは思えないことが多い。病気がちの人が多いし、日本という国で使われる医療費は年間40兆円を越える。石川県への地震への復興資金が1億円に対して、日本中にいる病人たちへ莫大なお金が使われている。

不況だの云々って、みんなが病院に行かなくなり、薬を使わなくなったら、40兆円は丸っと他の分野に使えるのに…。

こういうことを言うと「平均寿命が伸びた」という反論が必ずあるけど、それがなんだというのだろう? 「人を死なせない医療」が進歩した。乳幼児の死亡率はぐんと減ったし、寝たきりでも何年生き永らえるための医療がある。

じゃあ、多くの日本人が幸せになったのだろうか?

いや、そんな全体的な話をしてもあまり意味がない。それらのデータや統計とか、大きな話は「実感」がないのだ。

僕や、あなたのことについて考えようではないか。

あなたの人生は、今現在、より良い方向へ向かっているのか?

ということだ。

僕のことから先に言わせてもらうけど、僕は、とても良い方向へ向かってる。そう確信している。

ただし、常にトライ&エラーの中にいることは強調したい。ミスや失敗もするし、恥もかくし、遠回りしたり、わかっているのにやめられないこととか、やったつもりになってて実はできていなかったとか、そんなことばかりだ。

しかし、その中でも工夫をしながら、そしてそれを楽しみながら、確実に僕の人生は向上していると自負している。

あなたはどうですか? きっと、概ねうまく運んでいると、この文章を読んでいる人はそうなんじゃないかなと、なんとなく思う。なんとなく、ね。

でも、僕はもっともっと、自分の人生をより良くしたいし、面白くしたいと思っている。あなたもそうではないかな?そこは一致しているんじゃないかな?

では、僕やあなたが、人生をより良くしたいのなら、どうすればよいだろうか?

冒頭に述べた、「身体、精神、感情」の機能や能力を向上させることで、より幸福度や満足度を得られる確率はぐんと上がるだろうから、人生をより良くするのなら、とてもシンプルだと思う。

それは僕たちは自分を「高める」ことをすればいい。

例えば、今よりもっと長く走り続ける体力が欲しいのなら、体力や持久力を養うための訓練を続ければいい。早く走りたいのなら、短距離に特化した訓練をすればいい。

走りたい、と思っているだけで、家にいてダラダラしてばかりで、不規則で不健康な生活をしれば、早く走ったり、長く走るどころか、どんどん能力は衰える。

一番やばいのが「VRゴーグル」でもつけて、ゲームの世界で「やったつもり」になってる人だ。今の時代、そんな「やったつもり」「知ったつもり」「できたつもり」が多い。

高めると同時に、「下げない」ことも必要であり、むしろこっちの方が重要だったりする。

例えば、今見ている視野を今後も見たいと願うなら、その目をそれ以上曇らせてはいけないし、視力を維持するための努力が必要だ。

音楽をしっかりと聴き続け、理解したいのなら、聴覚を衰えさせるような事はしない方がいい。そのために、しっかりと音に耳を澄ませる時間を作らないとならない。

しかし、そんなシンプルなことすらなかなかできないのが実態だ。なぜなら多くの人が、自分を高めず、自分を下げることを平気でやっているからだ。

いや、これはあなただけに言ってるのではない。僕自身のことでもある。

冒頭の話題に戻るけど、リラックスとか、自分へのご褒美という大義名分で、結果として必要以上に何かを摂取しすぎたり、必要なことをやらなかったり、足りなかったりするからだ。

体の健康、という問題一つでもそうだ。

健康と幸福は、かなり「=(イコール)」で結ばれるものだ。だから健康を害する行為は、自分を人生の質を低下させ、幸福と遠ざかる行為だろう。

「気分転換」だと言う。「リラックスしないとならない」と言う。

確かにそうだ。ずっと張り詰めた弦は、いつか切れてしまう。

「人生には楽しさが必要だ」
「そんなこと気にしてたらつまらない」と言う。

それもそうだ。楽しくない人生など、何の意味がある?

「ちょっとくらい平気だ」
「みんなは平気だ」と言う。

ちょっとってどれくらいだ? “みんな”って誰だ? 君はその“みんな”の一部なのか?

自由に生きていきたい。誰もがそう願う。好き勝手に、望むままに振る舞いたいと思う。

一部の自己啓発やスピリチュアルでは、そのような『なんでもあり』な“教え”が跋扈ばっこ し、好き勝手に、やりたいことだけをやって生きる、というような、ご都合主義がもてはやされたこともあるし、今だにそれをやる人もいるけど、それはやはり何かおかしいと思う。

こんなブログも書いたので、箸休めに⇨(アメブロ「がんばらなくていい教」)

好き勝手に、思うままに生きたツケが回って、まったく好き勝手に動かない体や、思うようにならない頭になってしまうことがある。

タイトルの「好き勝手に生きてると、好き勝手に生きれなくなる」ってのはそういうことだ。

そのほとんどが“時すでに遅し”で、心身の不調和は取り返しのつかないことになっていたりする。

もちろん、真っ当に生きていても病気や事故には遭うだろうし、ふざけた生き方をしていても、健康で元気な人もいる。しかしそれは一部の極端な例だし、今は僕やあなたの話をしている。

僕はそんな一部の極端な人間でも、特異なエネルギッシュやバイタリティーをもった人間ではなく、至って普通の凡人だから、バランスをとりながら、常に工夫しないと、人生の波を乗りこなせない。あなたもそうではないか?

実は最近も、ちょっと食べ過ぎとか、酒の飲み過ぎが続き、いとも簡単に体調を崩してしまった。体調を崩すと、色んなペースが乱れ、予定していたことがこなせなくなる。

早くに対処したおかげか、体調を崩したと言っても生活に支障に出る事は一切なかったけど、やりたかったことなどが大幅に遅れたのは事実で、仕事の計画も遅れた。

食べ過ぎ飲み過ぎは、確実に自分の人生を低下させていると反省した。

でも、その中でも学ぶ事は多い。だから「ただでは転ばない」というのが、僕の良いところというか、しつこいところだ。おかげで色々と新しい発見もあった。

「つながるからだ、つながるこころ」というワークショップを、東京と関西で、定期的に行っているんだけど、とにかく「心身のつながり」のための、実践的な体の使い方のワークショップだ。少人数で、一人一人の動きを見ながらやっていく。

「食事・生活習慣」と共に、やはり「身体操作」であり、その前に「身体の在り方」だ。当然、身体が生活をし、食事をするので「食事・生活習慣」の向上に直結する。

そして、幸福や満足を得るのは「心」や「思考・感情」かもしれないけど、それを体験するのは「肉体」だ。この肉体がボロボロだと、我々は人生の喜びを体験できない。よって、幸福や満足を得ることができない。

次回は大阪で23日にあります。あと3名枠があります。筋トレやストレッチではありません。そういうことではなく、体との出会いのためのワークであり、老化して筋力が衰えたら動かなくなるような技術ではなく、筋肉に頼らない、一生付き合える身体を作ります。

☆ ワークショップ

つながるからだ、つながるこころ  

こちらのアメーバブログも参考に

聖音瞑想会 大阪 2月24日

歩く! 山を歩き、五感を開く

☆Youtube更新



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