「豊かさ」とは?
お金があることで得られる豊かさがある。それは言うまでもないけれど、お金で交換できる豊かさ、ということだ。
しかし多分、それが僕らの世界の「幸せ」の基準値になっているものだろう。
それってどうゆうことだろう? 豊かさってなにをもって? 具体的にお金で変えられるものと変えられないものは何?
と細かく質問されても「さあ…」という感じなんだけど、多分それくらい“漠然”としてる「幸福」や「豊かさ」が、この世界を取り巻いている。
だからみんなとりあえずお金が欲しい。
世の中は不況で、貧富の差は拡大中。投資詐欺やビジネス商法詐欺は年々増加しているし、「〇〇で楽に稼げます」「1日5分の副業で月に10万」とか、そういう甘い(甘すぎる)キャッチコピーに引っかかる情報弱者は毎日カモられている。
わかってる。お金は必要だ。「お金のない世界が素晴らしい」とか、そんな綺麗事を言うつもりは全くない。僕だってお金を得て、そのお金で生活をしたり、自己投資を含め、お金を使ったりもする。
しかし問題は、必要な分のお金は必要だけど、必要以上のお金を人は求めるから、常に「不足感」に苛まれるのでは?ということだ。
どうして「必要以上」に求めるか? そもそも、お金が自分にどれくらい必要かどうかもわかっていない人がそれに陥る。そういう人が色んな情報に接して、実際に必要なお金以上のお金を必要だと思わされている気がする。
例えば、分かりやすいのが「もしもの時」とか「老後のため」「将来のため」という不安解消が目的のもの。たとえば保険会社などは、不安を煽って保険加入してもらたいし、政府は国民の資産を自由に使いたいから、たくさん溜め込んで銀行に預けて欲しいから不安を煽る報道をする。
もう一つが「消費型」で、「もっと大きな家」「もっといい車」「もっと良い暮らし」という理想像を与えて、現状何も不足がない人でも、たくさん持っている人たちと比較を作り、不足感を与えて購買意欲を煽り、必要ないもの、欲しくもなかったものが必要だ、欲しい!と思ってしまい、そのためにもっとお金が欲しい、ということになる。
不安も不足も、それらは完全に今そこにはない架空のものだけど、どんな想像力に欠いた人間でも、その辺は想像力が働くのだ。だから日本中、いや、世界中が「足りない」という、お金欠乏症に慢性的にかかっている。
僕は北海道で生まれ育ち、東京で暮らし、長野県で暮らし、また現在東京にいる。
東京はとても便利だ。日本で1番、物質的に豊かなのだろう。
暮らしてみて思うけど、とにかくお金がかかる。家賃が圧倒的だが、食費に関しても。田舎だと野菜とか本当に安かった。なんなら一時期は自分で作っていて、コメに関しては完全に自給していた。
贅沢はしなかったし、できなかったけど(したいとも思わなかったけど)、それはとても豊かな暮らしではあった。
僕は若い頃。たとえば27歳前後。消費者金融に借金があった。フリーターで200万近くの借金ってなかなかの暴挙で、当時は誰でも金を借りれる時代だったけど、その分金利もえげつない。だから毎月利息だけでいっぱいいっぱいだった。
しかし、その頃はよく遊んでいたと思う。楽しかったことはたくさんある。自分が不幸だなんて思わなかった。多分、呼吸不全の病気が改善したあとだった、というのがポイントなんだろうけど、金がなかろうか、借金があろうが、「生きて息が吸える」に越したことはなかった。
もちろん、当時、今のように全国あちこち旅に行くとか、まして海外へ行くとか、そんなお金はない。そして、どこか旅をする旅に、地元のご当地グルメに舌鼓を打つ、なんて財力もない。
しかし、当時は別にそれを求めていなかった。満足してた、とは言わないけど、さほど不足感に困っていたわけではないのだ。
しかしもしも現代のようにSNSとスマートフォンが発達してたとしたら、当時の僕はどうだっただろう?
多分、同年代の人間が活躍し、大金を稼いでラグジュアリーな生活をしてるのをネット情報とはいえ目にしたら、「俺も!」とか憧れを抱き、羨望と嫉妬、そして現状の「持っていない自分」にフォーカスして、自己卑下をしてたのではないかな?なんて思う。
自己肯定感とか、自己価値が低い人に対して、それらの情報は暴力的なものを含む。
「お前はできない」
「お前は持ってない」
「お前は足りない」
誰がそう言ったわけでもないだろうけど、自己価値が低い人間は勝手そう思い、自爆するのだ。
男ならそれを「財力」「賞賛」「結果」にこだわるし、女性は「見た目」とかに見出す傾向があり、昨今の10代〜20代の若い女性は、Instagramなどで美しい同性の姿を見て、ますます自分に自信を無くすという傾向がある、という研究レポートがあるそうだけど、わかる気がする。
もちろん、自己価値の高い人たちにはなんら関係ない。誰がどこでら何をして、何を手にしてようと関係ない。しかし、そうではない人がいるのだ。
過去の僕は、ある一定の健康状態さえあれば、金がなかろうとマイナスだろうとけっこう幸せを感じることができたけど、今のような情報の洪水の中でもそう思えた自信はない。
しかしそれらの情報は真実なのだろうか? 残念ながら幻想だ。どんな美しいインスタグラマーだって、美しくない時もあるし、1人の生身の人間。美しい部分だけを切り取った、自分というキャラを使った表現だ。
そんな幻想に振り回されていること自体がなんとももったいないというか、人生をすり減らしてる。
外側の世界をいくら追い求めても幻想が広がるだけだ。いい加減に目を覚さないとならない。
目を覚ます?
「え?私は起きてますよ」と思ってるだろうけど、外の世界を見てるというのは、眠ってるようなものかもしれません。幻想という夢を見ているのですから。
ただ、別に「現実」とか「お金」を蔑ろにしているわけではないし、資本経済を批判するのは違う。資本経済は人類の通過点だから、我々にとってこれは超えていくもの。
だから今はまずは「バランス」を取ること。現在はあまりに「お金=豊かさ」に針が触れ過ぎている。だから一旦「お金じゃない豊かさ」を明確にし、お金で得られない豊かさを体験しに行き、体現することが必要だと思う。
お金じゃない豊かさとはなにか?
それは自分で考えるのだよ。ここで僕が「家族だよ」とか「情熱ある仕事」とか言っても意味がないのだ。それにいくら「そーだそーだ」と同意したとしてもだ。
自分の内面で感じ、観じること。そして自分なりの答えを導き出すことが最重要だ。
強いて言えば「自分で考えた答えを選択する」ということこそ、豊かさの一つだと言える。誰かが決めたものでもなく、成功か失敗とかの結果のことじゃなく、自分で決めたというその事実。自由な真実。
あなたは豊かに生きていますか? 生きていきたいですか?
Youtubeで、ちょうど「お金」をテーマにお話をしました。
*
ここからは日記を踏まえ。現在、山口県へ来ております。
今回は一人旅ではなく、探求クラブメンバー2名と。
探求クラブではリトリート合宿を定期的に行ってますが、今回は「ケンスケの旅に同行してみたい方」ということで、レンタカーに乗れる2、3人募集しました。
全国巡っていますが、実は山口県は初。今回は西部を巡ります。
夜は、「俵山温泉」という古い温泉街へ。
こちらでは友人の「吉武大輔」が、俵山ビレッジというコミュニティを作り上げ、地元の人と、若い移住者たちで、地に足ついた、現実のコミュニティを作っている。
あいにく今回は、大ちゃんとはちらっとしか会えなかったが、まさかの盛岡で会った友人が偶然俵山に来ていることが判明し、軽くビールを飲んで話した。
その後、一緒に温泉へ行くと、そこへ出版イベントで全国を巡ってる、ニュージーランド在住の「四角大輔」さんという作家の方がいて、風呂であれこれお話しをした。興味深い生き方をしている方だったです。
俵山に拠点を持ち、生きていく若い人たちとも数人お話ができた。皆、しっかりしてて、こういう若者に出会うと、日本の未来は明るいなと思ったりする。
翌日、俵山温泉を離れ、長門市、青海島や北部を回った。
お金がないとできないこと。たとえば、交通費やレンタカーや、宿泊費。しかし、別に贅沢してるわけではないです。でも、かかったお金以上の豊かさを感じています。
なぜならそこには「体験」があり、体験ってどうしても「主観」的なものだから、こちらが開けば開くほど、その体験は奥深く、豊かなものになります。
要するに、人生は「体験」してなんぼであり、体験こそが豊かさ、なんだけど、それを「受け取る心の器」が何よりのポイントです。
感動とか、面白みは、自分で心を開いて、前向きに受け止める必要がある。
☆ イベント一覧
10月23日(月) 歩く箱根、阿弥陀寺〜
10月29日(日) 地水火風と祈りの唄(大阪)
10月31日(火) 歩く鞍馬山
11月5日(日) 地水火風と祈りの唄(東京)
11月11日〜13日 探求クラブ安曇野リトリート(探求クラブ・掲示板にて)
11月15日(水) visionワーク in 京都(オンラインを含むvisionセミナー受講者のみ)
11月18日(土) つながるからだつながるこころ 東京 参考note「日本人の体」
11月24日(金) ボイスヒーリング「調う」東京 参考note「voice healing『調う』」
12月1日(金) ボイスヒーリング「調う」大阪 残2名
12月2日(土) つながるからだつながるこころ 京都 残4名
この記事が参加している募集
サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。