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“女の人”が怖かった僕が、女のために生きると誓った日。(前編)

「女のために生きる」

昨年ですが、僕はこっそりそんな誓いのようなものを立てた。それは、僕のあらゆる言動を、すべて「女性の幸福」につながるためにしか使わない、そういう想いなんだけど、その経緯などを踏まえ、今の気持ちを書いておこう。

衝撃の事実を知る。


僕は自身のYoutubeチャンネルを持っていて、ゆる〜く発信を続けている。

Google先生はなかなか優れもので、アナリティクスという項目で、自分のチャンネルの視聴者のデータが見れるのだと、Youtuberなら当たり前のことなんだろうけど、僕はそのことを去年知った。基本的に分析とか戦略とか、マジで皆無でした。

「へー、こんなもんが見れたんだ」と、さっそくそのデータを見て、僕は目を疑った。

視聴者の『男女比』を見ることができるのだけど、その時見たデータがなんと「女性93%」だったのだ!

93%?

へ? オレのチャンネルって、オレの言葉って、男の人にはほとんど届いていないの?てゆーか、男の人はオレのことまるで興味ないの? 男の人からまったく人気ないの? え?まじで?? 

もちろん視聴者や、このnoteなどの、過去に書いていたアメブロなど、とにかく自分の言説を読んだり聴いたりしてくれる人に女性が多いってことは自覚していた。

そもそも瞑想とか、僕の言ってきたことって、いわゆる「スピリチュアル」という得体の知れないジャンルに区分けされる。そしてそのジャンルは圧倒的に女性が多数だ。

そして実際に、僕のイベントの客層の90%以上が女性だった(最近は100%だ…)。

衝撃だった。

僕の話は、そこそこロジック(論理)的でもあるし、実際にイベントに足を運ばなくても、このnoteやYoutubeなんかは、たくさんの男性が見ているのだと思っていた。

しかし!蓋を開けてみれば、

脅威の女性93%!

もちろんチャンネル登録者3000人にまだ届かないくらいのYoutuberとお粗“比率”だけで見るならジャニタレでもないのに、視聴者が90%超えの男の発信者って、なかなかいないのではなかろうか?

このデータは、「自分の発信は、同性である男たちに何も響くことなく、興味持たれていなかった…」という大きなショックと共に、

「オレは女に支えられている生きているのだ」

という痛恨の事実を目の当たりにした瞬間だった。

個人事業主として起業して活動して以来、上記した通り、僕のイベントに来てくれたり、クライアントになるのはほとんど女性だったのだ。

そして、ここ2、3年、自分の「友達」って、圧倒的に女性だ。プライベートで男同士で飯を食いにいったり飲みに行った男がいるだろうか?(記憶の限り3人だ。女性はたくさんいる)

「なんてこった…。オレは、女に生かされている…」

その圧倒的な事実を目の当たりにした僕は、自分の中の大きな葛藤とも対峙することになった。それは、今更どの口さげてほざいているんだと思われるかもしれないが、実は僕は

「女が怖い」

ということだ。

常に女に囲まれ、女にちやほされ、女に話を聴いてもらう、とにかく女に愛される僕は、女が怖いというこの矛盾。

女を怖れる僕が、女の人たち相手に発信を続け(結果的に)、女の人たちに支えられて生きているというこの状況。

物心ついた時から女が怖い


僕は女の人が怖い…、いや、怖かった。今も、完全に払拭したとは言い難いかもしれないが、一応「過去形」で表現しよう。僕はずっと、女という生き物が怖かった。

とにかくどういうわけか、僕は女の人に対する先天的というか、本能的というか、潜在的というか、要するに自分の意識ではコントロールできない類の「恐れ」があった気がする。

それは物心ついた時からだと思う。

僕は2歳くらいから記憶があるのだけど、物心ついた時から、ありとあらゆる女の人が漠然と怖かった。

当然、母親がその代表格だろう。子として、母を求める当たり前の子供の心を持ちながら、そして母はもちろん僕を愛してくれたので、優しかった。だけど僕はどこか畏怖していた。

女兄弟はいないが、近所にいる女の子、お姉ちゃん、お姉さん、おばさん、友達の母親、おばさん、おばあさん。とにかく僕はそれだけで警戒していたような気がする。

ただ、母親以外に、唯一、物心つく前から一緒にいた女の人で、「ひいおばあちゃん」がいた。僕の家は変わっていて、おばあちゃん(祖母)は僕が生まれる前に亡くなっているが、ひいおばあちゃん(曽祖母)は健在という家だった。

ひいおばあちゃんだけは例外で、僕にとってとても優しい存在だった。優しさだけの存在だった。バファリンは半分優しさかもしれないが、ひいおばあちゃんは全部が優しさできていた。今考えても理由はわからない。あまりにヨボヨボすぎて、「女」と認識していなかったのか、死期が近い人は性を超越するのか、それは定かではない。

今回はひいばあちゃんの話は本筋ではないのでこれ以上記述はしないけど、またその内ひいおばあちゃんについて書くこともあるかもしれない。

女が怖い、という理由の一つに「理解できない」というのはもちろんある。僕は男だからだ。性別が違う、ということは、どうやら地球人と金星人くらいの感覚が違うのだと大人になってから知ったけど、国が違ってもかなりの共感値が下がるというのに、星が違ったらアンタ…、そりゃ理解が難しいのは決まってるだろう。

しかし、じゃあ男の人を理解できるのか?と言われると疑問だけど、明らかに女の人よりは理解、共感がある。男の人の原理というか、思考の方式やパターンがなんとなくわかるからだ。これは自分が大人になったから、ではなく、物心ついた時から、大人の男の人のパターンや、感情の流れを読みやすかったし、共感できるものが多かった。

しかし、女の人の思考や感情は理解不能だった。

誰しもにとって、一番自分に影響を与える女性として何と言っても母親だろうが、僕も例外ではない。母はとにかく突然“キレ”るのだ。ヒステリーと、父は当時母のことを揶揄していたけど、そういう傾向が強い人だった。

しかし、こちらには何が理由で怒らせたのかまるでわからないのだ。昨日は同じことをしても大丈夫でも、今日同じことしたらいきなり金切り声で叱られたりするので、理解の範疇を大きく超えている。幼い子供にはそれは一種の恐怖だった。

母親だけじゃなくて、母方の祖母も、おおむね優しかったが、突然厳しくなったり、突然叱られたりもあった。もちろんそれは母と違って理由が明白(僕が言いつけを守れなかったり、行儀悪くしたから)だったから、ヒステリーとか感情任せのものではなかったけど、それでも突如顔つきが変わってピシャリとくるのは怖かった。


何より恐ろしい「女」の「子供」


何より怖かったが、近所にいた一つ年上の女の子だ。名前は忘れた。

僕が4歳の頃だった。彼女は執拗に僕をいじめた。今考えてもかなり陰険ないじめをしてきた。向こうも当時5歳だから、かなり頭の良い子だったのだろう。陰湿で、彼女自身は誰からも責められないポジションを守り、僕だけをうまく陥れるような狡猾なものだった。

鬼ごっこでも、だるまさんが転んだでも、ドッジボールでも、とにかく僕を惨めにすることを心得ていたようだ。

だから僕は当然外に行きたくなかった。しかし、家で1日中絵を書いているか、何時間でもぼけっといて動じない僕に対して、母は「外で遊びなさい」と、嫌がる僕を外に追い出す。

外に出されても、4歳の子供なんて行く場所なんてたかがしれてるし、とりあえず子供たちが集まる場所に行く。

3回行ったら2回はその女の子がいた。そして嫌がらせをする。僕に無理難題をふっかけ(4歳児と5歳児では、けっこうな差がある)、できない僕をみんなの笑いものにする。ちなみに兄がその中にいることもあったが、助けるどころか一緒になって僕をいじめた。

僕はその女の子に会いたくなくて、怖くて怖くてたまらなかった。だけど、僕が幼稚園に通い出したとほぼ同時くらいに、その女の子の一家は引っ越してしまった。僕の通う幼稚園は家からずいぶん離れた場所だったので、これでもう会わなくて済むとほっとした自分が、なんだか損をしたような気がした。

そして、幼稚園。女の子がうじゃうじゃといるではないか!ただでさえ僕は当時「同年代の子供」が苦手だった。つまり、「女」だけでなく、僕は自分が子供のくせに「子供」という生き物が怖かったのだ。

子供は大人と違いやはり理解不能な点が多く、突然何を仕出かすかわからない生き物だからだ。だから「女」+「子供」の、近所のあの女の子は恐怖の対象だったのだ。

しかし、そんな僕でも、うまく「距離を取る」「やり過ごす」「取り繕う」「愛想笑いする」「従順で害のなさそうな顔ができる」「話を聴いてるふりをする」「いい子のふりをする」などの社会知を得てきて、僕は見事にそれをこなすことできた。パーフェクトと言っていいだろう。

女の先生に甘えて、クラスのボス(喧嘩の強い男の子)と仲良くなり、常にNo.2くらいのポジショニングをキープしていた。

そのポジションを武器に、イタズラをしたり、女子と対立したり(おかげで女子と距離を置けるし、必要以上に仲良くしないで済む)、さらに何か問題が起きても一番目立つボスに負わせて自分は責任逃れができるという、我ながら、幼いながらに「策士」だったと思う。

基本的に僕と「女」とのスタンス(まあ、当時は意識的には女(おんな)ってより、同年代の「女子(じょし)」だね)は僕が中学生くらいまで変わらなかったと思う。女の子に対してずっと距離を持っていた。だから女子と仲が悪い、硬派な悪ぶったキャラだった。

しかし、実は大いに困ったことがあった。これは幼稚園くらいからそうだったのだけど、僕の中で大いなる矛盾があり、いつも僕を苦しめた。

それは僕がとにかくもう病的に、

「女が好きだ(った)」

ということだ。

つづく

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新曲「雨」。こちらは瞑想音楽や、ヒーリングミュージックに。

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