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人は“創造的”な生き物である(前半・無料)  「創造的な人生」を送るために(後半)

人は創造的な生き物である(前半・無料)


「人はどうしてこの世に生まれたのか?」

なんて難解極まりない問いを、僕は子供の頃からずっと追い続けているような気がする。その問いは、ある時はひらめきとして出て来たりして、答えらしきものを提示してくれたりもするけど、それは翌日にはまた別の疑問を生み出したり、そして結局見つけた答えそのものが違って来たりして、結局のところ、「答えなんてないんじゃないの?」と、というある種の「答え」があったりして、つまるところ『考えてもキリがない』と言うことでもある。

子供の頃や十代、二十代前半くらいまでは、それらのテーマに対して頭が擦り切れるほど考えたけど、その内生活に追われて、あまり考えなくなったりもした時期もあった。しかし、僕の中でこの問いは常にあり、早急に考えるより、じっくりと寝かせて、熟成させて、その問いに含まれる旨味成分を抽出しながら、それが僕の「霊性」への探求への原動力になっていたりするのかもしれない。

もちろん、精神世界や霊的な意識を持って、なんらかの疑いようのない真理というのは、いくつかは垣間見た。でも、この問いは、本当に奥が深く、熟成と共に、様々な旨味成分があり、中にはえぐみのある“灰汁(あく)”があったり、強い酸味や辛味もあったりと、僕の人生を刺激し続ける。

前置きが超長くなってしまったけど、最近「人はどうして生まれたのか?」という問いに対してすごく思うことがある。それが、

「創造するため」

という答えだ。

それには理由がある。僕がこれまで生きて来て、少なからずの人々と触れ合い、関わり合い、観察し、ドラマを味わいながらわかったことは、『人は皆「創造的」だ』ということだ。

創造的、なんて言うと、何か芸術作品とか、職人技のようなもので創作をしていることを思い浮かべるかもしれないけど、例えば「料理」だってそうだし、「部屋の模様替え」、「ファッション」「スポーツ」も、すべて創造であり、自己表現ができる。

それは何も物質的なものだけに限らず、「「家族との夕食での円満な空気」という『場』とか、「友人たちの旅行の楽しいプラン」という『時間と演出』もそうだ。

人は、あらゆる分野において自己表現をし、新しい“なにか”を創造している。

もちろん、そんな意識がなくても、日々の料理や、お掃除や、家族との会話をしているだろう。でも、そこには「自己表現」や「創造」というものが、随所に含まれていて、精度を低くもできるし、高くもできる自由があるということだ。

たまに勘違いされる方いるのだけど、創造とか表現というと、それがそのまま「他者からの評価」とか「社会的成果」になるかどうかは全く別問題であり、あくまでもこれは「個人」のレベルにおいてである。

僕らは、他人がそれについて称賛や批判をしようが、つまり人がどう思おうとも、そうやって創造をしながら日々を生きている。

しかし、この「創造性」があまり発揮されない場合も多い。それはこの三つに要約されると思う。

「パッシブ(受動)」
「マニュアル(ルール)」
「ルーティン(惰性)」

パッシブ(受け身)な思考は、主体性を無くし、言われた通りにやること。マニュアルは、ルール通りに決められたものだけをやること。
ルーティンは、惰性的に、慣れたことを同じようにやること。

もちろん、社会生活の中では、それらは必要だろう。僕だって今のような自由業をやる前は、普通に社会の中で働いていたし、就職し、上からの指示に従って仕事をして給料をもらっていた。

ただ、受け身の中に、主体性をもち、マニュアルの中に、オリジナリティや工夫があり、ルーティンの中に、変化とさらなる追及(効率化、精度アップ)をして来たつもりだ。だから僕は基本的にどんな仕事も楽しかった。

断言できるけど、この世に“楽しくない仕事”なんてないと思う。自分次第でいくらでも楽しくできる。一部、「自分には合わない仕事」はあったが、それはその仕事への評価にはならない。

どうして自分次第で楽しくできるかと言うと、そこに「創造性」があり、「自己表現」があったからだ。限られたルールや人間関係の中で、必ずそのチャンスはあるし、そこに深い面白さがある。

もちろん、あまりに「ガチガチ」の環境だと、自己表現の機会を失い、その仕事の「面白さレベル」が下がり、当然モチベーションは低下する。そういう経験もある。比較的自由にやっていたのに、上司が変わって、その人が完全にマニュアルコントロール以外を認めない人だと、大抵そういう人とは僕はソリが合わなかったし、ぶつかったし、それで仕事を辞めたことはある。

でも、それは例外的で、基本的には組織ってそういうものだから、あくまでも自分のものの見方や工夫次第なのだ。

主婦の仕事だって、「毎日毎日同じことの繰り返し…」なんて言っているのは、厳しいことを言うけど、自分の創造性を放棄し、自分自身を過小評価し、自分の人生を自分でつまらなくしていると思う。

料理、洗濯、掃除、食器洗い、子育て、部屋の模様替え、小物の配置、お花やお香やアロマなどでの空間演出。いくらでも創造できる。

重複するけど、それは「個人レベル」だ。自己表現は、誰かから賞賛をえるためにやるものではない(もちろん認めてもらえると嬉しいけどね)。

人は皆「アーティスト」だ。表現者だ。それは特別な才能が必要はない。自分に合った表現の方法があり、そしてそれが人生を豊かにする。

表現すればするほど、深い部分から喜びを感じる。他者からの評価は確かに嬉しいけど、それは一過性のものだ。でも、自分の内側から湧き出る喜びは、評価とは関係なく、自分自身の魂の喜びなのだ。

ぜひ、あなたも生活の中で、今、手の届く範囲内で、自己表現を意識してみてはいかがだろうか?

もちろん、絵を描いたり、写真を撮ったり、踊ったり歌ったり、楽器を弾いたり、やってみたいことはなんでもやるといい。子供の頃や若い頃に諦めたものを、他者からの評価を気にせず、ましてその道の一流の人と比べるなんて馬鹿げたことをせず(それは最高級にバカけた行為だ)、自分のまま、やってみるといい。

なぜなら、あなたは創造性があり、人は創造するために生まれたのだから。

後半はもう少し「創造的な生き方」について、それはどういうことなのか?そしてどうすればいいのかを、深掘りをしていこうと思います。

お知らせ

・2月12日(土)14時〜。奥平亜美衣さんとのコラボセミナー。「宇宙とあなたと魂の話」 ⇨  会場参加(満席) or オンライン参加

(亜美衣さんのブログはこちら

・2月20日(日)16時〜。大阪「メディテーション・ミュージック

妄想や「やったつもり」ではない、深い瞑想を「音」と「声」で体感しませんか?浄化と癒しをリアル体験。(満席です。ありがとうございます。会場と相談しながら、もう若干名増席を検討しています)


では、後半へ。
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