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日本にモーゼが来てた? 富山の旅

先日、大阪と京都で2日間のヒーリングやワークショップを終え、その足で「北陸」へ行ってきました。

富山県へ。

駅前にて

実は、富山県は黒部ダムを長野県側から行ったことはあるけど、滞在は初めてでした。

関西に行く3日前くらいに、急に思い立ったんです。

「あ、富山行こ…」

突然です。

もちろん前から行きたいと思ってましたが、もう冬になるし、次の春かなぁなんて思ってました。けど、ふと思い付いたので、そういう時は即行動。

タイトルに「日本にモーゼが来てた?」なんて書きましたが、モーゼ(あるいはモーセ)といえば、紀元前1600年。旧約聖書に出てくるユダヤ人の預言者であり、エジプトのファラオからユダヤの民を引き連れて逃げる際に海を割り、シナイ山で「十戒」という石板を授かったとされる人物(Wikipediaモーセ)です。

ヘブライ人のレビ族という「祭祀」を司る長で、約束地「カナン(今のパレスチナ・イスラエル)」を目指し、60年彷徨い、約束の土地に入ることなく荒野で没したとされていますが、そんなモーゼは実は晩年日本に来て、能登半島に住んでいたとされる伝承があります。

その伝承の元が、竹内文書という古文書。歴史学会からはただの「偽書」とされていますし、かなりぶっ飛んだ内容なのでにわかに信じられない話ばかり。その中に、

古代の日本の天皇(スメラミコト)に会うために、世界中から聖人と呼ばれるイエスキリスト、釈迦、マホメット、老子、孔子など世界の大宗教教祖はすべて来日した

とされていて、その中にはモーセも入ってます。

うさんくさいですね〜(笑)

そんなモーセの「墓」とされているのが、富山県から石川県に入るけど、モーゼパークというこちらの場所。

「神より十戒を授かったモーゼが、宝達山の山麓、三ツ子塚古墳群の中に葬られているという奇想天外なミステリー。モーゼは40年の歳月をかけ、ユダヤの民衆をイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登った。そこからモーゼは天浮船に乗り、能登宝達山に辿り着いたという。その後、583歳までの超人的な余生を宝達山で過ごし、三ッ子塚に埋葬された。モーゼパークは、そんな聖者モーゼが眠る伝説の森」

どうです? うさんくさいを通り越して、都市伝説なんてレベルじゃないくらいおかしいでしょ?(笑)

実際のところ、モーゼが日本に来たのかも、583歳だったのか、それはもちろんわかりません。

だけど僕の知りうる限りの見解では、

・モーゼは一人じゃなかった。世襲制のようなもの。
・後にユダヤ民族と呼ばれる一団は、日本列島に段階的に住み着いた。
・日本海側は出雲、丹後、越(新潟)、出羽(山形・秋田)などに、段階的な渡来系民族による国、拠点があった。

渡来系、と言っても、この時代にはまだ激しい戦闘や支配があったわけではなく(多少はあったと思います)、基本的には、元々この地に住んでいた日本人(縄文人など)と融和し、混合していったと思われますが、海洋民族を中心にした渡来人勢力は日本海側に多く住んでいました。

スサノオ(素戔嗚尊)と呼ばれる日本神話の神も、おそらくこの渡来系の民族の話だと思います。そしてスサノオも大国主も、一人の人間ではなく、世襲制と思われます。

そんなわけで、以前からこの富山県の付近は気になっていました。

先月も秋田県に行ってましたが、この頃は古代日本の息吹が残る地へ旅をするのが趣味になってます。

今回の旅、突然決まったにもかかわらず、「旅の共有」をテーマに、「富山北陸めぐりワンデイツアー」を決行。探求クラブメンバー声をかけたら3名参加。

一人旅のガツガツした感じと違って、女性たちとわいわいと、休憩を挟みながら、ゆったりとおしゃべりしながら移動し、楽しく過ごしました。

天気は雨でした。でも、降ったり止んだりという具合で、時折晴れ間もさす、おかしな空模様。

そんな中、道の駅で昼食を食べていたら、窓の外に虹が見えました。


この写真の直後に、外側にも虹が出て、ダブルレインボーとなりました。

さて、ここからです。富山県からモーゼパークへ向かう間、あちこちに虹、虹、虹…。(車運転してから写真は撮ってないです)

「一年分虹を見た!」

なんて皆んな言ってましたが、1日に5、6回も虹を見るなんてありますか?僕は初めてです。ちなみに車で移動中ですから、同じ虹を見たわけではないです。あちこちに出たんです。

そして、モーゼパークへ到着。

青森県の「イエスキリストの墓」という、これまたうさんくさい場所にも僕は行ったことあるのですが、モーゼパークの方がさらにうさんくささ満点ですね(笑)

駐車場から、山の中を10分ほど歩きます。そして古墳へ。

誰もいない山の中です。モーゼパークは観光地とはいえ、雨の中、この寒空に来るような変わりもんは僕らくらいでしょう。(この時は雨は止んでました)

僕はいつも一人やるように、祈りの聖音の声明を唄い、それから4人で祈りを捧げている時です。僕は石の前に佇み、目を閉じてかつてここにあった祈りと同調し、想いを馳せていましたが、

(がやがやがやがや…)

山道から人の声が。だんだん近づいてきます。しかも、声は男だけ。

大人の男の人が血が7、8人くらいいる感じでしょうか? みんなで何やらがやがやとお話しながら近づいてくる声がするではありませんか!

(おいおい、こんなところに、男だけでゾロゾロと来るって何?宗教とか?あやしい連中?)

祈りを捧げながら、そんな思考が湧いてきます。僕の他には女性3名ですから、危険があってはいけません。

しかし、その声はまた遠ざかり、何も聞こえなくなりました。モーゼパークはいくつかの散歩道やハイキングルートがあるので、違う道へ行ったのかもしれません。なので安心して瞑想を続けました。

祈りと瞑想を終え、

「いや〜、なんか男の人たちがぞろぞろ来たね。別の道に行ったみたいだね」

と言うと、

「え?? 誰も来ませんでしたよ?」

「え? 声、聞こえたでしょ?」

「???」

どうやら、その声を聞いてたのは僕だけのようでした…。なんだったんでしょう。

ただ、僕の前の木の板が(卒塔婆のようなもの)が動いたと言ってました。僕はそれを見てませんでしたが…。

偶然かもしれませんし、空耳かもしれません。でも、何か不思議なことが起きていたのかもしれない。そして、ここは不思議なところです。この後も、別の場所で神秘的な空気に包まれました。



車を走らせ、富山県へ戻る。氷見の雨晴海岸あまはらしかいがん を通ったので、道の駅雨晴に立ち寄り、美しい海景色を眺めました。

後から知ったんだけど、こちらも「義経伝説」があるんです。義経は僕の岩手の旅とか、そのあたりから妙に繋がるキーワードとなっています。

その後、越中一宮えっちゅういちのみや 氣多神社けたじんじゃ 」へ行きました。


氣多大社、という能登半島の神社は行ったことありますが、こちらは氣多神社。

一宮いちのみや は、江戸時代にはその地域ごとの最も格式高い神社として制定されてたそうですが、起源は定かではないそうです。しかし、明治期、そして戦後の神社庁が定めたものと違い、歴史があります。

歴史ってすごいです。この地で何百年、1000年、2千年と、祈りを捧げてきたのですから。そこに想いを重ねるのは意義深いことだと思います。

雨の中の静かな参拝となりました。雨の神社ってけっこう好きです。雨の音がさまざまな音を吸い込んで、静寂が露わになるのです。

その後、行きたかった場所があったんですが、Googleマップのナビで、車が通れないルートを案内されまくり、辿り着けず…!しかも、16時くらいになって来たので、あっという間に暗くなる。なのでそこは断念して、17時前に富山駅へ戻りました。

地元のメンバーと軽くオフ会(サシの飲みですけど笑)。富山の新鮮なお刺身をいただきました。

まいう〜!そして地酒も豊富!

宿泊したドーミーイン・プレミアム。温泉とサウナ、急冷水風呂、最高でしたが、今回は部屋風呂も温泉が出るプレミアム!堪能しました。

で、翌朝。

富山城。

一人でまたレンタカーを借りて、前日果たせなかった場所へ…。

皇祖皇太神宮へ。


竹内文書からの流れの神社で、いわゆる日本の神社庁ではないです。詳しい説明は省略します。

社の奥に、登山道が続いてたので、しばらく歩いてみました。

開けた場所があり、山の中で長らくすごました。写真とか撮ってません。

もう一つ行きたかった場所があったんですが、この「紅羽山」で過ごし、「満足じゃ」ということで、富山巡りを終えました。

立山連峰の大絶景。最高でした。またぜひ伺いたいと思います。

にしても、我ながら呆れるほど「旅」ばかりしてます。

でもね、2020年の緊急事態云々みたいに、またいつ、どこにも行けなくなるかわからないですよ? 脅かす意味じゃなくて、僕らの世界はそんな危なっかしい場所にいて、いつ何が起こるかわからないリスクと背中合わせなんです。

大物ミュージシャンがまた亡くなりました。

今年は、たくさんのミュージシャンが亡くなってますが、

日本全体、いや、世界中の「超過死亡数」も昨年あたりからうなぎ登りとのこと(調べてみてください)。

そんな時代です。人ごとではないです。いつ、自分や、家族がそうなるかわかりません。

だからこそ「今」です。今、できること。今、やりたいこと。全力で、全身全霊で。

そして!

今は石垣島におります。 

海に山に。
友人をお誘いし、石垣メシ堪能。

石垣島の旅の様子は、また後日にシェアします。

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