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SNSで何を伝えるのか?
noteの更新が、めっきり減ってしまった昨今。
noteはもちろん、僕の各種SNS(Twitter、Instagram、Facebook)の投稿も、今は1日一回あるかどうか、ってところで、Youtubeもずいぶん放置しています。
特に理由はありません。
ただ、書くことがないからです。書きたいこと、話したいことがないからです。
では以前は、どうしてSNSに頻繁に投稿していたのかというと、まずは「宣伝」。自分を知ってもらうためのツールとして利用していました。なにも悪いことではないです。知ってもらわない限り、どんな商品も売れないのですから。
そして何より僕にとっては「メッセージ」です。
自分の中で色々思うところがあり、それを伝えたいと思い、発信していました。もちろん、それはそのまま「宣伝」にもなっていたし、誰かの考え方のヒントになったりもしたでしょうし、一石二鳥。
そして、正直なところ「承認欲求」はあったと思います。だいぶ、その辺はクリアにして来たつもりでしたが、やはりなかなかどうして抜けないもの。
承認を得ることで、自身の価値を認めていたフシはあり、それがまた原動力となって発信し、人と繋がる…。
SNSがどうしてこんなに爆発的に広がったのか?それはSNSユーザーの潜在的願望を満たしてくれるツールだからです。
「どうしていちいち食べたものをInstagramに投稿するのか?」
SNSを何気なく利用している人が、ユーザーの99・9999%でしょうけど、実は上記のことを徹底的に研究されているのですが、世界中の頭の良い人たちの研究結果によると、それはやはり「承認欲求」だそうです。潜在的願望とは、まさしくこれです。
ただ、この承認欲求は、その奥には「生存欲求」という、極めて原始的なシステムが脳、もっと言うと遺伝子レベルに染み付いていることもわかっています。
我々現人類は「農耕」を営むことで、生活の糧である「食糧」を生産することを可能にしたと同時に、社会的な動物にし、しかしこの社会性は「協調。協力。共存」を可能したました。
そうやって集団生活をし、より生産性を高め、豊かな暮らしを得る代わりに、その集団の持つルールや社会性から逸脱することは、集団からの“排除”の対象になることになり、常に我々は自分が属する集団に対しての「自身の有用性」をアピールし続ける必要が生まれたのです。
これは「出る杭は打たれる」といのと似て非なるもので、そういう社会性の欠如からの集団からの排除の対象になるのは、「強い個体」なので、排除されても生存する確率は高く、現に、社会的に大きな成功を成し得たり、新たなイノベーションを起こすタイプは常に常識から逸脱し、出る杭として打たれても打たれても前に出る執拗な信念と生命力を持つ人間です。
しかし、一番の恐れは「役立たずは排除される」という、かなりネガティブな集団心理であり、多くの人が「強い個体」ではないので、我々は遺伝的にその心理を持ち、常にそういう恐れに晒されているのです。同調圧力なんて言葉がありますが、これは実は日本人だけに限らず、社会的に「無能」や「無価値」と判断されることへの恐れは、それは集団からの排除=生存できない、ということにつながるからだと言われています。
「どうしてそれがInstagramで、ランチを食べた投稿に関係あるの?」
と思われるも当然。しかし実はそういう投稿の奥には、もちろん「美味しいもの、楽しい気持ちを共有(シェア)したい」という想いはありますが、根源的な部分において「わたしは有用な人間です」という、集団へのアピールがあり、そこで得られる承認が、自身の生存欲求への不安を満たしている、という研究結果があるとのことです。
こんなことばかり言うと、なんだか気分が悪くなりますよね(笑)。みんな、良かれと思ってやってるのに。
でも、そういう研究が大真面目になされており、その結果を元に、現在のSNSの仕組みなどを構築され、まんまと多くに人がそれにハマっているので、気分が悪くなろうとどうだろうと、一つの事実として受け止めてもいいと思います。
大事なことは「承認欲求はあってもいい」と、自分にそれを許すことです。否定しては、ただ抑圧されて、歪んだ形で表現されます。いいじゃないです?わたしはみんなに見てほしくて、認めてほしくて、さびしくてSNSをやってるんだって開き直っちゃえば。
話を戻しますが、どうして僕のSNS投稿が減ったのか?
つまり、そういう生存への恐れとか、集団への帰属という心理がなくなった、とは言えませんが、ごっそりと抜け落ちたのだと思います。
ちなみに、僕はむしろそれらが人一倍、人百倍強いタイプでした。それは認めます。
だから「抜け落ちた」なんて偉そうに言えることでもなく、多分それでようやく「人並み」になったと思います。だって現に、SNSなんぞしなくても十分に満足した人生を送っている方もたくさんいますしね。
もちろん少なからず、僕の文章やメッセージを楽しみにしている方には、やや申し訳なくも思いますが、正直なところ、僕が言葉で伝えていることなんて、僕の代わりにいくらでもいるし、僕は言葉を重ねたところで、僕の真意は伝わらないのだと理解しました。
それは文章リテラシーの理解力とかそういうことではなく、SNSという「性質」の問題だと思います。基本的な設定として『SNSは、真理を伝えるためにできていない』、ということです。
もちろん、誰も「真理」なんて必要としてません。そして、真理を伝えたいなんて思ってる人も多くはいません。
だけど稀に「真理」や「正しさ」を伝える人がいます。でも真理って、情報を超えたものですから、それは「真理もどき」になりかねないのが怖いところです。
だけど、純粋な情報を伝えること。例えば、「〇月〇日に、▲▲で□□が行われます」というようなもの。これはとても便利な機能ですね。
あとは「近況報告」として、例えば僕が、
このように「インディー・ジョーンズを観に行った」と投稿することで、「あ、ケンスケさんは今こんな感じなんだ」と、知人は、なんとなくですが、僕の近況を知ることはできるし、知人や友人が観た映画なら「わたしも観てみようかな」と、きっかけにはなるかもしれませんね。そうやって、趣味の世界が広がることもあります。
あとは、こういう時事ネタで呟くことで、情報共有もあるけど、これも多くが「承認欲求」がベースにあるだろうなと思う。
ハリウッドでストだとか。
— 大島 ケンスケ 小説「KYOMU」出版 (@mirokukensuke) July 17, 2023
資本主義経済は「仕組みを作った人」が最終的に富を吸い上げる構造。役者も音楽家も、彼らからしたら「労働者」の一人で、商品を生産しているだけ。
しかしその状態に甘んじていた労働者たちの招いた事態でもある。だから一人一人がよく考えること。
(とか言って、今朝は思ったことを呟いたのだった)
だけど、こういう自己啓発的なメッセージは、
新しいことを始めたり、もっと頑張るより、
— 大島 ケンスケ 小説「KYOMU」出版 (@mirokukensuke) July 17, 2023
まずは先に、
今、余計なことをやめる。
とにかくやめるべきことをやめる。
何をやめていいかわからないなら、まずは一旦全部やめてみる。
それから諸々考えても、大抵のことは間に合うもんです。
もちろん、これは正しいことを書いているのだけど、これがどれくらい人の胸に届くかと言うと、微妙なところ。あくまでも「情報」であり、僕の中の真理でも、こうして言語になり、文章になり、デジタル化され、モニター上に置かれると、すべてのプロセスで違った何かが入って来る。特に、SNSという媒体は、デジタル画面の中に、実に“さまざまな意図”が蔓延し、それも一緒に頭に入って来る。
純粋なものを出したいのだけど、カクテルができてしまう。しかも、そのカクテルは「読みやすさ」や「わかりやすさ」という甘い味付けがされるほど、受け入れられるけど、こちらが最初に提供した純粋なものとは大きく違ったものとなってしまう。
上記の文面で、
基本的な設定として『SNSは、真理を伝えるためにできていない』、
と書いたけど、カクテルされた情報を基に、その人が自身の中で精査し、咀嚼し、体現し、真理とすることはできる。だから「基本的」と書いたけど、取り扱いは注意で、あくまでも「一つの情報」として距離感を持った方がいいだろうと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1689650215414-HnuOYcCj1t.jpg?width=1200)
僕個人の最近のやったことで、スマートフォン内のFacebookアプリを削除して、PCでしか見れないようにした。また、TwitterやInstagramやYoutubeは、モバイル通信では扱えない設定にして、これまでは何気なく移動中などにも投稿、閲覧できたけど、できないようにした。
メンタリストDAIGOや、「俺か、俺以外か」で有名なRolandの話とかでも、自身のSNSでの限定的な付き合い方をかなり気を遣っていて、スマートフォン自体仕事以外では見えないようにしているとのことだった。
だけど、それがもし「我慢」になったら、修行のようなものになってしまう。抑圧されたものは、必ずどこかで弾けるのだ。
だからこそ、そんな承認欲求とか、古代の脳の縛りに囚われるのが嫌なら、自身の内面に向き合うしかないのだろう。
というわけで投稿は減ってますが、お知らせはさせていただくし、またnoteでは、「表現」として、伝えていきたいとは思っています。
最後に、お知らせです。
![](https://assets.st-note.com/img/1689649337199-VgBk7tCBCU.jpg?width=1200)
サレンダー(降参)した先に見えたものがあります。
visionを分かち合い、一緒に新しい世界を創造すること。もちろん、それは個人が豊かで幸福を享受してこそ可能なこと。
「vision」 完全なる自分を見る。
君はどんな世界を見たいのか? 君は何を見ているのか? それが君の人生になる。 君の「目」が、 見てるもの、 観てるもの、 視てるものが、 君を創る。 君が選び、君が決めた。 ・ 君のvisionは、 君にしか見つけられない。 誰も変わりには...
Posted by 大島 ケンスケ on Monday, July 17, 2023
8月20日(日)東京
8月27日(日)大阪
詳細はまもなく
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