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ある男の死に際の回想 #1 自分が“死ぬ”ということ

人は死にます。人が死ぬとき、一体どんな心境であり、何を感じて、そして何が起きるのか?

死に直面する一人の男の思考と回想から、「人生」を振り返り、そして「死」について考える物語です。

あなたもいつか死にますので、その時のご参考に…。

ある男の死に際の回想


ああ、体が全く動かない…。瞼も開けていられない。なんて眩しさだ。目を瞑っていても眩しくすぎて嫌になる。眩しかったら目を閉じればいいのだが、目を閉じていても眩しいのだから、これはもう手の打ちようがない。

痛みはピークを通り越したのか、急速に引いて行くのがわかる。体は動かせないが、呼吸だけは楽になった。

音だけがやけにはっきりと聞こえる。医師や看護師がうろうろしている。

「まだ大丈夫です。意識はありますので声をかけてください。最後に聞こえるのはご家族の声なのです」

医師が誰かに向かってそう言った。お前も声もはっきり聞こえとるわ。自分の母親か死ぬ時も医者にそんなこと言われて耳元で名前を呼んだが、まるで応答がなく、そのまま息を引き取った。だが母は今の俺と同様に、返事ができなかっただけで、はっきりと聞こえたのではないか?

にしても、最後まで、この医者は好きになれんかったな…。若いのに大したやつだと思ってたのも束の間、後ろ向きなことばかり言いやがる…。

「勝之さん?ちょっと、聞こえてる?カツユキさん!」

妻の恵理子が、耳元で俺の名前を呼んでいる。さっき家に帰ったはずだが、またわざわざタクシーで来たのか?きっと、俺の容態がかなり悪いのだろう。

妻の問いかけに何か答えてやりたいが、まったく反応できない。

「父さん!俺だよ!しっかり!ほら、啓太も来てるよ?孫の啓太、大きくなったよ!」

息子の和樹だ。帰ってきたのか…。何年ぶりだろう。

孫の啓太の顔もろくに見せんで…。啓太ももう何歳だ?最後に会ったのがまだ幼稚園に入る前だったな…。

和樹のあの嫁が苦手だった。あの嫁と結婚してから、和樹は変わったし、俺との関係もギクシャクした。あんな女と結婚しないで、この街で暮らしていれば…。

「父さん!父さん!」

ええい、うるさい!聞こえてるわ!むしろはっきり聴こえてるくらいだ!耳元で騒ぐな。眩しいのと同じように、あらゆる音がはっきり聞こえている。聞こえすぎている。

……しかし、和樹まで来るとなると……。

俺は、いよいよ、死ぬのか…?

死ぬんだろうな……。

…………。

そう考えると、さらに瞼の中が明るくなった。医者が俺の顔をライトを当てて点検しているのだろうか?眩しい。明かりを消してほしい。

だが、この眩しさや、耳元の声も、すべて消えるのか?

死ぬ…。

俺は、死ぬ。ついに。

分かっていたはずだった。

俺は1年半前に末期癌と、余命半年と宣告をされて、万にひとつの化学療法に可能性をかけて寿命をいくらか伸ばすことより、死ぬ日まで懸命に生きようと、仕事をこなした。

余命宣告よりも1年以上経過したが、先月ぶっ倒れて入院し、病院で管だらけになってしまった。できることならそのまま死んでしまいがかったが、意識を失っている間に、妻があれこれと病院を手配し、薬漬けになった。

痛み止め、というのはおかしなもので、麻薬と同じだ。いや、実際にモルヒネなので麻薬と同じだ。痛みがあり、薬を点滴すると、そのときは楽になる。だが、また強い痛みがやってくる。そしてさらに薬は強くなる。最初の痛みのままで死ねた方が楽だったのでは?などと何度も考えたが、結局「痛み止めをしてくれ!」と、懇願したのは俺の意志だった。シャブ中はシャブ漬けになって灰になるまでだ。

痛みが一時的に和らいだときは、大抵寝ているか、起きていても頭はぼうっとしているが、それでも意識があるときは、自分はこれから死ぬのだと覚悟をしていた。死ぬことへの準備をし、弁護士に遺言を伝えた。

しかし、実は自分が死ぬなんてことをわかっていなかったのだと、今になって思う。

いよいよ死ぬって、時になってようやく「死ぬ」ってことがわかるのだ。昨日までの俺は「自分が死ぬ」ってことに、何ひとつリアリティを感じていなかったのだと、今になってそれがわかる。

多分、俺だけじゃないんだろう。どんな人でも、自分が死ぬってことがわからないし、自分が死ぬなんて本気で思えないのだ。人の脳はどうやら「死」を理解できないようだ。

聞いたことがあるが、自殺しようと崖っぷちとか、ビルの屋上にいる人を、他人がえいっと脅かすと、その人は慌てて体勢を立て直し、どこかに掴まるそうだ。

死ぬ気があるのに、ギリギリまで生きようとしているという矛盾。どうやら俺も、ずっとそんな状態だったのだ。死ぬ死ぬと頭で考えつつも、命としての俺は、生きたい生きたいと思っているし、なんだかんだで「明日」があった。

その明日は苦しい明日かもしれないが、まだ明日、生きる心持ちでいた。生きたいという、細胞なのか、ミトコンドリアなのかDNAなのか、よくわからないが、俺の意志とは別のところで、生への執着と渇望があったのだ。

だが、もうダメだ。わかる。俺には、俺の肉体にはもう、明日がない…。もう、未来がない。自分以外のところで、それが決定しているってことが、なぜか腹に落ちるというか、とにかく深い理解がある。

死ぬ。死ぬとは、もうこの世で明日を拝めないということだ。

つい昨日までは、なんだかんだでやりかけの仕事とか、計画立てていた旅行とか、そういうことを考えていたし、あれもやればよかった、これもやればよかったと後悔と共に、でも比較的好きに生きたじゃないかと、自分を納得させたりしていたが、今はそうじゃない。

今俺の感じてる「死」は、もっとシンプルなものだ。

明日、朝が来ないということ。
もう2度と食事ができないこと。
もう2度と誰かから名前を呼ばれたり、誰かの名前を呼べないこと。

俺は息子を、和樹を最後まで許さなかった。それは、いつかわかってくれると思ってたからだし、いつか学んでくれるとと思っていたからだ。

しかし、わかっていなかったは俺の方ではないか…。

なんてことだ。明日があると思っていた昨日までの俺と、明日がないという今の俺は、考え方はまるで違ってくる。あらゆるものの見方が変わってしまう。

一体自分は何を求め、何を愛し、何にこだわり、何を守っていのだろう?

…………。

…………。

ちょっと待て!そんははずはない!俺は自分で自分の人生を必死に考えて、必死に働き、必死に積み上げてきたのだ!

仕事…。そうだ、俺は仕事人間だった。子供にも、妻にも、その辺は迷惑をかけたと思う。それは分かっていた。

俺が最後の最後に、家族と距離を置く羽目になり、妻とも別居状態で、息子とも会えなかったのは、単純にその報いなのだ。食わせてやった、贅沢させてやった、育ててやったと思っていたが、俺は愛を与えていなかったのだ。愛を与えず、生活を、いや、つまり金を与えて誤魔化していたのだ。

愛には愛が戻ってくる。しかし、金の代わりに愛が戻ってくることはない。

なんてことだ。昨日までの俺は、自分の仕事には誇りを持っていた。家族を食わすために、身を粉にして働いたし、独立して、必死に戦ってきた。会社が軌道乗ってからも、社員とその家族を食わすために、そして不況の荒波の中を持ち堪えながら、航海してきた。

苦難もあったが、多くのものを手にした。そして俺は自分のやりたいことをやり、欲しいものを手に入れた。そう思っていた。

だが、今、俺の感じてる気持ちはなんだ?

今まで俺が大切に思ってきたものが、まったく無価値に思えている。

つづく…


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LIVE予定。
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